店の寿命

今日、息子のヘアカットに付き合った。
息子は髪を切るのがそもそも嫌いなので、家を出るまでもグズグズして、出る頃にはいつもの店はもうその日の受付を終了してしまっていた。
仕方なくネットで調べて、すぐに切ってくれるお店を探し、閉店ギリギリに駆け込んだ。

息子が髪を切っている間、母親というのは暇なもので、ぼんやりと窓の外を眺めていたら、道を挟んだ向こう側に、リサイクルショップがみえた。

そういえば、このリサイクルショップ、以前は本屋だったな。
本ならなんでも揃うと書いてあったが、実際は取り寄せに1週間かかった。
それならAmazonで頼んだ方が早いわと、だんだん行かなくなったのも、もうずいぶん昔のことのように思う。

思い返してみれば、私は本屋が好きで、昔はよく通ったものだ。
あの駅には大きな本屋があって、なぜか行くといつもトイレに行きたくなる、不思議空間だった。
家の近くには、マニアックな品揃えの本屋と、店主が代替わりして二代目がしごかれている本屋があって、微笑ましく見守っていた。
職場の近くには愛想の悪いおやじが1人でやっている本屋があり、私はなるべく行かないようにしていたが、そこで本を買っている友達から「本なんてどこで買っても同じなのだから、別に愛想が悪くたっていいじゃない」と言われ「同じだからこそ、気持ちのいい店で買いたい。愛想の悪いおやじの店で買えば安くなるというなら買ってもいいが、本なんてどこで買っても価格も内容も同じくなのだからこそ、店は選びたい」と言い返し、友に「なるほど」と笑われたこともある。

そんな思い出の本屋たちは、全滅していた。
子供の頃にあった本屋も、大人になってから通っていた本屋も、もうない。
今は新しくできたチェーンの本屋に通っているが、今にも潰れやしないかとハラハラしている。

人は本を読まなくなったのか?
いや、むしろ今はインターネットの時代だから、スマホで読めるようになったからか。
それともAmazonで買った方が、早いし品揃えも豊富だからなのか。

いずれにせよ、多くの本屋は淘汰されていったのだ。
それが、寿命だったのだ。

店が寿命を迎える要素はいくつかある。
昨今深刻化しているのは、後継者不足だ。
お客様もお店側も、続けてほしい、続けたい、それでも消えゆく運命を、避けられない。

なんらかの事情で、お客様が来なくなった店も、程なくして寿命を迎える。
例えば近所に競合店ができてお客様をとられたとか、お客様の信頼を得られなくなったとか、需要がなくなったとか。

生活様式、時代、それぞれに求められるものは変化する。
それに合わせて、お店も変わっていかなければ、いつか寿命は尽きる。

紙芝居屋、藁葺き屋根屋、金魚売り、ガマの油売り、バナナの叩き売り。
代々続く瓦職人が、その家業を続けていこうとしても、瓦の需要が激減すれば、生き残れるのはほんの一握り。
いくらインスタでお洒落な瓦を見せても、毎日SNSで瓦のことを呟いても、そう簡単に「瓦買おう!」とはならない。
よほどの腕と、コネと、他からの収入があればやっていけるかもしれないが、屋根材としてだけで見ると、ほかに安価で安全でお洒落な素材は沢山あるのだ。
更に瓦職人は現在、後継者不足なのだそうだ。
だんだん時代に合わなくなって、文化財とか寺社仏閣などでしか、その技術を発揮できなくなるのかもしれない。

電話の交換手という仕事、駅のキップ切りという仕事も、もうない。
それは新しいものに変化したり、とってかわられたり、不要になったり。
お店の寿命も、いつか尽きる。
店主の健康状態と直結している店も多くあるだろう。

ふと見渡せば、今息子の髪を切っているこの店も、ほんの数年前にはなかった。
今の風景は、いつまで続くんだろう。
このお店は、いつまでここにあり続けるんだろう。
私のお店は、いつ寿命を迎えるんだろう。

そんなことを思った11分間だった。

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