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D.I.Y.パブリッシングのススメ

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本作りの入り口(企画・編集・執筆)から出口(印刷・製本・販売)まで、そのすべての工程を工場や企業に頼らず、自分たちの手でやってしまおうという試みを京都に位置するhand saw …
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#印刷所

第3話 セルフ・パブリッシングの落とし穴

 あのころの僕らは、出版社をやりたかったわけじゃなく、ただただ、雑誌が作りたかっただけ。だから、どうやってそれを書店に並べるか、次の号を出すためにどうやって精算していくか、それ以前にどうやって売るか、なんて何ひとつ考えていなかったのです。 道まだ遠く  『3ちゃんロック』との出会いで雑誌作りに興味を持ったわけですが、具体的にどうやってそこにたどり着いたらいいのかは分からない。当時、少しニューヨークに住んだこともあって、現地のファンジン・カルチャーに刺激を受けるものの、自分

第5話 リソグラフ印刷との出会い

 たしか2005年くらいと記憶していますが、僕らが京都のカフェ・アンデパンダンというヴェニューで、自分たちの企画であるジョアンナ・ニューサム(だったと思う)のライブを終えたあと、物販を売ってる時ひとりの女の子に「よかったらこれ読んでください!」と手渡された1冊のファンジンがありました。キセルをテーマに数ページにわたってわら半紙に数色のカラーで印刷されたその冊子は、古いガリ版印刷のような味わいでありながら、写真等も掲載した、当時はちょっと他には見ない仕上がりだったのです。 日

第7回 リソグラフ・バイヤーズ・ガイド

 前章で述べた通り、自分で印刷機を買わなくとも、さまざまな公共施設でリソグラフでの印刷は可能じゃないか、と思われるかもしれません。また、10年前は難しかったかもしれないけれど、最近では各所にスタジオもでき始めてると自ら言ってるわけで、自分専用のリソグラフなんて必要ないんじゃないか、と思われるのも、確かにその通りです。  しかし、自分がやろうとしていたことは、フライヤーを500枚印刷することでも冊子を1冊だけ作ることでもなく、「D.I.Y.パブリッシング」であり、その目標として

第8話 後悔だらけで初印刷

 「リソグラフって印刷機、結構安くなってて……欲しいんだけれど……」と僕は妻の裕美に相談していました。再びセルフパブリッシングへの興味が高まってきていた2010年の夏前くらいだったと思います。  「何言っとるん、どこに置くつもりやの。それよりも、そんなもの買ってどうするの!」と彼女は産まれたばかりの子供をあやしながら、少し苛立ちながらこう続けました。「いつか、子供が大きくなって、それでもまだ本が作りたいんだったら買ったらええやん。まだまだ焦らんでも、いつでも大丈夫やって。その

第9話 調子悪くて、当たり前

 ボタンを押せば、印刷が始まる。印刷がスタートすれば、本なんてすぐに作れるさ……と安易に思っていました。でも、悲しいかな、自分の印刷機は、スタートボタンを押すと同時に、原因不明のエラーメッセージと共に「クーーン」と音を立てて止まってしまったのです。まだ、何も刷っちゃいないのに、まだ何も始まっちゃいないのに。 プロフェッショナルへ修理依頼  幾つかの機械を分解しては壊し、いじっては潰し、またさまざまな情報を手に入れた今となっては、「それ、別に大したエラーじゃないんだよ」と

第10話 人との出会いで進化する現実

 人との出会いに関しては、子供のころから特別恵まれているように思っています。フリーで編集者になったときも、レーベルを始めたときも、ベジ屋をオープンしたときも、スタジオをオープンしたときでさえも、とてつもなく優秀で面白い人間と知り合えたから始められたのであり、一人で自分はいったい何かできたのだろうか、といつも思ってるのです。そして、このリソグラフを手に入れて、印刷を始めようとしたときにも、それとは少しだけ違う、思わぬ出会いがあったのでした。 ブームの匂いのかけらもなかった10