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21日間の21の間——「インディゴの気分」視覚テキスト分析(第二の間と第三の間)

作者 Maomono
翻訳 sekiisekii

第二の間 タクシー車内

バーのシーンが終わると、タクシー車内の果たせなかいキスという名場面がある。おそらく、このシーンがあまりにも見応えがあるため、三木監督は第六話でそれをそのまま再録したのであろう。城戸と木島にとって、タクシー車内は思い出の場所で、若い頃のすべてはそこから始まり、そこで終わる。

原作と比べれば、ドラマ版は原作のプロットを多く削除したことがわかるが、三木監督は雰囲気作りと感情描写の工夫に決して時間を削らない。タクシー車内のシーンには以下の間が含まれている。木島が10秒をかけて城戸の肩によりかかり、10秒後、城戸にある考えが念頭に浮かんで、そして24秒をかけてある勇気を奮い立たせて次第に近づいてきて、息を飲むような近い距離で10秒間にわたって互いを見つめ合う。バーでの探り合いを大人のゲームにすれば、この果たせなかったキスはそのゲームの地獄モードである。それぞれの間を詳しく分析しよう。

木島は10秒をかけて城戸の肩に寄りかかる。「第一の間」で書いたように、木島は城戸の「大切にしろうよ」という言葉に沈黙するようになる。どうやって城戸の本音を確かめるか。時間の順からして、この時の木島はすでに久住を誘惑して恋愛というゲームの遊び方を熟知するベテランになっている。木島は「ちょっと飲みすぎたかな」と酔っ払った宣言をしてから、頭を座席のヘッドレストによりかかって左右に10秒間揺れ動く。この揺れは第三話のタクシーでのキスの直前にも現れる。その時、城戸は木島に「さっきのことはさ、お互い忘れようぜ」と言った。車窓の外を見つめる木島は車の揺れに合わせて微かに頭を揺らした。それは車の揺れだけでなく、城戸のすすめを強く否定したい心情をも示している。この10秒の揺れの中で、木島は間違いなくタクシーが城戸にどんな思い出を呼び起こすかをわかっている。彼は自分自身がこのような過激な方法で答えを得るべきかどうか躊躇している。城戸士郎よ、あなたはまだ僕のことが好きか。いや、僕はこれで城戸を試していいか。ついに、確信を求めたいという思いが勝ち、木島は行動に踏み出す。そのため、断言できるのは、先に一線を越えたのは城戸ではなく、木島である。

城戸の24秒をもかけてキスを図ろうとする。24秒の間、徐々に近づく城戸だけでなく、画面の外の視聴者の我々も息を飲んでいる。この時点で、城戸が既婚者であることを知っている視聴者はジレンマに陥るのだろう。城戸に木島とキスしてほしいと思いながら、城戸の木島とキスするのを恐れる。10秒間のナレーションに加わって、城戸は34秒もの間、内なる葛藤を繰り広げ、最終的にはまだ木島を好きな自分に敗れる。では、この時の木島は何をしているか。彼は本当に城戸が自分に近づいていることを知らないのか。いいえ、人間の顔の温度や一瞬に圧縮された空気、微かな鼻息の音から、彼は城戸が自分に近づいていることを当然知っているだろう。ただ、どれだけ近づいているのかは分からない。木島は自分が望んでいた確信を得てから、タイミングよく目を開ける。

城戸がついに退くまで、二人は10秒間、その距離を保つ。なぜ木島は目を開けるのか。それは、もし城戸がキスを実現させたら木島はどうしたらいいかわからないからだ。次に何が起こるのか。一線を越えた二人はどのような形で接するか。木島は、城戸が離婚する考えがないこと、家族や娘から離れないことをよく知っている。タイミングよく目を開けないと、木島は再び恋の主導権を明け渡すことになり、それは二人の過去(すなわち、「インディゴの気分」のその後の内容)に逆戻りするのに等しい。ここで立ち止まっては十分だ。そのままいけば、収拾がつかなくなる。

このシーンでは、明らかな三つの間の他に、木島の二度の謝りも少し時間を置いている。視線を交わす時の「ごめんなさい」と、座り方を正してからのもう一度の「ごめんなさい」。木島にとって、この二度の謝罪は全く異なる意味を持っている。最初の「ごめんなさい」は「あなたのキスを断ってごめんなさい」で、そして二度目の「ごめんなさい」は「あなたを試してごめんなさい」という意味である。しかし、城戸には、この二度の「ごめんなさい」は彼らの関係を区切るためのものにしか聞こえない。彼は既婚者であり、向こうも新しい恋人がいる。城戸は自分の衝動と一線を超えた行為に対して恥じ入り、謝罪もするが、木島がこっそりと確信をもらったことに気づかない。第六話で、木島がわざわざ車窓側に戻ってきてお別れをするが、まさにこの確信をもらってからの行為である。

時折、私は第六話での「言葉の力ってすごいな」という言葉の意味を考えている。言葉には表現する力があるが、言葉が表現できるのは、無数な可能な状態の中の一つだけである。言葉が出されてから、その中の一つの可能性が確実になる一方で、他の可能性は迅速に縮小して消えてしまう。「語りえないものについては沈黙するしかない。」まさに、ウィトゲンシュタインの言うようだ。

