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【日記】ラザン・アルナジャーを忘れる

 まだ娘が幼かった頃、アメリカが「テロとの闘い」を掲げてアフガンの無辜の人々を殺戮していた頃、失業中だったわたしはいかに世界がひどいかということを毎日のように語った。「あなたがアフガニスタンへ行きたかったら行ってきたらいいよ。わたしは紫乃と二人で待っているよ」とつれあいはまじめな顔で言った。いまから思えば、非現実的な与太話だと人は笑うだろう。

「この白衣と神がわたしを守ってくれるからだいじょうぶ」 そう両親に言って苦しむ人々を助けに行った少女は、イスラエルのスナイパー(射撃手)の冷酷な餌食になった。白衣は無残にも彼女自身の赤い血に染まった。胸を撃たれて運ばれた診察台の上であごを突き出し、はあはあと最後の息をする彼女の動画を見た。

 このどうにも取り返しのつかない悲劇が拡散し、オーデンが記したような「そこかしこで/光のアイロニックな粒が/どこであろうと、正しき者たちがそのメッセージを取り交わ」し、世界中で人々が声をあげ、立ち上がり、止めることのできない巨大なうねりとなって地上を埋め尽くし、やがて無意味な争いが終わる。少女の墓には緑があふれ、世界中から人々が花を持ってやってくる。そしてみなが祈る。もう二度とこんな愚行は繰り返さない、あなたのような人は出さない、だからどうか安らかに眠って欲しい、と。そんなことはこの世界では起こらない。ぜったいに起こらない。ぜったいに。

 SNSは力のない人々の間にしか拡散しない。力のある人々は株価の変動を見ている。そしてレノンがかつて歌った「宗教やセックスやテレビ漬け」にされたその他大勢の“あわれな小作人ども(fucking peasants)”は通勤電車のつり革にぶらさがって Amazon の買い物リストを漁っている。あるいはスマホから流れてくる色とりどりの泡を両手で懸命にタップしている。だから世界は何も変わらない。

 わたしたちは忘れる。悲憤の声をあげたところで、やがては日常の定期券や買い物リストや録画したテレビ番組や仕事のうち合わせやあたらしい靴などにかき消されていく。「あなたがアフガニスタンへ行きたかったら行ってきたらいいよ。わたしは紫乃と二人で待っているよ」 そういうことは起きない。たとえわたしが妻子を残してパレスチナへ行ったとしても、餌食が一匹増えるだけだ。わたしの間抜けな頭蓋骨をやつらは最新式のブルドーザーで踏み潰しておしまい。

 この乖離。絶望的な乖離に、わたしたちの日常は耐えられる。21歳の看護師ラザン・アルナジャーはニュースの中の記事ですらない。文字の小さな小さなドットのひとつにもはや過ぎない。そのドットを土足で踏みにじりながら、わたしたちのまあまあ小マシな日常が成立している。わたしたちはそれに耐えられる。人気店のチーズケーキを頬張って笑うことができる。一方、ラザン・アルナジャーの世界は真っ暗だ。音のない暗闇。もはや粒子さえそよとも動かない、宇宙の熱的死のような完全な世界だ。さよならも届かない。

 ラザン・アルナジャー、まだまだあなたのような人が死んでいくだろう。世界にはあなたのような人が無数に生み出されるから、来年にはもうきっとたいていの人はあなたの名前すら口に出すこともないだろう。さようなら。夜勤明けのおれは冷蔵庫の中のチーズケーキを頬張りながら笑って忘れるよ。

(2018.6.6)


イスラエルのスナイパー、救急隊員を射殺する   6月1日、金曜、ガザ地区のハーン・ユーニス市のちかくでおこなわれた「偉大なる帰還行進」プロテストにおいて、救急隊員としてボランティアをしていた21歳のナース、ラザン・アルナジャーがイスラエル軍...

Posted by Middle East ニュース on Saturday, June 2, 2018


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