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パブリッシュとパブリック

 昨年の秋からずっと考えていること、まだまだうまくまとめられるかどうかは分からないけれど、ぼんやりと言葉にしてみます。

 先日の旧グ邸の話を書いているときにも思わず漏れ始めてしまったのだけれど……歳を食うとシモの方だけでなく、思ってることもどんどん漏れ出してしまうのよ、これホント(「クイズホントにホント」の佐野浅夫の声で!)……今、自分が一番関心を持っている「パブリッシュ:Publish=出版」という考え方について、少し。

 「出版」って言葉は、どうにもこうにも自分がやりたいこととは少し違うとずっと感じています。出版に関わる人たちの多くは、本を作ってそれを販売する、っていうことを目的にしているんだろうけれど、なにか、違和感をずっと感じていたし、今も感じている。出版とは、版を出す、つまり「版=複製物」を出す、ということなのだろうけれど、そういうことがやりたいのか、と訊かれたら、かなり違う感じがするじゃないですか。もちろん、今、自分はリソグラフを使って、日々「版」を作り、複製物を作っているのだけれど、そういうこと自体が目的ではないのです。では、何か、英語での「Publish」が一番近いのではないだろうか、と。

【publish】
動詞 他動詞
1〈書籍・雑誌などを〉出版する,発行する.
2〈…を〉発表する,公表する. 

 こちらの2の【発表する、公表する】ということこそ、自分たちのやろうとしていることなのだろうな、と思っています。自分たちが日々考えている、思っていることを内在させたままで終わるのではなく、外の世界とつなぎ合わせる手法、それがPublishなのではないか、と。「だったら、SNSでもなんでもいいじゃないの?」と思われるかもしれません。実際、自分もずっとそう思ってきたし、この先、SNSやwebが自分たちの活動の場所になっていくのだろうな、と10年以上前に考え、そして「本作り」というものの可能性に絶望した時期もあったりしました。でも、それから十有余年、まだまだこの国において本という世界は、マジョリティの世界では悲鳴を上げているものの、僕らの周りでは、当たり前に残り続けている……いや、と、いうより、自分たちで、フィジカル本を作る人たちはどんどん増えているように感じています。余談ですが、手に取れるメディアのことを「フィジカル」って呼ぶって初めて聞いたときの違和感と言ったら! それから7、8 年でこの馴染んできちゃったことと言ったら!

 ただ、かつて自分が出版社にいたころのように、何千、時に何万という「マス」を相手に本を作っているのではない、ということ。たぶん、今の自分にとっての「マス」とは、300くらいから2000くらいのもの。そういうこともあって「出版」という言葉に違和感を感じていたわけです。かといって、数百部程度の本作りであったとしても、それは本の作り方自体には何も変わるわけではなし。ただ、届け先が少ない、ということは、ごく一部のマニアと趣味を共有したり、ごく少数のコミュニティにしか届けられないのではないか、そしてそんなことに何の意味があるんだろうか? と思ったりもしていました。そこが、ずっと疑問であり、自己欺瞞さえ感じるものでもありました。

 話は少し横道に逸れます。

 昨年の11月ごろだったか、我が、hand saw pressが、なぜか東京都が主催するFestival Tokyoという大きなアートイベントに招待されていました。このイベントでやったことに関しては、hsp Tokyoがこの先具体的な形(zineや書籍等々)にしていくのでとても楽しみになんですが、この当方の企画「ひらけ! ガリ版印刷発信基地」というのがとにかく素晴らしかった。あえて、素晴らしい、と絶賛しちゃうのは、自分はすでにこのとき東京を離れ、このイベントにまったく関与していなかったから。だからこそ悔しいし、でも、客観的に判断することができると思うのです。

