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盛岡 旅行記⑤ 盛岡史・上田横丁とNAGASAWA COFFEE 2023年11月20日

歴史を旅する元・美脚女子、みやびと申します。趣味で旅行記を書いています📝✨

書きたいことから書かないと、力尽きて書けず仕舞いとなりそうなので、順番前後して書いてゆきます。😅😂

今月は、岩手県盛岡市へ行って来ました。🧳✨

私は、浅田次郎の壬生義士伝という歴史小説の大ファンで、それこそ7〜8回は読んだかと思います。

物語の聖地・盛岡。盛岡の町だからこそ、主人公の人生に涙誘う物語がある…😭😿😢

ひと言であらすじを述べますと、、🔈✨
『南部盛岡藩の下級武士が、新選組に入隊して家族に仕送りする』話なんですけどね。

現代の感覚では、岩手県って広いし、農場もあって、山の幸も海の幸も豊かな感じ。でもそれは、明治以降のこと。

江戸の頃の南部盛岡藩は、もともと石高10万ほどで、藩主の代替わりで遺領を分け8万石に。

石高ってのは米の取れ高を表すもの。盛岡の町は、東北にあって寒い土地です。

ヤマセと呼ばれる季節風が6〜7月に吹き、日照不足なんかも重なってしまうと、食べられぬ年も多く、もぉーう大凶作。

東北の四大飢饉なんかも有名ですね。🌾

それでも盛岡の産業は、優秀な馬と金銅鉄の鉱山で、江戸初期の頃にはだいぶ財政が潤っていたみたいです。🐎⛰️

しかし、天下泰平の世に軍馬は不要、、鉱山も取り過ぎて枯渇。

江戸の中頃には、幕府からの加増があるも負担金が増えただけ… 😔

青森(弘前藩)とすったもんだあり、洪水や噴火などの災害、火災なんかも多くあり、、😞

財政の危機に晒され、町民に税収負担を強き、一揆も頻繁だったようです。😖

そんな貧しさにありながら、主人公の吉村貫一郎は、盛岡を愛しています。盛岡の町が育んだ、彼の家族を心から愛します。

出稼ぎ先の京の地で、恵まれた縁談もありましたが、彼は妻のしづだけを愛し続けたのです。🐈

二駄二人扶持、下級武士の吉村貫一郎。住まいは上田横丁と言う長屋のある町で暮らしていた設定です。

全然『勝ち組』じゃないのに『徒士(かち)』という役職で、コレはお殿様に徒歩で付き従う足軽を意味します。

長くなりましたが、本題へ入りましょう。

私はこの盛岡の旅で、中通の『ドーミーイン盛岡 さんさの湯♨️』に宿泊していまして。

そこから歩いて15分ほどの、この上田横丁のあった上田通りに行きました。

ホテルを起点に、城までは10分ほどかかるので、上田から城までは25分ほど… 🏯✨

近くとは言えない感じですね、吉村の身分の低さがよく分かります。🚶🚶‍♀️

この上田は、江戸期に徒士の長屋があったため、町の区画がキレイな長方形らしいんですね。

少し郊外だけど、家を建てる際に美しい形状で建てられる。🏠🏘️

そんな理由から、この地に素敵な珈琲店が出店してきました。『NAGASAWA COFFEE』と言います。☕️✨

この店、かなり話題となっており、知人の伊藤さんもFBコメントくれていましたけど、、

アメリカの人気誌NY Timesで、盛岡は『2023行きたい街ランキング52』2位となりました。

その中で、この『NAGASAWA COFFEE』が紹介されていたんですよね。

私が付近をウロウロしていた時にもタクシーで乗りつけた観光客らしき人達が何組も店へ入ってゆきました。🚕💨

現地で、地元の人数名にお勧めコーヒーを伺いましたけど、、皆さんこんな言葉を述べており。

「『NAGASAWA COFFEE』は、ちょっと遠いんですよね〜」

だから今回は無理だと思い、壬生義士伝の聖地に絞った観光をしていたはずでしたが。笑

壬生義士伝の聖地・正覚寺の目と鼻の先にある店だったのです。😳😳😳🤣🤣🙌

オマケに、遠い遠いって… 上田横丁にあるんかいっ‼️

言わずもがな。旅の合間の15分ほどでしたけど、噂の『NAGASAWA COFFEE』で、コーヒーをいただいてみました。☕️💕

続く。☞

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