「黄金の華の秘密」を正しく読み解くために

「黄金の華の秘密」を正しく読み解くための基礎知識編 その1

これから「黄金の華の秘密」※1を新たに読み進めていく人たちのために、「黄金の華の秘密」をより正しく理解していただくための基礎知識を紹介して解説しておこうと思います。

※1)「黄金の華の秘密」では、

最終的に、私たち人類は何者なのか?どこから来て、どこへ行こうとしているのか?そして、それは何故なのか?    そして、インテリジェント・デザインとも評される生命、地球、宇宙を生み出した「偉大なる存在」の正体とその企みとは?

という遠大なテーマを、可能な限り現代科学の力や歴代の偉人等の叡智を借りて解き明かしていこうとするサイエンス・ミステリーです。

まず、最も重要な知識のひとつが「電磁波」についての知識です。

私たちが一般的に「光」と呼んでいるものは、物理学的には「電磁波」と言います。

つまり、光=電磁波と覚えておいてください。

少し詳しく説明します。

光には、私たちの目に見える「可視光線」と言われる領域の「光」と、私たちの目には見えない領域の「光」、つまり「不可視光線」があります。

この違いは、単に私たちの視神経を伝わってくる情報(波動)の持つ周波数(工学的には「波長」と言う)に対する脳の処理範囲の限度によっている、ということの違いだけなのです。

ですから、例えば、梟(フクロウ)や鳶(トンビ)など赤外線の領域まで見える動物などにとっては、人間の見えない周波数領域まで「可視光線」の範囲が広がっているということになります。

私たち人間は、ともすれば目に見える存在だけをこの世の全てと思い込みがちですが、ご存知のように、実際には人間の目には見えない世界が99.9%以上なのです。

嘗て、バクテリアやウイルスによって引き起こされた病気や伝染病なども、顕微鏡ができてその存在が解明されるまでは、神の祟りや悪霊の仕業とされていました。

いまやバクテリアやウイルスは勿論、原子よりも小さな素粒子の存在までもが知られるようになりました。

しかし、それでも、私たち人類が知り得ているのはこの世のほんの5%程度に過ぎないと言われているのです。

話を元の「電磁波」に戻します。

周波数(波長)の長さごとに代表的な「電磁波」を紹介すると、以下のようになります。

10+?乗km~: 超低周波

10+9乗km~: 低周波

    1km~: 長波(VLF , LF)

   100m~: 中波(MF)

    10m~: 短波(HF)  

     1m~: 超短波(VHF)

    10cm~: 極超短波(マイクロ波/UHF)

     1cm~: センチ波(マイクロ波/SHF)

    1mm~: ミリ波(マイクロ波/EHF)

 1mm~6μm:赤外線(遠赤外線/サブミリ波~テラヘルツ波) 

6μm~1500nm:同上(中赤外線)

1500~760nm: 同上(近赤外線)

800~435nm: 可視光線(赤紫、赤、橙、黄色~緑~青、紫)

380~315nm: 紫外線(近紫外線/UV‐A)

315~280nm:  同上(中紫外線/UV‐B)

280~100nm:  同上(遠赤外線/UV‐C)

 100~10nm:  同上(極遠紫外線or真空紫外線/UV‐C)

   1~0.1nm: X線(※放射線)

0.1~0.01nm: γ線(※放射線)

※放射線としては、上記のX線や γ線の他に、高速粒子線としてβ線、α線、陽子線、、パイ中間子線、ミュー粒子線、電子線、太陽宇宙線、銀河宇宙線、中性子線などの放射線がある。

用途で言えば、長波や中波は「 AMラジオ」 として、また短波は「無線」、超短波は「アナログテレビ」や「FMラジオ」などとして活用されていますし、極超短波は「マイクロ波」「携帯電話」「電子レンジ」「ディジタルテレビ」 などに活用されています。

更には、遠赤外線は「温熱器や治療器」など、近赤外線は「レーザー光線」として、X線はレントゲンや放射線治療などで「 医療」に、γ線も放射線治療などで「医療」に、或いは「非破壊検査」などに活用されています。

また、放射線は、近年の核実験や多発する原発事故などによっても、飛散する放射性物質の原子核崩壊に伴って放出されることが一般人にも広く知られるようになって来ています。

<補足>

電磁波は、「電場が変化するとそのまわりの空間に磁場が生じる」「磁場が変化するとそのまわりの空間に電場が生じる」という電場と磁場の持つ性質により、振動する電場の変化により磁場が作られ、この磁場の変化によりまた新たに電場が作られる、という現象を繰り返してまわりの空間に伝わっていく波のことです。この波は光の速さで伝わる波であり、主な電磁波としては、光、X線(レントゲン線)、ガンマ線(γ線)などがあります。

 ヘルツ(1888年)が初めて電気火花により電磁波を発生する実験に成功し、マルコーニ(1895年)がこれを無線通信に応用しました。

 マクスウェルは電磁波の存在を理論的に示し(1864年、マクスウェルの電磁理論)、後に光もまた電磁波であるという光の電磁波説も示しました(1871年)。

 上記の様に、光は電磁波の一種であり、波長が約1mm~10-9mの範囲にある電磁波を光と呼んでいます。光は赤外線、可視光線、紫外線に分けられ、[(長い)赤外線>可視光線>紫外線>X線>ガンマ線(短い)]の順に波長が短くなっています。

