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好きなものがはっきりしている人がうらやましい

「苦手なタイプは多趣味な人です」


ずーーーーっとむかし、
実習生のあの子はそう言った。
そこは、あの都会とは言い難い地方都市の中では割と小洒落たカフェで、その日は彼女の「実習終了お疲れ様会」だった。

彼女のバイザーではなかったけれど、STチームとして参加していたわたしは、学生らしい生意気さと可愛らしさを持つ彼女を眩しい気持ちで見ていた。

当時のわたしがまさしく「多趣味の人」だった。
そのことを先輩(彼女のスーパーバイザーだった)が指摘した時、彼女はどんな反応をしたっけ。
全く覚えていないけれど、わたしに気を使ったりしなかったことは確かだ。


そう、あの頃のわたしは「多趣味の人」だった。
ギターやサックスを抱えてバンドに参加し、一眼レフに手を出してカメラ片手に公園を歩き、かと思えば本の虫になっていたり、お一人様ドライブをして史跡をめぐり、友人と弾丸旅行をして、さらには山に登りだす始末。
とにかく暇なく好きなことをして過ごしていた。

仕事はストレスの溜まることもたくさんあったけれど、充実していた。
悶々することがあっても、金曜ロードショーをみてしこたま泣いたり、小さな1Rのキッチンで料理をしてみたり、昼間っからお風呂に入ってみたり。
自分がスッキリする方法を持っていて、それを誰に遠慮することなく実践していた。

あの子に「多趣味の人が苦手」と言われようとも、別にちっとも構わなかった。
だって、多趣味である自分のことを心地よいと感じていたから。



「趣味は?」
と聞かれて、即答できる人たちが眩しい。
今のわたしは、趣味を再建中だ。

結婚・出産。
人生の中の大きなイベントを経験したら、わたしの手から好きなことたちがこぼれてどこかへ行ってしまった。
意図的に遠ざけたつもりはないのだけれど、あれはもう遠く昔の「趣味だったこと」たち。

家族のせいにするつもりはないけれど、わたしの趣味世界が変わったのは、ライフスタイルの変化が一因であることは間違いない。

育児をしていると、なぜか自分を責める場面が多い。
叱りすぎてしまった。
言い過ぎてしまった。
急かしてしまった。
大声を出してしまった。
時間通りに準備できなかった
お茶を忘れてきた
着替えを忘れてきた
昼寝を上手にさせられなかった
子どもがご飯を残した(美味しくなかった?)

ごめんねごめんね、と思っているうちに、どんどん自分なんて取るに足らない人間に思えてきて、自己肯定感は下がっていた。
自分がイライラするのはすべて自分の落ち度で、気分転換が下手なのも全て自分の不出来のせい。
そんなふうに、自分のことを過度に貶める癖がついてしまったように思う。
世に言う、認知の歪みだ。


初産から4年。
やっと今更気づいたのは、わたしはもともとちゃんと楽しめる人間だったということ。ちょっときた道に置いてきてしまっただけで、もしくは無意識に片付けてしまっただけで、本当はきちんと自分を大切にできていたということ。

ネグレクトしているわけじゃないし、わたしがわたしらしく生きるために、誰に遠慮する必要があるものか。
「子ども第一」「子どものために」って自分に言い聞かせて我慢して、将来我が子がそんなわたしを手本にしてしまったら…
めっちゃ嫌。のびのび生きて欲しい。


あの頃と同じことは、今は多分楽しめない。
けれど、今のわたしが楽しめる楽しいこと、探してもいいんじゃないかな。
「多趣味」じゃなくても「好きなこと」を持っている人は強い。強い人になりたい。

と、色づきつつある銀杏をみて思い立った、秋。
ああ、とりあえず、山に行きたい。

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