YouTubeをボーッと眺めていたら宇多田ヒカルの『光』が流れてきた。
宇多田ヒカルのことはずっと好きで、ませていた私は保育園のどんぐりころころよりAutomaticをずっと歌っていたと母が言っていた。

音楽で感動できるうちは何も遅くないとおもう。
OasisのDon't look back in Angerは・・・誰でも歌えたしみんなが感動できる
Aviciiが死んだときは歩道を泣きながら歩いてWake me upを聴き続けたし
坂本九の上を向いて歩こうも
ザ・フォーク・クルセダーズの悲しくてやりきれないも、泣きながら聴いた思い出がある
マライア・キャリーが若い頃のEmotionなんかは、別に悲しい曲でもないのに、歌声だけで心が掴まれる

だんだん心が死んでいく音がする。
アイコンを自撮りに変えると途端に昔少し仲が良かっただけの男から連絡がくるようになる
男のことが年々嫌いになる
だからといって女が好きでもない、私は誰も好きでもなくて・・・・・

宇多田ヒカルを聴くたび宇宙に旅立つような気持ちになっていたあの頃には戻れない
椎名林檎を聴いてバンドマンの彼氏がほしいと駄々をこねていた頃にも

だんだん世の中のことがどうでもよくなる
囚人でもないのに無期懲役になったようなもので
囚人よりも多い時間テレビ画面を見ているだけだ(それに好きな時間に眠れるけど)

私はこのまま死んでいくのだろうと思うし
健康にも気を使っていないから早く病気になって、自殺したいと思っているうちに病気でどこか悪くなるだろう
でもそれが悲しいとも思わない
私の人生は25歳頃にとっくに終わっていて、今は永い夢を見ている
夢が覚めたら無が広がる
私は天国なんてないほうがいい。私は意識というものがなくなればいいと思っている。
わたしは死にたいのではなくて、もっと端的に言えば、苦しいとかつらいとか感じる意識が嫌で、自己嫌悪したり、自分のことを嫌いになるのも、脳のはたらきによるのであれば、そのすべてがなくなれば良いと思うし、脳が死んでくれさえすれば、別に身体は永遠に家のクローゼットに仕舞っていても構わない。ある程度は美人だし・・・見られるから嫌でもない。

Back street boysのI want it that wayが好きだ。人生が辛いと知らなかった最後の時に初めて聴いた歌だったから・・・純粋にこの世にはこんなにいい歌があるんだと嬉しかった。歌が人生の癒やしや、苦しみの友ではなくて、純粋な、娯楽だった・・・まだほんの子供だった頃

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