 17世紀には、光は微粒子の流れであるとする説(ニュートン)と、波動とみなす説(ホイヘンス)が対立しましたが、アインシュタインの光量子仮説(1905年)以後、量子力学によって光の持つ波と粒子の両方の性質が統一的に理解されるようになりました。

「黄金の華の秘密」を正しく読み解くための基礎知識編 その2

科学的なものの見方、多角的なものの見方、数学的なものの見方、

宗教的なものの見方、政治的なものの見方、経済的なものの見方、歴史的な観点からの見方、

。。。ひとつのことを可能な限り、さまざまな切り口から眺めてみる。

このような手法を「観自在」といいます。

例えば、私たち人間をy=F(x)とすると、F(x)/dx=体細胞となります。

更に微分していくと、さまざまな「生命分子+遺伝子」となり、

3回微分、4回微分では、「原子」「素粒子」となっていきます。

これらの考察の過程で、「輪廻転生」や「色即是空、空即色是」の意味や、その正しさが科学的な観点から解明されていきます。

更には、私たちの進化や宇宙人の存在なども。

そして、素粒子の観察から、あの世とも言うべき「異次元世界」の存在が科学的な仮定に基づいて推測されるに至っています。

また、y=F(x)を積分すると∫F(x)dx=人間社会となり、

更に積分すると「国家」となります。

3回積分、4回積分すると「地球(世界+自然)」「宇宙」となります。

これらの関数に時間軸を与えて3次元にすると、「生命(活動)」になり、或いは「歴史」になります。

更には、数学的な「折り畳み理論」を加えると、この世の曼荼羅構造から「異次元世界」を推論することも可能になる」のではないか、とも思われます。

また、社会学への数学的な応用理論である「社会学カタストロフィー理論」を用いることで「何故、歴史が繰り返されるのか?」ということが分かり、且つ、いつ(ひとつのパラダイムが)終わるのか、ということが凡そ分かってきます。

つまり、大げさに言えば、凡その「未来が分かる」と言うことです。

このようなことを統合的に眺めると、一つ一つの歴史的な出来事は、或いは日常の出来事さえも、仮に全てが独立事象であったとしても、

最終的には予定調和の範疇でしかないという恐ろしい事実に突き当たります。

つまり、「一人一人の運命だけではなく、全人類や地球の運命が定められている」ということです。

そして私たち人間や自然、或いは地球を構成する原子というミクロの世界を覗き込むと、その電子の挙動は雲のように、或いは霧のように、まさに漠としていて、その存在位置は確率論でしか論ずることができないのです。

つまり、未来=運命は定まっていない、と言うこともできるのです。

また、アインシュタインが予言した「光より速いモノが存在すれば、

タイムトラベルは可能である」ということは、

非局在的な電子情報の伝達の観察によってその可能性がほぼ推測的に確認されています。

とすれば、タイムマシン理論が持つ「パラドックス」の矛盾を打ち破る「パラレルワールド」の存在を肯定せざるを得ない、ということにも繋がってきます。このことは単なる面白半分のSFごっこではなく、純粋な科学的考察ということに於いてそう考えざるを得ない、ということなのです。

またタイムマシンの肯定は、「過去」「現在」「未来」が同時に存在している、という驚くべき事態の肯定へと繋がってきます。

繰り返しますが、これは単なるオカルトチックな妄想やファンタジーの類ではないということなのです。

そして、「ブラックホール」「ホワイトホール」「ワームホール」などの予想される存在は、異次元世界、タイムマシーン、UFOなどの存在と密接に繋がっており、

いままさに世界の英知である理論物理学者のトップを走る最先端の研究者たちがこの「異次元世界」などの分野の解明に殺到しているのです。

21世紀には、かなりのオカルト現象に科学のメスが入り、解明され、やがて常識へと変わっていくことでしょう。

その時代のさきがけとなるべく、観想実験によって一足先に未来体験をして行きましょう。

その為の水先案内人となれるように「黄金の華の秘密」を書き続けて来ましたし、これからも書き続けていきます。


☆「黄金の華の秘密」シリーズについての基礎知識編 その3                         

目に見える世界が全てだと信じている人たちには関係の無い世界ですが、私達の住んでいる世界ですら目に見えない世界が97%以上を占めているのです。

これは、理論物理学者や宇宙物理学者らによって認知されている科学的な事実なのですが、いまだに「私は(自分の)目に見える世界しか信じません」と公言してはばからない御仁が多くいることも事実です。

そのような人たちにとっては、この「黄金の華の秘密」の内容がキチガイじみて見えるようです。そして私のことをカルト信者と罵る人すらいるのには閉口してしまいます。

愛読者の方々には言うまでもないことですが、この「黄金の華の秘密」シリーズは、古代からの叡智を基に、量子物理学や分子生物学、西洋・東洋医学などの最先端の科学を駆使してこの世のオカルトを解明していこうというコラム&エッセー形式ショート・ショートのリレーで全体を形成するというタイプのオリジナル・サイエンス・ミステリーなのです。



