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【2018年1月31日 MMサ終の日 大井ふ頭移動中】
 フレンドリストでようりのベストを着ていた風香さんのアイコン。
 それを見たときの気持ちは6年以上が経過したいまでもはっきりと覚えているけれど、6年以上を費やしたいまでも言葉で言い表すことができないでいる。
 フレンドリストのアイコンは、そのときのコーデを反映する。
 あの日松乃さんと「最後のお話」を終えた風香さんは、述懐メッセを松乃さんに送ったあと、すぐに飾っていたようりのベストを下ろし、袖を通してくれたんだ。
 それがうれしかった。
 前向きな気持ちにスイッチしたとき、自然にわたしのお洋服に手が伸びたのだとしたら。

『いつもよりちょっとだけ特別な日の思い出を振り返ったとき、いつもなぜかその服を着ていたことに気づく…… そういうお洋服を作りたい』

 もしかしたらそんな一着になれたのかなって。
 風香さんがどんな気持ちで着替えてくれたのかは知る由もないけれど、あのタイミングで着てくれたことが、わたしは確かに泣きたくなほどうれしかったんだ。

 わたしも今日この日まで、MMを去って行くフレを何人も見送ってきた。
 わたしはそのたびに、彼女たちの背中にみっつの思いを投げかけた。
 MMはたかがゲームなのだから、何かの足枷になるようなら止めてしまった方がいいと。
 それでももし戻りたくなったとき、いつでも戻れるのもたかがゲームの気軽さだと。
 そしてあなたを大切に思ってきたフレンドにとって、‟きっとMMのどこかにいるかもしれない”と、‟もうMMのどこにもいない”はぜんぜん違うのだということを。
 自分の意志で去ろうとしている人の後ろ髪を引くようなまねをすることが良いことだなんて思ってはいない。
 たかがゲームが、わずかでもなにかを犠牲にするようなものであるはずがないのだから。
 それでもそこで築き上げた親交は、容易く捨てるにはやはりあまりにも寂しいという想いがわたしにはある。

‟素のわたし”ではない‟ようりというキャラクター”を演じるうち、わたしのマイキャラはようりとして人格を持つようになっている。
 わたしとようりは性格も違う。だからときどきわたしがびっくりするような言動をとることがある。
 ようりはもうわたしではないのだけれど、では何者かと問われればこれ以上はないくらいぴったりとあてはまる言葉がある。
 ようりはわたしの『フレンド』だ。
 自分が愛したマイキャラはきっとフレンドにも愛され、唯一無二の存在になる。
 そんなマイキャラと親交を築き上げたフレンドたちもまた唯一無二。
 わたしにとってMMでの親交というのは中の人同士のものではなく、‟ようりとフレンドキャラ”の間で築き上げられるものだ。
 それはMMの中で発生して、MMの中だけで完結している。
 だって彼女たちにはこのMMがすべてなのだから。

 わたしはこの騒動の顛末でそれを再認識させられることになる。
 残念なことに、思いもよらなかった最悪なかたちで。

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