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不安という得体のしれないもの

このnoteで書いてきたように、自分は、今、京都は浄土寺のホホホ座の2階で、「hand saw press Kyoto」という印刷所を始めているわけですが(こちらの詳細に関しましては、3/24に公開が始まった「好書好日」に掲載されております)、それとは別に、2月の終わりから毎週火曜日・水曜日のみ、京都の出町を少し下がったところにある「山食音」にて、「山食音のなぎ曜日」として、昼間の間(11:30〜17:00)にヴィーガンの定食を出させていただいております。今週で、5週目になるのかな? 週2日だけ、それでもなかなか大変だけれど、かなり面白く、そして、自分が料理を作ることが思った以上に好きだった、ワクワクする気持ちを残していたということに改めて気付かされました。

そして、それ以上に、自分が「場所」ということに対して感じていること、感じ続けてること、それを再確認することができたな、と。

この数週間、COVID-19禍の中、果たして飲食店や人が(少しだけれど)集まる場所をやることがどうなのか? ということをずっと考えています。もちろん経済的な理由もあるけれど、今週は「お客様が一人も来なくてもやろう」と思いながら店を開けることにしていました。それは、自分が3.11の時に思ったとある考えがベースになっています。

震災の直後、自分の店(東京は渋谷で、なぎ食堂というヴィーガン食堂を13年続いています)は臨時休業としながらも、帰宅困難になった方への休憩所として店を開け、ちょっとした飲み物や食べ物を出す形で運営させていただきました。また、ネットは繋がっていたので、この場所で情報提供をする、という形をとって、集まってきた方々といろいろと話しながら、電車が再開し、深夜2時くらいまで対応していたことを思い出します。

また、その後、週明けに昼のみ店を開けたのですが、放射線被害を鑑みて、東京のなぎ食堂を1週間ほどお休みさせていただきました。結局、一週間後、思った以上のお客様が来てくれました。震災の晩、そしてそのあとに来られたお客様が決して「楽しみ」に来ているわけではなく、皆、どうなるか分からない「不安」な表情をして集まってきている、ということ。それがとても印象的でした。そして、そんな不安は決して解消はされないもの(実際、あれから9年経った今でも、僕はずっと地震と原発の不安に苛まれています)、人は街に「灯り」があることに、人が「集まれる」ことに、少しだけ、ほんの少しだけれど心を落ち着けることができるんだ、ということをその時に知りました。そして、自分たちがやっている「店」や「場所」は、経済効果だけでなく、そういう方たちの気持ちを背負っているのだ、と。

しかし、今回のCOVID-19のタチの悪いところは、そんな「集まれる」こと「対面のコミュニケーション」をすることが、何よりも悪影響を与える、被害を大きくする、状況を悪くするということ。ずっと不安が、心の中に残ったまま、いや、どんどん肥大化していくのです。

なのに、「不安」を少しでも和らげる大切な処方箋が、今回に限っては用いることができない。家族と、大切な人と肩寄り添って過ごすこと、いや、そうじゃなくても、少しでも心の荷を下ろすための場所へ赴くことができないのです。少しでも気持ちを楽にするために、大好きな音楽を聞きにいったりすることが、もはや「罪悪」であるかのように語られる、ということ。某ライブハウスでは、「なんで演奏しているんだよ!」と嫌がらせの電話まで受けているそうです。

そんな時期に、自分が店を開けるのはなぜだろう、と考えています。正直、ポップアップゆえに、店を閉めておくのにそれほどリスクはないのです。でも、この先、より厳しくなった時点では迷いなく閉めるのですが、今の時点の京都では、ポップアップですが、自分の「店」として、この場所を開けていこうと考えています。誰もお客様が来なくてもいい。でも、どうしても街に出なければならない方、そして人と会って、少しでも美味しいごはんを食べて(自分で自分の飯を「美味しい」って言ってしまうのもどうかと思うが・笑)、少しだけでも、そんな不安を取り除いてもらうために、場所を提供してみようと思っています。そのための消毒液や最善の予防はしていくつもりです。