以下は、某SNSのブログで連載中の折々に書いた「Coffee Break」などをまとめてみました。「黄金の華の秘密」を読んでいく上でちょっとした参考になると思います。

Coffee Break その1

現在の新規「黄金の華の秘密」シリーズは、第71話からとさせてもらいました。以下にその理由を記します。

昨年までに第1~19話までを書いていますが、他に「翻訳とリメイク」「仏陀と仏教」「イエスとキリスト教」「時間と感覚」「死んだらどうなる?」「アセンション」「ディセンション」その他で、100話以上の関連の話を書いています。

いわば、「黄金の華の秘密」は既に100話を超えているようです。どこかで編集圧縮して20話~70話として完成させたいと思います。

ということで、今回のシリーズは71話からと表題を書き替えさせていただきました。

悪しからず、ご了承ください。

なんとか、100話~150話程度に収まるように書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

以下に、私が書きたいテーマを列挙しておきます。

タイトル

「オデッセイ ー変容への旅ー」として、目に見えない世界、或いは日常あまり意識に上らない世界をテーマにしています。

第1テーマ

〇私たちはどこから来たのか?

 ・DNA、ミトコンドリアの謎、スーパーナチュラルの存在 

〇古代原始宗教の発生

 ・アニミズム、山岳信仰

〇古代人の叡智

 ・シュメール文明や古代インダス文明、古代エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明

〇身(神)体の秘密

 ・ヨーガ、仙道、気功など

〇古代神話について

・ギリシャ神話、エジプト神話、日本神話、旧約聖書等について

第2テーマ

〇原始宗教の誕生

 ・ゴータマ・シッダルタ、老子、イエス・キリストなど

〇原始宗教の伝播と拡散

 ・チベット密教、神仙思想~道教、東方基督教会、鬼道~古神道、

〇宗教の変質

 ・ヒエラルキー支配の為の宗教(「道具」としての宗教)の出現

〇巨大宗教の暗部と裏面史

 イデオロギー対立が引き起す悲惨な戦争の裏事情

 バチカンが支援したヒトラーのナチズムなど

〇現代社会が抱える政治と経済、環境、教育の問題について

 ・政治への提言

 ・経済の問題点と予測

 ・地球温暖化とエコロジーについて

 ・あるべき理想の教育とは

第3テーマ

〇私たちは何者なのか?

 ・私たちの本質(生苦、老苦、病苦、死苦の四大苦)について、

 ・なぜ戦争が起きるのか?

〇常識上の私たち

 観念論的身体観

〇現代医学から見た身体観

 唯物的身体観、現代医学と病気

〇科学の目で見る私たち

 スカスカな私たちの身体

〇観自在で観る深遠なる身体観

 ・エネルギー体としての存在、アーユルベーダの身体観

 

〇東洋医学の身体観

 ・ホルモンの奇蹟、魔法というウィルス

第4テーマ

〇私たちは何処へ行くのか?

 ・私たちの使命(何のために生まれて来たのか)について

〇アセンションについて

 ・次元上昇の扉の向こう

 ・2012年12月に何が起きるのか?

〇黄金の華の秘密の真理について

 ・この世は曼荼羅構造で出来ている

 

〇神秘学的考察

 ・パワースポット、パワーストーン、ダウジング、ヒーリング、易、占星術、数秘術、白魔術

〇スピリチュアリズム批判

 ・巷に溢れている商業的スピリチュアリズムや新興宗教に騙されてはいけない!

第5テーマ

〇願望実現のための秘密の教え

 ・引き寄せの法則 

 ・タントーラ・ヨーガ、チベット密教、エソテリック・ティーチング、真言密教など

 

〇アストラル・プロジェクション

 ・願望を実現させるためのパワーは何処からやって来るのか?

 ・超感覚意識とホルモンの関係に付いて

 ・マントラやムドラー、チャンティングなど

 ・アヤワスカなど、ドラッグについて

〇アストラルパワーを身につけるためのエクササイズ

 ・呼吸法、瞑想、イメージ・トレーニングなど

 ・身体を鍛える~古武道や合気道、ピラティスなど

 

〇真の幸福は、現実的な健康生活から

 ・三丹について

 ・少食と断食、薬草の知識等

 ・健康的なSEX

 ・日常生活に取り入れたいヨーガや養生気功、太極拳、デトックスで「氣」の巡る身体に変身



Coffee Break その2                  

現在も含めて、未来は全て「過去」だった!という衝撃的事実を乗り越えたその先に、はたして取りつく島は見つかるのでしょうか?

