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産後うつ記録:里帰り出産の前には親としっかりコミュニケーションをしなくてはいけないというはなし

*これは娘を産んでから、2年半も産後うつに悩んだわたしの記録です。
前回の記事はこちらです。

前の記事で、里帰り出産して娘が新生児の時、実家が改装工事で大わらわだったことを書きました。
しかし、もう一つわたしの誤算があったのです。

それは、想定していたよりも母のサポートを得ることができなかったと言うこと。

先に書いておきますが、この里帰りはわたしから打診しました。
実家が遠方のため、里帰りしないと両親と子どもを会わせるのが大変であることや、第一子で不安だったためです。
その相談に対して、母は
「日中ワンオペで、夫くんの出張も多いでしょ。帰っておいで。世話するから」
と、もちろんウェルカムといった返事でした。

ところが、実際に帰ってみると母はわたしの臨月も産後もパートで留守。
また、父が休日となると家にいられない人で、海や山やドライブやと出かけるのに、母を同伴するのです。
母自身は「本当はあなたの世話をしてあげたいけど、父も一緒に行きたがるし」と言う感じ。

いや〜、言うて結局自分も行きたいんでしょうに。

と心の中ではぼやくものの、お世話になっている身なので「大丈夫」と送り出すしかなかったわたし。
3食と、掃除、洗濯など赤ちゃんがいてはままならないことをしてもらっているので、もちろん感謝はしていました。
ただ、起きている時間はほとんど泣いている娘、しかもなかなか寝ない娘。
抱っこしてくれなくてもいいから、誰かが一緒にいてこの時間を共有してほしい、というのが本音でした。

少し話はそれますが、実家では室内犬を飼っています。
田舎なのでわりと大きい家なのですが、両親の生活スペースはそのごく一部で、そこに犬もいます。
そしてわたし達が里帰りしたスペースも、両親の生活スペースの一部でした。
娘がバウンサーで眠っている隣を、室内犬がウロウロするような環境です。

入浴はリビングで沐浴をしていましたが、湯から上がった娘を床に敷いた布団の上でケアします。
その時は別の部屋へ犬は行っていましたが、掃除してから入浴させるわけではないので、毛がつくのではないかとヒヤヒヤ。
床はカーペット敷きのため、カーペットにアレルゲンがいるのでは?と気になる始末。
両親にはそのことについても相談したのですが、「長毛種は毛は抜けないから」と取り合ってもらえませんでした。

気になるとすべてが気になり、たとえば沐浴は父の担当でしたが、最中にテレビを見ることがかなり気になりました。
その間くらいテレビを消してもいいのに、と。

そしてある日、娘の首が赤く発疹が出始めました。
両親に相談すると、「乳児湿疹でしょ。大丈夫大丈夫」と、入浴後にしっかり拭いて保湿すればいいと言われました。
新米母ですし、両親は子育ても孫育ても経験しているため、そうなのか。これが乳児湿疹かと受け入れました。
しかし、ケアすれどもすれども良くなりません。いよいよグジュグジュした感じになり始め、父から「病院行かんでいいのか?」と聞かれました。
「どう思う?」と聞き返すと「大丈夫と思うけどな」とのこと。

連れて行ってほしいと言いたいものの、世話になりっぱなして病院にも行きたいと言い出せず、飲み込みました。それでも少しののちに、やはり行ったほうがいいのではないかと思い直し、連れて行ってほしいと頭を下げました。
すると父から出たのは、「早く自分から頼んでこい。お前は母親やろ」という言葉でした。

そうか、わたしは母親なのに母親のするべき行動ができなかったのか。
もう、素直に打ちひしがれました。
出産後、授乳も抱っこも寝かせるのも何一つうまく行かず、一つ屋根の下にいても両親にどう頼っていいかわからず。いっぱいいっぱいで破裂しそうだった何かが、明らかに壊れたのだと思います。

母親業なんて、もともと自信がなかった。
でもわたしも子どもが欲しいと思って、この子に幸せになって欲しいと思っていたけれど、もう母親としてダメなんだ。

母のサポートも、ペットのことに関しても、父についても、わたしがうまくいかなかったのは、おそらくわたしの期待しすぎだったのだと思います。

「親だって人間」「いうて他人」

と、先にある程度何を頼めるのかを打ち合わせしたり、言葉で依頼したりしておくべきでした。

そして、相手が両親であっても、我が子にとってよくないと感じることがあった時、守るのは自分ということ。お世話になっているから遠慮したとか、両親の言うことなので信じたなんて、言い訳に過ぎないのです。
わたしは「両親の子ども」である自分と、「娘の親」である自分のバランスがうまくとれなかったのです。

「両親の子ども」であるわたしは、上手に意見が言えません。
自分自身とも、両親とも、もっと向き合って考える必要があったのだといまは考えています。

「両親の子ども」であるわたしと、「娘の親」であり「わたし」であるわたしは、今でも葛藤を続けています。「両親の子ども」て悪わたしについてはたくさんのことを考えてきました。次回は少し話が逸れますが、このことについて触れようと思います。


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