A先生
このところよく、A先生を思います。
現在、完成するか如何か全く不明なものを如何しても作りたく(というところが私らしいですけど💧)、色々頭の中でグルグル悩んでいるのですが、こんな時、A先生なら如何するのか、どのように考えるのか、と、つい訊ねてみたくなるのです。
A先生との出会いはもう、20年程昔になるでしょうか。
A先生も易者さんなのでとても嬉しくなりすぐに打ち解けました。
大変真面目でお勉強研究熱心なA先生は、常に大きな筮竹を綺麗な紺色の袋に入れて持ち歩き、沢山の著名人を占っていらっしゃる超人気占い師さんでした。(一方私はチンピラ占い師でしたから、mixiでもドン引きされる程大暴れしながら、昼間から酒を飲んで占い師らしからぬ、以前に人として如何なのか?と問われるような恥ずかしい生活をしておりました💧)
私にとって、後にも先にもA先生のような素晴らしい易友はいない程、A先生とは易の話で大変盛り上がりました。
(「お互い『先生』と呼ぶのやめませんか?」と提案したのですが、「マリア先生のお師匠様や私の師匠に叱られますから、けじめとして先生のままでお願いします。」と、A先生はそこだけは譲りませんでした。)
A先生もバーボンや日本酒が大好きでしたので、時には朝まで飲みながら語り明かす事もありました。
mixiは10ヶ月程遊んで(大暴れして)退会し、その後もA先生とは楽しく交流していました。
A先生からは
「マリア先生と個人的にこんなに親しくさせて頂けるとは思っていなかったのでとても嬉しいです。毎晩『フリーク』コミュに通った甲斐がありました(笑)」
と笑いながら仰っていました。
※『フリーク』コミュとは私がmixiで作った大変下品な幻のコミュニティで、深夜に独特な人々が集まって馬鹿騒ぎするという💧 私はその奇妙な店の店主というテイでした。夜な夜なくっだらない(占いとは全く関係のない)馬鹿話に人々は異様に盛り上がり、お腹を抱えて大爆笑して賑わいました。A先生にはとても苦手な空気だったと思うのですが、その異様な空気に随分無理されながら(だったと思います)お付き合いくださってました。
「奇妙な変人コミュに無理に来てくださらなくても、A先生とは易繋がりで自然と仲良くなってましたよ(笑)A先生とのご縁に感謝しています。」
と、私もA先生とのご縁の有り難さ、嬉しさを伝えていました。
「マリア先生、ずっと友達でいてくださいね。マリア先生と話していると、それだけで何ていうかこう、気持ちが軽くなるのです。」
と、A先生は穏やかに笑いながら仰っていました。
私はA先生だけに、当時から将来易のカードを作りたいという夢や抱負等を語っていました。A先生は「それは私も協力したい、というより共同で出しませんか?!絶対楽しいに決まってる!素晴らしいカードができますよ!」と、盛り上がってくださいました。
ところが・・・
「マリア先生、ずっと友達でいてくださいね😊」
と、いつものように楽しく通話した夜を最後に、A先生は不帰の客となりました。
あまりに突然で信じられない事を理解するのに随分時間がかかりました。
私がちゃんと、先生をわかって差し上げられなかったのでは、もっと話を訊いていたら、と、後悔ばかりしていました。
「A先生は魂がとても綺麗な方でしたから、俗世に疲れてしまったのかもしれません。」
A先生を知る方はそう仰っていました。
確かにそうかもしれません。
濁った水の中でも平気で泳げる私と違い、清浄な場が相応しい先生でした。
「マリア先生には『枠』がないから面白いなぁ。」
A先生は何度もそう仰って私の話を面白がっていました。
このところはもう、「何故」という気持ちは起きなくなりました。
躓いたり悩んだりした時は、無意識に
「A先生、これ如何思います?こういう場合は如何すればいいでしょうか?先生なら如何しますか?」
と、訊ねています。イーチンオラクルカード作成中もA先生に色々訊ねていました。その度
「マリア先生らしく、枠からはみ出せばいい。」
と、在りし日のA先生らしい冷静な言葉が返ってきます。
「マリア先生は占い界の傾奇者ですね(笑)」
と、A先生は私を喩えていました。
2年程前から私自身、そのように名乗るようになりました。
A先生、大好きでした。
今も大好きです。
「如何して」なんてもう訊きません。
また時を忘れて先生とただただ、楽しく語り合いたいです。
偶には夢に出てきてください。
また若い頃のように語り明かしましょう✨
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