もし、見つからないとしたら、人生には虚無しか残っていないことになります。

勿論、そのようにはならないことは、誰でも直観的に、或いは暗黙知として知っているはずです。

混乱が飛び去った後のパンドラの箱の底には、必ず「希望」が残されている、と。

ただし、その希望に与(あず)かれる者は、「自力本願」の者ではなく、ましてや「他力本願」の者でもありません。

禅の世界でいう「自他一如」を理解し、体現できる者だけが、最後の希望に触れることができる者となるようです。

Coffee Break その3                  

残りも、あと10~40回程度で終了します。

(まだ、決めていませんが、120~30話くらいで終わると思います。)


ホーキング博士らの登場を待つまでもなく、観自在によって「未来が過去であるという」という事実を発見することは簡単だったように思います。

しかし、それにしても、多くの人たちには、

「未来が過去であるという」という事実は受け入れ難いことだと思います。

ここで、少し頭の体操をしてみましょう。

1.近未来(仮に2020年としておきます)にタイムマシーンが完成すると仮定して、

2050年の世界にも、より進化したタイムマシーンが存在しているであろうということは想像できますか?

2.(1で、想像できないとした人は、仮定条件を無視している人だと思います。~そのような人は、数学的科学思考ができない人ですから、ここでGAME OVERです。)

想像できた人は、現在のあなた自身をA,2020年の自分自身をB,2050年の未来人をCとして、この三者の目線で3パターンの思考をしてみて下さい。

3.タイムマシーンを使って、Bが2009年の世界のAに会いに来ました。

2009年は、Aにとっては現在ですが、Bにとっては?

答え:(Aにとっての)現在=(Bにとっての)過去

4.次に、Bは2050年の世界に行って、未来人Cに出会いました。

2050年は、Bにとっては未来ですが、Cにとっては?

答え:(Bにとっての)未来=(Cにとっての)現在

5.今度は、未来人Cが、2020年のBと、2009年のAに会いに行きました。

2020年は、Bにとっては現在ですが、Cにとっては?

答え:(Bにとっての)現在=(Cにとっての)過去

2009年は、Aにとっては現在ですが、Cにとっては?

答え:(Aにとっての)現在=(Cにとっての)過去

あなた(A)からみた未来2020年も、(Bからみれば)現在であり、(Cからみれば)過去なのです。

数学的な表現を使えば、「過去=現在=未来」ということを意味します。

つまり、時間の移動ができるとすれば、現在と過去、或いは未来との区別に意味がなくなってしまうのです。

それは、現在の物理空間において、東京にいることと、大阪にいることに時間の区別がないことと同じ、という意味になるのです。喩えをあげてみましょう。

お昼の3時に東京にいるAさんから見れば、(交通機関による移動時間を考慮して)大阪には5時にならなければ存在することが不可能だとしても、大阪在住のBさんから見れば、当たり前のように3時には大阪に存在しています。当然、Bさんは5時にも大阪にいます。

東京のAさんから見れば、

3時=東京、

5時=大阪、というふうに見ることが可能ですが、

一方で、Bさんにとっては、

3時=大阪、

5時=大阪、となります。

つまり、東京=3時=大阪という等式が成り立ちます。

数学的に見れば、

東京=大阪、ということになります。

これを可能とする簡易な思考には、幾つかのオプションがあります。

要は、物理空間の制限をなくせばいいわけですから、

ひとつは、Aさんを大気とみなせば、クリアできます。

大気から見れば、東京も、大阪も足下にあるわけです。

(別な言い方をすれば、大巨人がいて、その足幅が、日本列島ほどの長さがあれば、東京~大阪間の距離は、時間的な差異がないも同然になります。)

もう1つは、テレポーテーションでしょうか?

3次元空間という物理制限を外すと、なんでもあり、になります。まさに神の世界です。

とすると、タイムマシーンができると、一部とは言え、擬似的な神の体験ができることになります。



Coffee Break その4                  

これまでの確認をしておきましょう。

本来、宗教の求めるものは、共通した同じものであるにも関わらず、翻訳のために、方言が生まれるようにして沢山の神々と宗教が生まれ、まるで違うもののように思われてしまっている、ということ。

神や悪魔、或いは幽霊のような姿を持った像は、そのほとんど全てが、ノイズによるものや、霊感があると称する者たちの妄想によるものだ、ということ。(稀に例外はあり。)

私たちは、そのもの自体を直接に見ることはできない※。

そして、見ている対象物は、いつでも過去のものであり、

誰一人として現在の対象物を見ることはできない、ということ。

※私たちが見ている映像は、対象物にあたった光(=電磁波)の跳ね返りが(時間遅れで)眼球、視神経を通り、脳の視覚野で受け取った電磁波信号を映像に結ぶように処理して出来ているのです。そして、これを「見える」とか、「見えた」と言っているのです。

よって、私たちが見ているのは、対象物ではなく、反射光であること。まずはこのことを認識しておくことが必要です。

つまり、反射という時間経過により、処理した映像は過去の映像である、ということ。

理解しやすい現象は、数十万光年離れた星の光を見ることです。私たちが見ているその星の光は、その星が数十万年前の過去に放った光なのです。ですから、ひょっとすると、その星はもう既に存在していないかも知れません。

