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さらけ出すということ。

前回の投稿からの激動。

ほかのSNSには書いたこと。

このことをSNSに出すことは、実はあまり躊躇がなかった。

もう出そう、どういう文章にしよう。そういう思考になって書いたものだったし、私のそのままの感覚が文章に乗っていると思っている。

そこからたくさんの人たちに助けてもらい、それを素直に受け取れる自分がいて、また新しい感覚の発見だった。

近くの友達が本当によくしてくれていて、そのおかげでかなり前向きになれている。日常があまり変わらず過ごせている、その力は凄いんだと、日常が変わらなければ実はお金が全部なくなっていることも、「今」は感じない。そう、日常がそのままだったら。

その気付きは今回とても大きかった。

「今」だけを感じていること。

その友達と今日、ひょんなことからカラオケに行った。ちょうど私の歌を聴きたいと言ってくれていたメンバーが集まることが出来たから、すごくイイタミングだった。

私が何曲か歌った。これからYou Tubeにアップしようと思っている曲とか、そのほかとか、友達たちも「昭和縛り」とか言って色々歌った。

最後のほうで私は「夜桜お七」を歌った。

そしたら今日歌った中で一番よかったと褒めてくれた。


自分の中で「夜桜お七」を歌っていた時の感覚を思い出した。

もう最後の方だったから恥ずかしさもだいぶ取れてきて、声の出し方もだいぶ感覚が掴めてきてて(もちろん完全じゃないのはわかってる)その中での歌だったけど、何が違うのかと言えば、

「全部出した」

ってことだった。何かをしまおうとか、これは出そうとか、そういうカードを選んで出す感覚ではなくて、私が持っているもの全部出した。

そんな感覚だった。だからそれがやっぱり大事なんだってことが、友達のおかげでわかった。

歌うことは、全部を晒すこと。その方が伝わる。

もっと曲をかみ砕いて、歌い方やブレスや、もっともっと改善するべきところはたくさんあると思うけど、その「感覚」がわかったことは、私にとって大きな確認だった。

もっと練習してまたボイトレに通いたい。

翔さんにまた見てもらって、もっと気持ちよく歌いたい。

その気持ちがまた大きくなった1日だった。

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