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【日記】大阪朝鮮中高級学校の文化祭を愉しむ

 その間中、ずっと考えていた。存在を否定される国で生きるということ。心ない者から「ゴキブリ」よばわりされ、民族服であるチマチョゴリを切り裂かれ、学校の敷地は「レイプして虐殺して奪った土地」だと広言され、なにかあればすぐに「国へ帰れ」と吐き捨てられ、それらを政治も警察も行政すらも傍観し、むしろかれらをそそのかしているのではないかと思えるようなこの国で生き続けるということを。

 この国の朝鮮学校に対する差別やヘイトクライム、裁判闘争についての本や映画に触れながら、朝鮮学校を知らないじぶんに気がついた。それで見に行こうと思い立ったのは、東大阪にあるこの大阪朝鮮中高級学校の文化祭行事が一般公開されていることをSNSで知ったからだった。

 じつはわたしはこの学校の前をわりと日常的に車で通りすぎる。朝鮮学校だということは知っていたが、生徒の姿を見かけることもなかった。わたしがいま働いている知的障害者施設と、そういう意味ではよく似ているのかも知れない。そこに障害者施設があるのは知っているが、中でどんな人間がどんな日常を送っているのかは知らない。知的障害者施設がそうであるように、日本の朝鮮学校もまた、過去から連綿とつらなる現在進行形の歴史である。


 知り合いも伝手もなくたった一人で朝鮮人学校を訪ねるのは、じつはちょっぴり心構えが必要だった。勝手が分からない不安である。校門から分からないままに入っていって、グランドで準備をしていた女性に声をかけるとわざわざ受付まで案内してくれた。名前と連絡先を記し、スリッパを借りて、待っていると当日のパンフレットを持ってきてくれた。写真を撮っても構いませんか? と訊くと、先生らしい中年の女性は大丈夫だと云う。生徒さんは顔が映らないようにしますので・・ とのわたしの言葉に、そんなことは気にしないで、もう全然自由に撮ってください、と笑う。じっさいに、そんな雰囲気だった。咎められることは何もなかった。

 ぜんたい、学校を、教師や生徒たちを、保護者や関係者の枠を超えてここまで自由に公開して見ず知らずの人間も受け入れる、それを必要とさせているものは何だろうか。日本の一般の学校がここまでするだろうか? しないだろうな。必要がないからだ。では朝鮮学校に於いて必要とさせているものとはなにか?

 階段ですれ違う先生たちはみんな挨拶をしてくれる。9:05からの公開授業。さいしょは勝手が分からずに、「時間になったら教室に入れるんですかね?」と廊下で声をかけた若いお母さんといっしょに入ったのが中学生の国語の授業だった。その後、手元のパンフレットで確認して高校生の現代史の授業の教室へ移動した。授業はすべて韓国語なので、わたしはもちろん理解できないが、モニターや黒板の内容からどうやら戦後の日本での民族教育の変遷についての授業だと理解した。言葉は分からないが、先生の熱意、生徒たちの真剣さや笑いや息遣いは伝わる。


 校舎はとても古い。男子トイレで使用不可の貼り紙がいくつも貼られていた。ベニヤが剥がれたままの扉もあった。冷暖房もおそらく充分ではないだろう。高校生のかれらが座っている椅子や机はまるで廃校になった小学校に残されたアンティークのようだ。それでもかれらにとって、かけがえのないウリハッキョ(わたしたちの学校)なのだ。黒板の横には朝鮮半島の地図がひろげられている。それは世界各地に散ったアルメニア人たちにとってのアララト山のようなものだろう。


 窓から外を見ると、見慣れた東大阪の街並みがひろがっている。外の世界の多くの日本人はここを知らない。そしてここで韓国語で語り合い、みずからのルーツを確認し合った生徒たちはすこしだけ心を硬くして外の世界へ出ていく。10:10から多学科総合探求の発表。わたしは中学生の「全国の日本の方々にウリハッキョを知らせる方法とは?」や、高校生の「社会にまん延する「lookism」について」などを覗いて回った。


 その隣接する文化会館へ移動、生徒たちによる舞台公演の前に主に保護者へ向けてだろう「新校舎建設に関する説明会」があった。約20億をかけて年末から新校舎の建設が始まるにあたって、周辺住民への説明会の段取りや、また落札した中堅ゼネコン会社が朝鮮学校の受注をおおやけにしたくないために別の会社を間にはさんでいるなどという話もあった。


 舞台発表は愉しかった。わずかに設置された灯油ストーブはほとんど機能していなかったけれど、会場は熱気に満ちていた。朝鮮舞踊は愛嬌があって慎ましい。「岸田さん、これがわたしたちのウリハッキョ。バイデンさん、これがわたしたちのウリハッキョ」と皮肉も効かせた韓国語、日本語、中国語、英語の4か国語による舞台も予想以上によかった。合間にスクリーンに写し出される戦後のGHQと日本政府による民族教育弾圧の場面。日本にはじぶんの国がアメリカと戦争をしたことも知らない学生もいるらしいが、この朝鮮学校の生徒たちはみんな、じぶんたちの学校がかつて背負い、そしていまも背負い続けているものをしっかりと受け継ぎ、抗っている。最後の「民族衣装披露舞台」も優美であった。


 たっぷり堪能してグランドへ移動したら、お待ちかねの模擬店だ。どうやら食券を購入しなければならないようだと並ぶと、購入は千円単位だという。一人で千円もいらないけれどと思ったが、愉しませてもらった舞台のチケット代わりだと思って結局、オモニ会のキーマカレーとパン、塩豚丼、生徒店舗のホットドック、最後にプルコギ・トルティーヤと使い切って、もうお腹がはち切れそうだよ。


 予想していたより日差しが温かく、グランドいっぱいに並べられた長机に家族連れやじーちゃん、ばーちゃん、卒業生などがそれぞれ集って、ステージのバンド演奏をBGMに楽し気に語り合っている。わたしはここで語り合う相手は誰もいないけれど、ここでの半日の滞在をしずかに受け入れてくれた朝鮮学校に感謝をしたい。


 わたしにとっての今日いちばんの収穫は、朝鮮学校が未知=見えない存在でなくなったことだ。見えない存在でなくなるということは、一人びとりの顔が見えるということ。かのナチスの忠良なるアイヒマンが言った「百人の死は悲劇だが、百万人の死は統計にすぎない」。わたしたちが抗うことができるのは、百人であっても百万人であっても、「朝鮮人」というある種抽象的なイメージの先に一人びとりの顔を、一人びとりの息遣いをとり戻すことではないだろうか。わたしは今日見てきた大阪朝鮮中高級学校のたくさん生徒たちの顔をいま、思い出すことができる。


 京都の朝鮮学校襲撃事件の民事裁判に於いて、あるオモニは「わたしの願いは、この日本社会で『朝鮮』という言葉が何の違和感もなく使えるようになること」だと語った。「朝鮮人」という属性からあらゆる負性が取り除かれ、生徒たちの朝鮮舞踊のように誇らしく朗らかに舞う日が来ることをわたしも夢見る。


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