私たちが見ているのは、いつでも、どんなときでも100%反射光(=電磁波)だけなのです。

A.アインシュタインの登場と、量子物理学が、宇宙の誕生(時間の始まり)の仮説を立てる過程で、理論的に未来に行けることが分かってしまった、ということ。

そして、そのプロセスにおいて、「過去=現在=未来」であり、現在や未来も含めた、私たちの知る全ての時間が、実は「過去」である!という衝撃的な事実が分かったということ。

このことが、過去生と輪廻転生の正体でもある、ということ。そして、これは同時に進行していて、ある意味では未来永劫続いていく、ということ。

パラレル・ワールドと、フェイク・ワールドの存在。

上書き保存によるパラレル・ワールドの消滅があり、そのことが運命というハンドルの遊びになっている、ということ。

(つまり、そのことは「運命を変えられる」ということの意味につながっている。)

私たちの世界は、もうすぐ終わりを迎えるかも知れない、ということ。(数年から数十年の間に・・・)

しかし、それは2012年問題とリンクしているのか、どうかは、今のところは分からないが、何らかの意識的なパラダイムシフトは起きるかも知れない、ということ。

実は、過去でない未来がありうるということ。

そして、その体験は、おそらくごく少数の人しか体験できそうにないこと。

そのためには、自他一如の理解と体現が必要なこと。

そして、

私たちが知るべき事とは、「自他一如」の方法論と、「過去でない未来」の正体の、2つであるということ。


[コメント欄から私のコメント部分抜粋]

さて、大乗と小乗の違いですが、多くの人は勘違いがあるので、少し説明しておきます。

まず、原始仏教を小乗仏教の範疇に入れている既成の解釈は間違っています。後で説明します。

大乗は、後世の創作で、主に信者獲得の方便として生まれています。その際に、個人主義的な器量の狭い考え方として修行に没頭するグループを小乗というふうに蔑称として皮肉ったのです。

ですから、小乗仏教というのは、本来存在しないのです。

(大乗仏教側から見た場合のみの存在。)

大乗のベーシックな考え方は、既に釈尊の中に見られます。これは期せずして、イエスも同様です。

因みに、現在の大乗的な博愛主義は、ミトラ信仰の取り込み(パクリ)によって出来上がったものです。

彼らは、まず「自力本願」で覚醒しています。そのあとに弟子にそのハウツー(毎日の瓶、缶の拾い方?^^;)を教えています。

同時に、病める人や悩める人の救済を行っています(慈悲・利他)。しかし、これは自力で自己救済できる者たちも救おうという活動ではありませんから、現在のような大乗的発想ではありません。

まずは、自己を救い、次に他者を救おうと思うことが大事で、何もせずに大乗的感覚で救われようと思う人は、残念ながら救われないように思いますね。

親鸞聖人が「悪人正機説」を言い出した時に、安易に悪事に走った信徒が続出した事件があったようですが、

実際に大乗的思想は、弊害の方が多いようです。

自力では自己救済が難しい弱者が大乗で救われることは素晴らしいことですし、釈尊も、イエスもそのように考えていたようです。

ただ、健全なるものには、「(自分が)救われることを考える以上に、救う側に回らなければいけない」ということを説いたのではないでしょうか?

実際に、マグダラのマリアやその兄、またトマスなど、多くの弟子たちが世界各地に散らばり、宣教や癒し(利他)の他に、エクササイズ(自力)のハウツー伝道を行っています。トマスが布教した東方基督教には、その色合いが濃く残っており、その後バラモン修行と融合して少林寺拳法や少林寺気功が生まれたという説もあるほどです。


(某氏のコメント)>歴史を振り返ると、真実はいつも隠され、偽者が本物をたたきつぶしています

悪貨は、良貨を駆逐する、ですからね^^


(某氏のコメント)>どのコースを選ぶかは自由です。虚無と豊かさは硬貨の表と裏の関係です。どちらがでてくるかはその人次第であると考えています。

そうです。

(某氏のコメント)>仮に小乗的な目的を持ったエネルギーが 存在するならば、、それを包含する 高次元のエネルギーがある。 

これは、まったく正しい観想です。

そのような構造になっているようです。

ただ、自力放棄の他力本願者には、輪廻転生しか道がないようです。



Coffee Break その4(「黄金の華の秘密155」)

■奇跡の実現                            

能力が瞬時に5~6倍にアップすると奇跡が起きます。

喩えて言えば、あなたの、或いはご主人の給料が月収40万円からいきなり月収200~240万円に上がるようなものです。

どうです?奇跡と言っていいでしょう?!(笑)

まぁ、実際には、「月給を瞬時に5~6倍にアップ!」というわけにはいきませんが、健康に関して言えば、誰にでも簡単に可能です。

その鍵はミトコンドリアが握っています。

如何にミトコンドリアを働かせるか、これが重要?なのです。

しかし、困ったことにミトコンドリアの活性化は、間接的に老化とも関係があります。

老化を抑え(=アンチエイジング)ながら、如何にしてミトコンドリアの活性を利用するか、・・・これは難題ですが、仙道では、そのことを可能とする方法について詳しく述べられています。

ここでも、太古の知恵が現代の先端健康医学を凌駕していることが明らかになっています。

何故、私たちは太古の知恵を放棄してしまったのか?