 hspシンケ君と安藤さんが訥々と語るこのコマーシャル映像は、まだ何ができるか、どうなるかまったく分からないときだったゆえ、ただただ不安でしかない感じが滲み出てて最高なんですが(笑)、このときhspがおこなったことは、東京のちょっと下町感がある街「大塚」の駅前商店街にて、約1ヶ月限定の「印刷所」を作って、そこでいろんな人にzineを作ってもらう、というものでした。当初は、周りのデザイナーだったりクリエイターだったり(それも、例えば大田拓未くんだったり、阿部航太さんや渡辺明日香さんだったり大河原健太郎くんだったり、宮崎希沙さんだったり、この1年半、hspに関わってくれたデザイナー/クリエイター/イラストレーターなのが、とにかくうれしい)に頼んで、ワークショップをやったり本作りのトークをやったり、って風だったのですが、近隣の小学校で「印刷ワークショップ」を行ったころから、少し空気が変わり始めたそうです。この偶然のターニングポイント!

 僕がこの場所を訪れたのは、ちょうどそんなワークショップのすぐあとくらいだったのだけれど、この場所に集まっていたのは、優れたzinesterやデザイナー諸氏たちに混じり合って、近所の子供たちが、自分たちのメディア、自分たちの本、自分たちの冊子を嬉々として作っている姿だったのです。「え、なに、コレ?」と思いつつ、本当に彼ら彼女たちは、誰にも教わることなく、いろいろと書いた紙をコラージュし、印刷し、素敵な冊子をどんどん組み立てていたのです。もちろん、誰の目も気にしていないので、雑多な好き勝手なzineがどんどんどんどんできていく、という見たこともない光景。そして、あとでhspTokyoの安藤さんに聞いたのだけれど、最終日になるころは、その子供たちのお母さんたちが「私も若い頃は結構こういうの作ってたの〜」ってな感じで、子供とお母さん、そしてその友達とか近所の人たちがどんどん混ざり合って、印刷機の予約がびっちり埋まりまくって、机の隙間もないくらい、皆が本作りに夢中になっていた、らしい。

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( https://handsawpress5.news.blog/ より)

そんな世界があるなんて、そんな本作りがあるなんて、そこまで印刷することが愉しいなんて、知らなかった!

まるで夢物語のようなことが現実に立ち現れたこと。それを見ちゃったということ。そしたら、次は、自分がそういう場所を作りたい、と思うでしょ? 思うよね。思うよ。君はどうだろう? 僕? 僕は、はっきりと思った。自分のやりたいことは、コレなんだ、と。

すんごい装丁の本を作ったり、すんごく面白い文章を書いたり、誰かが一生大事にするような本を作ったり、その時代を切り拓いて切り取り、最先端を突っ走ったりする、もちろんそういうこともしたい。でも、たぶん、それは自己実現の問題、のような気がしています。それよりも、今、自分がやりたい「publish」を考えた時、この「大塚の印刷所」が頭から離れないし、その延長線上、もしくはそのラインの手前にあることじゃないかなぁ、と。

「publish」の語源は、「public」+「…sh(形容詞語尾)」だということは誰もが知っていることだけれど、それは「公(public)に広める」って意味だけじゃなくって、「公の場所を作る」ってことでもあるんじゃないかな、と。つまり「複製物」や「印刷」を媒介にして、「公の場所(パブリックスペース)を作る」こと自体に興味があるんじゃないか、とはっきり思い始めているのです。

かつて自分は、「なぎ食堂」というヴィーガンの食堂をはじめ、今もまだまだ東京の渋谷にそれはあり、その「場所を作る」という話、そして場所を作ることに憧れ続けた話は、自著「渋谷のすみっこでベジ食堂」の最初の部分に、細かく書いています。そこにも書いているのですが、地方のどんなところでも、ちょっと変わったオッサンやオバハン(もちろん兄貴や姐さんでも可)が1人でもいて、そこに人が集まってくると、何かしらの文化(と呼ぶのはあんまし好きじゃないんだけれど)が生まれてくる、って風に思っています。で、そんな集まってくる場所が、これまでは、喫茶店だったり飲み屋だったり、本屋だったりレコ屋だったり、そういう施設だったと思うのです。ただ、この先、そんな人が集まってくる場所の1つとして、「印刷所」というのもあるんじゃないかな、とふと思っています。これまでは「印刷所」とはほぼクローズドになっていたものですが、もはやそういう場所じゃない。そこでイベントするとかワークショップするとか、そんな具体的なことだけじゃなくって、そこで作られたものをまた作りに来た人間が見る(読む)、そういうコミュニケーションもあるんじゃないかな、と思うし、そういうパブリックもあるんじゃないかな、と思います。もちろん、そこからメディアを「発信」するという、放送塔のような効果もあるだろうし。先日書いた、旧グッゲンハイム邸や大塚のオープンスタジオはまさにそういう場所だったし、東京で少しだけ存じ上げている立ち飲み屋と活版印刷の店「リズム&ベタープレス」もそういう思いではないか、と。
 もちろん、海外のDIYシーンを見れば、そういう世界は割と当たり前にあるわけで、例えばポートランドのIPRC(Independent Publishing Resource Center)などは、ここがあるがゆえに、ものづくりの街ポートランドがまた少し進化できたことは明白であり。

