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【2011年 7月某日 ”まれ屋”にて】
 くろえさんと会うにあたって、松乃さんに声をかけたい気持ちもあった。もうわたしたちは共通のフレだし、例の嫌がらせでなにか相談事を持ち掛けられるのなら松乃さんの同席は力強い。
 ただ、くろえさんはそういうことを好まない人だという印象もあった。悩みを打ち明けてそれに同調してもらい、ストレスを発散して感情的に解決することよりも、きっと理性的に物事を考えて結論する人だ。
「実は私、引退することにしたんです。お世話になった人にお別れだけは伝えたくて」
 あいさつもそこそこに、くろえさんはわたしにそう告げた。
 やっぱり決定事項の報告だ。
「うーん…… やっぱりだめかー」
「はい。それで、ようりさんから頂いたパンツドレスをお返ししようと思って」
 なんて子。
「律儀だなあーwww」
 これは松乃さんに並ぶ律義さだ。
 松乃さんもわたしが家具やお洋服を探していると知ると、わざわざ他人のお宅やトレボで見つけてきてくれたり、それが自分の蹴った箱から出たものだったりすれば高く売れるような物でもわたしにくれたりする。
 いくらなんでも悪いよ、と思うのだけれど、そんなとき松乃さんは『なにをいまさらw ようりさんわたしにデザインアイテム3着も贈ってくれてるでしょ。お返しなのよん^^』と笑う。
 松乃さんにもくろえさんにも、わたしはアイテムやココアには代えられない価値のあるものを頂いてるんだ。
 もちろん、ゆめなさんや四季舞さん、sophiaさんにも。
 メタバースを楽しむうえで一番大事な要素、”善きフレンド”としてわたしの前に現れ、出会いをくれた。
「いえいえ、こんな素敵なお洋服、MM世界から1着でも消えてしまうのは惜しいです。ましてデザイナーさんの好意で頂いたものを消してしまったら犯罪行為ですよ」
 消す? 単なる引退ではなく”退会”するつもりだ。
「おおげさだよ^^; でも本音を言うとすごくうれしい。そういってくれると感謝しかないよ。ありがとう。きっとわたし以上にお洋服もよろこんでいると思う」
 わたしは自分のデザインしたアイテムをココア儲けの道具にされたくもしたくもない。着たり飾ったりしてよろこんでくれる人たちの手元に届けたい。わたし自身が着たり飾ったりして胸躍ったのだから。
 わたしが大切に思うお洋服を、同じように大切に思ってくれるくろえさん。
 わたしはきっと心から共感できる人にお洋服をプレゼントすることができたんだ。これはすごく幸せなこと。
 本当に涙が出るほどうれしいよ。
 実はくろえさんはミニゲームでのパンツドレス獲得に失敗している。それでものちに偶然sophiaさんのお店で出会ったときに、パンツドレスのすごく細かいところまで評価してくれて。
 おまけに『また素敵なお洋服をデザインしてください。そのときは絶対に手に入れて見せます^^』なんて言ってくれるものだから、フレンド登録をしてもらった。
 そのときに、1着プレゼントしたんだ。『フレには頂いてもらっているから』って。
 すごく喜んでくれて。
 着たり飾ったり今日まで十分に楽しんでもらえたかな。
 くろえさんからトレード申請がきた。
「うん、だけどやっぱり受け取れないな」
 わたしがそう言って申請を受けずにいると申請が解除され、くろえさんのフキダシアイコンがオレンジ色に変わった。
「まってまって、言わせて」
 わたしは続けた。「MMなんてたかがゲームだよね。不愉快な思いしてまで続けるものじゃない。ストレスになるならやめてしまった方がいい。でもさ、たかがゲームなんだからもっと気楽でいいと思うんだ」
「気楽、ですか」
「うん。いつかまた戻りたいって思ったら、気楽に戻れるのもゲームだよ」
「戻りたくなりますかね」
「それはわからない。でもここにひとり転生者がおるじゃろ?」
 くろえさんは自分が受けている嫌がらせについて多くは語らなかったから、相談に乗ったというよりはただアドバイスを……よけいなおせっかいをしただけだけど、そのときにわたしが過去”つきまとい”に遭って一度退会していることを話している。
「ホントだ^^」
「まあつまらない連中がいる間は癪に障るよねwww」
「あはは」
「だからこうしよう。わたしが預かっておく。あなたのパンツドレスはなにがあっても手放さない」
「それはそれで申し訳ないですよね」
「なにも? このお店のディスプレイに使わせてもらうから。わたしはなにも困らない。パンツドレスが消えてしまうわけでもない。だからくろえさんが気にすることはなにひとつない。でしょ?」
「なるほど……ですかね」
「だからもしまたMMにもどってくるのなら、まっさきにわたしのところへおいで。そのときにあなたが誰であっても必ず返すから」
「誰であっても、ですか」
 退会せず”くろえ”さんとして戻ってきても、転生して違うキャラとして生まれ変わってきたとしても。
「そう、誰であっても」
 勢いだ。「遠慮はしないで? そのころには次のお洋服が採用されて、ディスプレイのスペースを空けなくちゃいけないだろうから」
「それはすごい」
「よけいなこと言っちゃったか?www」
「あはは^^」
「あなたのようなひとめったに出会えないよ。わたしはあなたと出会えたことがうれしいし、あなたともし再会できたらそのときはやっぱりうれしいと思う。ごめんね、後ろ髪引くつもりはまったくないけどわたしの正直な気持ち。本当に重荷に思ってもらいたくはないのだけど」
「いえ、お気持ちはうれしいです」
「^^」
 こんどはわたしからトレード申請をした。「じゃあ、いったんお預かりしましょうか」


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