実は、権力者たちがこれらの知恵を独り占めして、大衆から遠ざけて来たという歴史的事実が古今東西の世界の歴史に見られます。

そのような中で、科学の台頭により、いよいよオカルトな世界として遠ざけられてきたようです。

いまや、オカルト世界のことを真面目な顔して語ると白い目で見られるのがオチというものですが、・・・

一番の問題は、博識な常識人が率先して「奇蹟」を起す超能力の世界から積極的に目を背けることです。

そのようなオカルトチックな世界は、現実的でないとばかりに、「奇蹟」は神の領域のものであるとしています。

迷える子羊たちは、ただ祈ればいい、という、なんとも消極的な「奇跡」肯定に終始しているのが現実です。

ところが、その一方で、最先端の科学の世界では、既にある種の超能力現象が確認されており、発現のメカニズム、或いはその能力の取得方法など、さまざまなことが解明されつつあるのです。

歴史的に見て、このような科学的事実が公知となるのは、50~60年、或いは100年程度かかるのが普通です。

しかし、その恩恵の凄さを考えると、なんとか、今すぐにでもその全容を知りたいと思うのが人情というものでしょう。

嘗て、同じような現象が起きたのが、高野山の真言宗の誕生なのです。超能力を手に入れた空海に学び、修行して同様の能力を手にしたいと願った当時の超エリートたちが修行僧となって密教の修得に励んだのです。

しかし、多くの人には、縁遠い話であることも事実です。

そう簡単に修得できるわけではないのですから。

とは言え、時代が流れ、かなり機序が解明されて来て、現在では、誰でも、簡易なレベルであれば超能力の発現が可能になりつつあります。

でも、それでも近寄りがたく考えている人たちも多いのですけどね。

それは、常識という催眠と、オーム真理教など怪しげな新興宗教の存在が邪魔をしているのでしょう。

なんとなく、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という感じもあるのかも知れません。

しかし、私見を言えば、「宗教に入るから問題が生じるのであって、最初から宗教などに頼らなければいいのではないか?」という単純な考えが、どうして受け入れられないんだろう?と素朴に思います^^;

