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シーツを洗わない週末

赤ちゃんの朝は早い。

5時ごろにはフンフン言い始めるのを、何とかなだめすかして布団に引きずり込むこと数十分。
朝寝坊は夜間授乳の報酬だと信じているので、布団の中でぐずぐずしていると、夫が根負けして布団を出て行く。息子を小脇に抱えて。

「助かった!」

と、寝返りを打ったその手に、冷たいもの。
シーツにはドッヂボールくらいのシミ。ついついため息が出てしまう。
ーーまたかね…


ここのところ、息子のオムツ漏れがひどい。
夜間の尿の量が多いのか、履かせ方が悪いのか、それともそういう星のもとに生まれついたのか。日付が変わる頃に一度取り替えても明け方には洪水を起こすこともしばしば。
そんなわけで、シーツをひっぺがして洗濯乾燥機に放り込み、「しっかり乾いてくださいね」と祈りを込めてから出勤をするのがもはや日常になってしまった。


話は変わるけれど、わたしの実家は母が捨てられない人で、私たち姉妹の子どもの頃の服が結婚する頃まで保存されていた。今でも帰省すると、私たちが遊んでいたおもちゃや絵本が普通に登場したりする。(正直ちょっと子ども達を遊ばせるのに抵抗がある)
それがまたきれいに保存されているならともかく、錆びたり埃だらけだったりシミがついていたり、お世辞にも丁寧に保存されていたとは言い難いのだ。

そんな実家で育ったわたしなので、結婚する時に夫の実家に向かった際、ピッカピカ綺麗好きな義母だったらどうしようかとおかしな危惧をしていた。
だって、絶対にピッカピカを保つことなんてできないもの。

結局のところ、義母もそれほど家をみがき立てているタイプではなかったのは救いだった。というか、そんな人が義母だったら夫はわたしなどを結婚相手に選ばなかっただろうけれど。

ーー義母の名誉のために付け足すと、義母はインテリアを好みに統一するなどしていて、決して汚部屋ではありません。母も片付けが得意なタイプではないけれど、みんなが使う場所はそれなりに片付けをしています。

それはともかくとして、そんな母なので、やや衛生観念にも問題あり。
一人暮らしをするまで、シーツは定期的に洗濯するものだと理解していなかったし、バスタオルも複数回使っていた。脱衣所の足拭きマットなんて、乾燥はさせるけれど洗濯なんてしていない。今思うと、「げっ」。

自分が家事をするようになったとき、わたしはこういった衛生面についてはそれなりに気になるようになっていたし、かといって清潔面の家事スキルは低い自覚があったので、バスタオルと足拭きマット(家中の)を廃止してみた。
意外にも、どちらも無くても構わなかった。バスタオルは普通のフェイスタオルに。足拭きマットはお風呂の中で足の裏まで拭いてしまえばよし。他にもリビングのラグは廃止。枕はむしろ畳んだバスタオルに。

1日に何度も洗濯機を回す必要も無くなり、掃除もしやすくなり、我が家の家事スキル低め夫婦にとってはなかなかいいかんじ。

なのだけれど。

シーツはさすがに掛けずにはいられない。しかも、シーツって縦横がわからなくなったり、何ヶ所も固定しなくてはならなかったり、掛け外しが結構めんどう。1週間に1回は洗濯したいよね、と思いつつほったらかしの日々。

が、息子のおかげで毎週1回以上洗濯するようになった。
「シーツの張り替えとか、しんどすぎ!」
と思っていたけれど、しなければシーツなし生活なので自然と作業する。黙々と作業する。少しでも効率良くするために、シーツの縦横を見定める能力が育つ。


今朝のこと、夫が言った。
「いや〜、シーツを洗わなきゃって思わなくていい週末、いいね!」
(今朝はロンパースは濡れていたけれど、シーツまでは漏れなかった)


なるほど。
一つ発見。毎週末、洗濯したほうがいいよね〜でもめんどうだな〜と葛藤していたのは、わたしだけではなかったらしい。

それにもう一つ発見。同じ息子の洪水に追われる毎日でも、夫はその中からいいことを見つけられる人だった。わたしは自分ではいい側面を見落としてしまいがちだけれど、こんな風に違う視点を教えてくれる人が夫でよかった。

乾燥機で乾かされたシーツは、パリっとはしていないけれど暖かくていい匂いがする。

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