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雑記 不変について

飽き性でころころと生き方を変えてしまうからだろうか。変化がとても楽しいと感じるからだろうか。
それでもどこかに「不変」があるんじゃないかとか思ってしまう。

人の心は変わるし、考え方も変わる。時代も変われば、常識も変わる。
その変化を受容して、体現する。
そして現代はそのスピードが早い。
自分はこうだから、とか
これが正しいと信じてるんだ、とか
あまり頑なだとバカをみてしまう。

でも、それを判断する確固たる不変はどこにもないんだろうか?
自分を自分たらしめる不変は幻なのか?

と、うだうだ考えていた1日。
たぶん答えはでないんだろう。

今日は美術展に行ってみた。正直、美術には疎い。し、視覚情報過多でくらくらする。
でも、何百年も、大勢の人を惹き付けて止まないこの作品達にはきっと美学的な不変があるのだろう。
音楽で言っても、何百年もかけて確立された理論があって、ありとあらゆる手法で実験的な音楽が生まれた中でも生き残った理論はやはり美しいものを作る。
生き残った理論は、科学、物理、数学、あらゆる物差しで切られても、その形を崩さない。
とても絶対的なものに近い。
これも1種の不変だな。
ただし、不変であるためには、鑑賞する文化的な存在を必要とするが。

そんな美学が自分にもあれば、不変をもった常に変化し続ける存在になれるのかも。

……余談だが、優れた作品を生み出す者は、理論とセンスをもっている。当たり前だが。
理論だけではつまらないものしかできない。

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