神秘学では、徹頭徹尾そのような思想に基づいているので、そのような心配がないのですが・・・

「神は自らの中にいて、信者は自分一人」、という「自分教」ですからね。

そして、この独立個人である自分教の人たち同士は、まさに「真理を共有する仲間」なのです。



Coffee Break その5

■この世にある不思議な現象について

私たちは日常的に認知している現象に関しては「神秘現象」をあまり「不思議なこと」だとは認識しません。

たとえば、

人間の体の中(正確には、女性の子宮の中)で人間が製造されるということ。

勿論、他の動・植物であっても同様です。

何故、魚は水の中で生活できるのだろうか?ということ。

小指ほどの大きさもない「芋虫」がやがて親指ほどにも成長していき、ある時「さなぎ」となって、終いには「蝶」に変態してしまうこと。―――「身変通」

夜行性の動物が、どうして真っ暗闇の中で自由自在に行動が取れるのか、ということ。―――初歩の「天眼通」

トンビがどうして、遥か上空から地上にいる小動物を見分けてとらえることができるのか、ということ。

―――初歩の「天眼通」

犬がどうして、遥か遠くの音を聴き分けることができるのか、ということ。―――初歩の「天耳通」

犬猫や、ネズミ、雀などの動物たちが、どうして地震の直前に騒ぎだしたり、姿をくらませたりするのか、ということ。

―――予知能力

挙げれば、きりがありませんから、この程度にしておきます。

勿論、これらのことは科学的にほぼ説明がつきます。

しかし、人間の能力と比較して言えば超能力と言っても過言ではない能力でしょう。

以上の能力を動物のことで、「人間の能力ではないから意味がない」と考えてしまっては思考停止に陥てしまいます。

「どのような機序で、そのような現象が起こっているのか」ということと、「故人間には(現時点で)不可能な能力なのか?」

或いは「どうすれば、人間でもそのような能力が持てるのか?」と論理的に考えることが未来に繋がっていきます。

勿論、必ずしも超能力の発現だけに繋げなくても構いません。

「どうすれば、鳥のように大空を飛べるようになるのだろうか?」と考える人間がいたから飛行機が生れ、私たちの多くはその恩恵に浴しているのですから。

しかし、初期の頃にそのようなことを考えた人たちは、周りの人々(凡夫)の嘲笑に塗(まみ)れたことでしょう。

しかし、そのような凡夫は何も新規なことを生み出さないことを知っておくことも大切なことです。

嘗て私たちはコアセルベートと呼ばれるアメーバでした。

やがて魚になり、トカゲになり、サルになり、現在の人間になりました。

そして、その時の記憶(能力)の全てが私たち人間のDNAの中に遺伝情報として残っているということも分かっています。

と言うことは、その能力の情報はDNAの中に蓋をされて保管されているということです。

勿論、その能力のうちのいくつかは呼び覚ましたところで役に立たない場合も多いでしょう。

たとえば、魚のように水の中で生活するのには「えら」が必要でしょうから、その能力の活用は難しいように感じられます。

しかし、お釈迦様のあげた6つの神通力に関しては実現が可能なように思われます。

それ以外にも、「氣」を使ったヒーリングは現実に世界中で活用され始めています。

気功では「氣」の力の活用として。

スピ系の世界では「アストラル・エネルギー」の活用として。

人は知らない世界のことを異常に毛嫌いするか、疑うものです。

嘗ての私もそうでしたから、その気持ちはよく分ります。

しかも昔の私は自然科学者のはしくれでしたから、「オカルト」をスンナリと受け入れる気持ちにはなれませんでした。

そのことは、幾つかの神秘体験と現在の量子物理学をはじめとする最先端科学の研究成果が払拭してくれました。

今や、必要以上に白眼視する意味はないと考えています。

ただ、この世界は麻原のような異常者や詐欺師もウヨウヨしている世界ですから、そちらへの用心が必要なことは言うまでもないことです。

そのような意味では、新興宗教への入信は危険がいっぱいだと言えるでしょう。

勿論、すべての新興宗教が危険だとは言いませんが。

また既存の大衆宗教が無意味なものであることは再三再四述べてきましたから、もういいでしょう。

チベット密教や真言密教などは、トレーニングのハウツー&レッスン教室のようなものですから、極めて有効だと思いますが、一般の人たちから見れば縁遠い存在であることも事実でしょう。



■3000年の歴史ロマン                          

今から約3000年前に、世界では何か起こっていたのか?

その当時に生まれたものたちが、いま私たちのもとにやって来て、世界中の人たち(といっても、一部の人たちですが^^;)が、こっそりと出迎えているようです。

約3000年昔・・・西暦でいえば、BC1000年前後のことです。

中国の華北では、周王朝が成立(BC1050年)しています。そして、その50年後のBC1000年には、インドで、カースト制度を有すバラモン教が成立しています。

時は流れ、BC557年に後のブッダとなるゴータマ・シッダルタが、BC4年にはイエスが誕生しています。

卑弥呼が歴史に登場するのは、イエス誕生からから2世紀(200年)以上も後のこと(AD239年、以下AD略)になります。

325年のニケーア公会議でアタナシウス派キリスト教が正当なキリストの教えと認定され、以降、他の様々なキリスト教宗派は異端とされていきます。

いわば、合法的な焚書坑儒のようなものです。

392年にキリスト教がローマの国教と定められて、現在の世界宗教への第一歩を踏み出すのです。

その間、日本に漢字が伝えられ(285年)、国内での出来事の漢字での記述が可能となっています。

350年にはヤマト王権が成立し、日本での本格的な歴史がスタートしています。

538年には、日本に大乗仏教が伝来し、その約50年後には日本の神道的祭祈を支えていた(であろう)物部氏が滅亡(587年)しています。

622年に聖徳太子が死去し、その8年後に第1回遣唐使が派遣(630年)されています。

それから33年後の663年には、ヤマト王権の存亡を賭けた大海戦・白村江の戦いが行われています。

この戦いに日本は大敗し、戦力の大半を失ったとされています。いわば、古代のミッドウェー海戦だったのです。

その後、敵軍の来襲を恐れ、水城を築き、防人を置いたものの、何故だか敵の攻撃はなく、平和が続き、710年には平城京への遷都が行われたということになっています。

しかし、その間に起きたとされる政変・壬申の乱は、完全に朝鮮半島での事件のパクリ(翻訳)であることが分かっており、日本で起きた本当の政変を覆い隠すためのものであることが分かっています。

ただ、その政変が何であったのかは、一部の歴史学者や研究者の知るところとは言え、公にはタブーとされていることです。その事実は、天皇家、宮内庁、GHQ(当時)が事実を握っているとされています。

白村江の戦いを遡ること18年前に起きたとされる乙巳の変(いっしのへん)後、翌日には蘇我蝦夷が自らの邸宅に火を放ち自殺。蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿の四代にわたり飛鳥地方を制していた蘇我家(王権)は滅亡するのですが、その際に蘇我氏は、国立図書館とも言える全国の歴史書等を収蔵した蔵書館に火をかけて焼失させたというのです。これによって、日本の古代史が分からなくなってしまったとされています。

しかし、まったく逆のことも言えるのではないでしょうか?

(実際に、この蘇我氏による焼失事件は、「恐らく濡れ衣だろう」という説も根強くあるのです。)

実際には、白村江の戦い以降に進駐してきたGHQ(唐・新羅連合軍)によって歴史書が焚書され、そのことを時間を遡って蘇我氏がやったことにした。俗に言う、死人に口なし、ということを利用したのではないかとも推測されます。

そこで、朝鮮半島で起きた事件をモチーフに壬申の乱を創作してGHQ占領政権(平城王朝)を正当化し、過去(神武東征)以降のミッシンク・リンクをつなぐ歴史を新たに作り出すことで、万世一系の皇統史の土台を築いたのではないでしょうか?

