似顔絵_社長_2_4

日報 2月9日

記入者:かくなみ みほ


いつからだったかわたしは、何事につけ、
「なんとかなる」と、確信するようになりました。



少し前のことになります。

わたしは青春のほとんどの時間を、
「優しい人にならないといけない」と、思っていました。

誰かの役に立てると、
それだけで満たされる気持ちになれました。

だからわたしは、
みんなに優しい人になろうと思いました。

それで自分の存在理由ができて、
自己肯定感が満たされたから。

「誰かのために自分が尽くしてその人が喜ぶ」
最高の麻薬を得てしまったんです。



いつからか「優しい人」を演じるようになり、
演じることが義務になっていきました。

そのうち、自分が一体何者なのかわからなくなりました。

「優しい人」を演じている自分が、
本当の自分なんだと、思い込むようになりました。

そんな自分が当たり前になっていましたが、
言いようのない息苦しさを、しっとりしっとり感じていました。

誰かのために尽くしたい。
尽くす自分は優しくて美しい。
それなのに、心が満たされない。
こんなに人に尽くして喜ばれているのに、
どうしてこんなにもやもやするんだろう……



「相手のほしいものを都合よくあげるだけなんて、ちっとも面白くない」

ある東の地で、周囲にいた賢く生きる人々に、そう気づかされました。
誰かにとっての「優しい人」になんて、そもそもなれないんだ。

わたしが生き生きする方法で、
それがそのまま誰かの役に立つのなら、
それを信じてこの生命を進めていこう。
何かにひっぱたかれたみたいに、心が動きました。



「それじゃ食っていけないよ?」
と、心配してくれた人たち、
今までありがとう、そしてさようなら。

進路変更が必要ならもちろんしますよ。
でもね、わたしの生命が向かう先は変わらないよ。

何が正解とか間違いとか、そんなことはどうでも良い。
自分自身で導き出した答えに価値がある。



「なんとかなる」と思って暮らしてきたら、
今こうして、小さな会社を持つに至りました。

苦しくても、寂しくても、ちゃんとなるようになる。
みんな、それぞれのやり方で、なんとかなるよ。



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