 今、地方のいろんな場所……うーん、もう具体的に書いちゃうけれど、鳥取県は倉吉の本屋さん汽水空港さんとか、三重県は伊勢のカフェ、水色レコードさんとかと、「その場所か近くに印刷所作りたいねぇ」って話をずっとしています。というか、リソグラフの凄いところは、たかだか中古で20万程度で、その場所が「印刷所」になりうるところ。20万で、メディアが、本が、冊子が、コミュニケーションツールが、自在に作れる場所ができちゃうのです。これまでの「印刷」の基本オフセットだと何千万円もかかっていたし、軽オフやオンデマンドだって、何百万の世界。もっと小さくなっての活版やシルクだと「印刷所」じゃなくって「工房」なわけだし、コピー機や汎用プリンターだとコスト的に複数部数を作り上げるのに高すぎる! それが2帖程度のワークスペースと(ホントはそのくらいではできないんだけれど・笑)、大人の1ヶ月の月給程度の経費でできてしまう、ということ。なーんか、夢のような話だけれど、日本中に(いや世界中に)たくさんhand saw pressみたいな印刷所を作りたいなぁ、って思っていたりするのですよ。フランチャイズで儲ける、的なこととは全然違って、いろんな場所にパブリックスペース/コミュニティスペースが、印刷をベースにしてできたらいいな、と。前から言ってるのですが、資本がドーンと豪華なリソスタジオを作るってことには戦うけれど、リソスタジオは日本中にたくさんできればいいなぁって思ってます。自分の家で、職場で、みんながガッチャンコガッチャンコ刷り始めたら最高だな、って。

 そういえば、自分が高校生のころ使っていた地元の小さな公民館(大阪は枚方の樟葉公民館ってとこだった!)、ドラムやアンプを持ち込んで、バンドの練習をしたり、小さなイベントを企画したりしていたけれど、あそこにも実は印刷機があって、ちょこちょこと安価で印刷させてもらっていたんだった。あと、そのガリ版の版を作る自動製版機みたいなので、シルクスクリーンのまねごとみたいなことをさせてもらって、ちょっとした作品を作っていたり。あのガリ版を作るのにえらく時間がかかった記憶があるけれど、なんだったんだ? ……今、あの機械の総称がFAX謄写版というものだと判明。そうだ、こんなのだった。

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 とにかく、公民館や公の場所には、「印刷」ってもんがあったんだよなぁ。すっかり忘れていた。そういう場所なんだよ、公民館って。あえて自分が言葉にしているの、お恥ずかしい限り。

 こんな「publish」と「public」に関しては、現在進行系でいろんなことを考え続けてます。だから、きっとこのテーマで、まだ何篇も書くことになるだろうけれど、許せ。そんなことを言っていたら、またふらりとスタジオに面白い人たちが、ネズミ取りを仕掛けたかのように向こうからどうどん遊びに来てくれて、自分をまたまた外の世界に導いてくれたりしています。それが、今、ホンッットーーーに面白い。ま、それよりも先に、ちゃんと本を作らなくっちゃ。そして、○○○も☓☓☓もしなくっちゃ(まだ言えないことだらけー)。

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