今回のCOVID-19以前から、ずっと「不安」っていうことについて考えていました。現実はもちろん、未来に対する漠然とした不安が、この数年この国を支配しているように感じていて、そんな「閉塞感」が、さまざまなものを小さくしているように思えていたのです。もし、未来に対して希望が少しでも持てるのならば、まだ何も起こってもいない閉塞感は感じることなく、そして不安も少しは解消できるのに、と。

しかし、そんな漠然とした不安は、今、本物の不安に変わり始めています。今、不安に感じているのは、COVID-19自体の不安ももちろんだけれど、それ以上に、「これが続くことにより、自分たちが病気で死ぬ以前に経済的にやられる」という数ヶ月先(時に数日先)にある不安。特に私たち自営で生きている人間たちにとっては、これは不安という以上に、「恐怖」でしかありません。

でもね、実はずっと前から自分たちはそういう状況にさらされていたんだなー、と思っています。いつ失業するか、明日、急に食中毒でも出て、店をたたまなければいけないんじゃないか? 何かしらの病気をやって、急に動けなくなるんじゃないか? そういう「恐怖」の中でこの30年、生きていました。だけど、「ま、そんなこといってもさ、なんとなくやっていけるんじゃないかなー」っていう、ちょっと頭のネジが人一倍緩かったがゆえに、そのペースでやれてきたんだと思います。ただ、今回はそうはいきません。自分の周りが、ではなく、日本が、いや世界全体が、この不安の中にいます。いつ出口があるのかなぁ、なんて思っても、ただただ不安が続くと思います。

でも、たぶん、出口はあると思います。あるんじゃないかな、まちょと覚悟はしておけ……って、あかんやん(笑)。いや、その過程で、甚大な被害やときに自分の生死にも関わってくるかもしれないけれど、それでも出口はあるわけで、今までの自分と同じく、なるがままに気楽にやっていこうやないかいさー、と思っていたりします(もちろん、できる限りの予防はするし、防備もします)。ほんとだったら、国が保障するべきなんだろうけれど、あんなどうしようもない輩には期待もできん(抵抗はするに決まってるけれど)わけで、借金もせなあかんかもしれんなー、と。時には、誰かに頭を下げてお願いしなくちゃならないかもなー、と思っています。でも、そっちの方がまだまだマシ。その不安で、自分の気持ちが必要以上に縮こまってしまったり、得体の知れない妄想に駆られてしまったり、人間として壊れ始めたりすることの方が、よほど怖い。ただただ自分でいたい、のです。

不安を友にする、なんてぇことはできないけれど、これが日常だと思って、できる範囲の中でモノを作り、いろんなことを考え、そして形にしていきたいなー、と思っています。というか、この数年、ずっとずっと忙しくて、こんなに家でゆっくりとしたことなんて一度もなかったわけで。なんか、面白いものが作れるんじゃないか、久々にいろんな勉強ができるんじゃないか、不謹慎だけれど、そんなワクワク感も少しあったりして、いろんな人とそんな「未来」の話をしたいと、僕は思っていたりします。ここから抜け出したあと、皆でその溜めに溜め込んだもの、こと、想いを見せ合おうぜ、と。あら、お気楽過ぎるわね(笑)。

渋谷の鶯谷町にある本家・なぎ食堂は、この週末はお休みにさせていただいております。現在、東京は、本当にそういう状態だと考えています。ただ、京都の街では、今週はまだ店を開けて、街の「灯り」になってみようと思っています。もちろん、明日にも状況は変わって、締める可能性はありますが、それでも、「今のところ」続けていく予定です。

もし、そんな場所が必要な方は、ぜひご飯を食べにきてください。今週は、3/31と4/1になります。もちろんスタジオの方にも来てほしいのですが、しばらくはスタジオ自体貸しているもので、4/5以降、連絡の上、ご来店いただければうれしいです。この先について、未来について笑いながら話し合いたいです。

それではー。



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