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通過儀礼の手記 2023.10.29

もはや年1回の通過儀礼と化している、生誕日前夜の自伝を残すか~と想いを巡らせ始めた。

ちょうど1年前の手記を見返してみると、こんなことが書かれてた。
「これからの1年は、広げすぎた風呂敷を少し閉じ、より洗練させていくフェーズになる気がする。」

2022年の年末頃かな。ちょっとした違和感を抱き始めた。やりたかったことを形にでき始めて、意義も感じてる、素敵な人たちに囲まれて、充実しているはず。でも、「なんか心の底からは満たされきっていない感じ」があった。でも、何が起因して芽生えている感覚なのかが分からず、一過性のものかなと脇に置いて日々を過ごしてた。

年が明けて間もなく。ぽっかり心に穴があいた。自分はこれから何をしていきたいのか、自分はなんのために存在しているのか、今どんなことを求めているのか、何もわからなくなった。原因も、自分が望んでいるものへの手がかりも、何もわからないことが余計にくるしかった。

「ちゃんと向き合わないといけないタイミングかな」とやっと察し、そこから半年くらい暗中模索の旅がはじまった。色んなコミュニティに越境し、色んな場所へ旅し、余暇時間をしっかり確保し、友だちとたくさんごはんにいった。

手に取ろうとする機会が手がかりになるか分からないし、享受するたびに湧く「ちがう、これじゃない」「心から求めているものはなんだろう」という虚無や焦燥感と対峙しながら、それでも自分の心の羅針盤と対話し続けた。

やっと、やっと。これかもしれないというものが先月みつかった。未来への希望や次なる目標を見出せなくてもがいていた自分に、向かうべき旅路が照らされた感覚に。きっとここだろうなと納得し始めている心に従って、粛々と向き合っているのが最近。そいえば、非常勤だけど3年ぶりにLITALICOに復帰させてもらうことにもなりそうです。

1年前に、こんなことも綴っていた。
「もう自分を生きてくしかないんだから、とことん「感じて、湧いてくるもの」に従って人生していく。」

秋は独立した季節頃でもある。あれよこれよと3年の月日が経ち、4年目に入った。生きるも、働くも、誰と共にいるかも、色んな変容を迎えてきた。手から離れて別れを伴うプロセスはいつもにがてで、挑戦を重ねる進展とは裏腹に「本当にこれでよかったんだろうか」「止まっていた方が失わずに済んだんじゃないだろうか」という刹那的な気持ちといつも対峙する。

それでも。さいごは、自分の心に従って選択してきた。迷い続けたくるしかった日々も、それらがあったから今の自分につながってると立ち返れると、生きとし生けるもの、在るものすべてが愛しく想える。もっかいリセットして、どんなことに心が動くのか、豊かさを感じられるのか。大切なものをていねいに掬い直していく1年やったんかなぁ。

自分の生命が、誰かの支えや何かの恵みになっていけるような存在でありますように。そして、自身の人生観により深みが増していき、大切にしたい感覚が1つ2つと積み重なっていきますように。

出逢ってくれた、関わってくれたみなさん、1年ありがとうございました!またこれからも、共に人生していきましょう~~お願いします🍀

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