随分と話が逸れてしまいましたが、3000年昔という間には、さまざまな出来事があり、紀元後の歴史ですら、定かではないことが多々あります。

しかし、今、私たちは3000年という気の遠くなるような年月を旅してきたものたちの来訪を受けています。

もうお気づきですよね^^

オリオン座流星群です。

これらは、オリオオン座の周辺で見られることから、そう名付けられていますが、実際にオリオン座の星々が流星となって流れてきているわけではありません。

これらの流星群は、いまから約3000年前のハレー彗星がまき散らした宇宙のチリが、いまやっと地球圏にやって来て、衝突して燃え尽きている、という現象なのです。

3000年という、宇宙的規模の歴史ロマンを感じることが出来るのではないでしょうか?

(えっ、私だけですかね^^;)



■老いることの真実                              

私の好きな作家に五木寛之という人がいます。

最近、彼の連載エッセーで「老いることの真実」という文章を読んで感じたのですが、

当事者以外、多くの人々は「老いる」ということについて直視しようとはしません。

それどころか、青春=快、老人=不快、というステレオタイプの認識が充満しています。

しかし、行き場のないフラストレーションを溜め込んだ若者や、活き活きとした老人を見るにつけ、前述のステレオタイプ的な構図は間違っているのではないか、という印象を受けます。

そもそも、

「青春(=16歳~30代前半)」とは、

論語的にいえば、「学を志す(=立志)」時代です。

つまり、青春は緑の時期であり、未熟さを意味し、これから 熟していく勢いを増していく時期だということです。

両親や周りの人達の援助を受けて、勉学にいそしみ、

社会に出て、新しい自分の家族を起し、ひとり立ち

をするための準備の年代です。

希望に胸を膨らませ、一方、挫折感にさいなませられ

ながら自分の活きる道を試行錯誤する年代、ということなのです。

簡単に言ってしまえば、未熟者、ということです。

青い春が過ぎると、次に赤い夏がやって来ます。

朱夏です。

朱夏は、2つの時期に分かれます。

前半は、30代前半~40代後半で、論語的には「身を立てる(=立身) / 惑わず(=不惑) 」という時期に当たります。

そして 後半は、40代後半~50代後半で、同じく「天命を知る(=知天命) 」となります。

総論でいえば、人生の夏であり、人生の真っ盛りの年代。この年代の前半は、子育てにおわれ、与えられ仕事をこなし、 一人立ちする年代で、後半は、今までの成果の刈り取りをし、次の白秋、玄冬へとつないで行く年代、ということになります。

『朱夏の女たち』を著した五木寛之氏に よれば、 30~40歳ごろが朱夏だそうで、朱夏をどう生きるかでその後の人生が決まる、としています。

朱夏の生き方で、さまざまな人生に分かれていきます。

大半は、余生と言って、生きていながら死んだ状態の人生を歩みだします。希望のない思考停止、或いは悩み多き死にながら生きる人生です。

さて、上手く朱夏を乗り越えた人には、第2の人生(セカンド・ライフ)が待っています。決して人生の余った時間ではなく、白紙の人生に、活き活きと新しき絵を描き始めるのです!

白秋です。

論語的に見れば、「耳に従う(=従耳)」に当たります。

偏見や先入観から離れて、真綿に水がしみ込むように、真実を得け入れることができるようになります。

最後は、白秋を乗り越えた先に黒い冬が待っています。

玄冬です。

これは、論語的にいえば、「 矩を超えず(=不超矩)」ということになります。

分かり易く言えば、「思うままにふるまっていて道を外れない」というような意味です。

つまり、覚醒者のような、或いは仙人のような境地です。

残念ながら、ここまでたどり着ける人はごく少数ですね。

多くの人は、上手く朱夏を乗り越えられず、思考停止に陥ってしまうのです。保守的になり、成長(=変化し続けること)を止めてしまうのです。

現状への安住を好むようになります。

それまでに築き上げてきた知識や経験をリ・セットして、白紙にはできないのです。(持てる者のジレンマとでも言うのでしょうか?シガラミが多過ぎるのです。)

ところで、各色を見ていくと、

青は「自由」を、赤は「平等」を、そして白は「博愛」を表しています。

そして、最後の黒は・・・?

因みに、幽玄、玄人、玄風とは老子のといた「道」のことを言います。

さしずめ、真理に辿りついた人生の達人(プロフェショナル)、というところでしょうか?

こうして見ていくと、老いを嫌って「万年青年」を目指すことは、新しいタイプのピーターパン症候群のような気もしてきました。

そして、同時に、老いることを嘆くのではなく、白秋や玄冬を迎えられないことを恐れるべきなのではないか、と思った次第です。

朱夏後期の思考停止は、白秋・玄冬へとつづく「道」の門を閉ざしてしまいます。

しかし、多くの者たちは、閉ざされた門の前に掘立小屋を建て(←思考停止のこと)て、そこに安住(保守化)してしまうのです。

いずれやって来る「四苦」の恐怖におののかされることも知らずに・・・。


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