雑談148■評価の変化

発売当時は全く評価されなくて、売る側がロクに宣伝もせずだったものが、何十年も経って高く評価されたり、売る側もコロっと態度を変えて「我が社の名作です」と主張する、なんてことはよくある話だ。
「何を抜かしてやがる!」と怒りたくもなるけど、その時代によって評価の基準というものは変化するため、ある程度は仕方のないことだ。

しかし、それでも自分は「当時評価されなかったこと」が嫌いだ。

あるゲームを作った人が、発売当時雑誌で低く評価されていたものが、移植作や続編では評価が上がっていて「だったら最初から高く評価してくれよ」とボヤいているのを見かけた。

また、ある作品を手がけた人は「発売当時はグッズなんて作ってもらえなかったのに、今になって作ってもらえるなんて…」と複雑な気持ちを吐露していた。もちろん、グッズが作られるようになって喜んではいると思うが。

作った人は自信満々で、実際に出来も良いのに、売り込む人…マーケティング部門がそれを信用していなかったり、やる気が無かったりで正当に売れなかったり評価されないというのは非常に残念なことだ。

そういったことを防ぐためにも、自分は本当に面白い、良いと思ったものは積極的にプッシュするスタンスを取っている。まあ、それでも見逃してしまうことはあるし、プッシュ出来てなかったりもするが。

後に評価されるようになることには一つ仮説もあって、評価していた人が子供だったり、評価を発信しない・出来ない人たちだったというのもある。
例えば10歳の子と20歳の人とでは表現や気持ちの伝え方は違うだろうし、10歳だと語彙力も低かったりするので、正確に評価することは難しい。そういった人たちが年月を経て、上手い文章で高く評価するようになる、というのが「再評価」が発生する仕組みでもあると思う。
また、そういった人たちが社会人となり、復刻、リメイクの企画に携わるようになって「再評価」のようになる、というパターンもある。

「当時評価されなかったこと」は本当にしょうがないところもあるのだけど、でも、なんとかならないかなぁと常々思うばかり。

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