第三の間 葬式での再会


「インディゴの気分」の六話の中で、第一話は最も多く繰り返して鑑賞したものではないが、どのシーンでも重要で書く値がする。「葬式での再会」のシーンは、私の数少ない原作でも好きなシーンの一つだ。その主な役割は、登場人物の関連情報を提供することである。例えば、木島理生とはどんな人か、同級生の城戸士郎たちは彼をどう見ているか。
日本の小説やドラマに親しみがある読者なら、冠婚葬祭や学校の同窓会を知らない人はいないだろう。こうした式典はたいてい、登場人物が再会する重要な場であり、過去に因縁のあった元恋人たちが、共通の知人のせいで過去と向き合わざるを得なくなり、物語が始まる。それに対して、「インディゴの気分」での再会は特に気まずい。木島は城戸のことをまったく覚えていないようで、それに対して、城戸は長い間、こっそりと木島を慕っていたらしい。では、木島は本当に城戸のことを覚えていないのだろうか。その「間」を見てみよう。

(5分2秒のことだ。)城戸が嬉しそうに木島に話しかけるが、タバコを吸っている木島は城戸を3秒間もじっと見て、どちら様ですかと聞く。普通の理屈からすれば、木島は城戸を見ていた3秒間に、頭を回して城戸に関する情報を回想しようとし、そしてついに思い出せなくからそういう返事をすると思われる。しかし、木島は才能ある小説家であり、ストーリーテラーにはストーリーを配置する能力が必要であり、優れた記憶力の持ち主でなければうまくいかないはずだ。(次の段落を書いて上の段落を忘れるような人は、小説家に向いていない可能性が高い)。その証として、「ポルノグラファー」で、木島が過去の作品をそのまま口述したことを思い出してください。それに合わせて考えると、この時点で、木島が城戸のことを忘れたわけではなく、ただ話したくないだけだということが推測できる。城戸がドアを開けて話しかけようとする時、木島は横目でこの男が近づいているのを見てすぐ背を向けた。いかにも嫌な顔をしている。もし城戸が繊細な人間だったら(あるいは、自分のファンの気持ちで目がくらんでいなかったら)、その瞬間に手を引くだろう。では、木島はその3秒の間で何を思い出したのか。「インディゴの気分」原作漫画や「ポルノグラファー」を参照すると、かつて城戸が恋人の浮気で木島と言い合いしたことがあることをわかる。それも答えになりえるが、「インディゴの気分」の第五話で木島が城戸に言う「君って昔からそういうやつなんだろう、他人の顔色ばっかりうかがって、自分の好きなことなんてできやしない」という言葉を関連づけると、城戸が学生時代から、他人の機嫌をとり、自我を貫くことができないような性質であることが推測される。おかげで、城戸は人当たりのいいかもしれないが、それは孤高な学生の木島が最も嫌悪する性質である。悲劇はここからすでに始まっている。その際の木島はこんなにも自分とは違う人を好きになるとは予想をつかない。ただし、自分とはまったく違う人とぶつかり、違う世界を理解するのが恋の本質ではないか。

自分の憧れの人に名前を忘れられ、憤りを感じる城戸は気まずい雰囲気に包まれる。そこで、学級委員だったらしい斎藤が登場し、木島がすぐ彼女の名前を言い出す。城戸はますます気まずくなる。ぶつぶつ文句を言いながらタバコに火をつけるが、木島から目を離さない。斎藤の口から、木島だけは連絡が取れないこと、教授のお気に入りの生徒であることが伝わって、視聴者は木島がクラスメートから見て特別な存在であることを知る。それから、斎藤は通夜振る舞いの誘いをし、そこに2つ目の「間」が現れる。木島は3秒ほどためらい、灰皿でHOPE(これはタバコのブランドで、また字面通りの希望でもある)のタバコの火を消し、熱心な斎藤の申し出を礼儀ただしく断る。後のシーンで示すように、斎藤と他の生徒たちは木島がうまくいっていないことを知って、木島をからかっている。斎藤は木島が通夜振る舞いに出席するのを心から望むのではないようで、逆に木島が断るだろうと推測している。(その証拠として、木島が断りの返事としたら、斎藤は再び誘うのではなくそうですねと言う)。斎藤が室外に出たのは、木島を誘うためだというより、城戸を食卓に戻るよう促すためであろう。

ここにも木島と城戸の違いがあらわれてくる。木島は才能があり、そのためよく嫉妬されるが、城戸は人に流されやすいが人望がある。そこで、こんな木島はなぜ3秒間ためらい、きっぱりと断らなかったか、答えはこうであろう。この時点では、木島は学生時代の木島ではなく、作家としてのキャリアの困難に遭い、昔自慢していた才能は孤独と貧乏しか実らない。木島が教授の葬式に参列するのは、教授にお世話になったからであり、昔教授から受けた優しさや温かさが恋しいからでもある。それは、人が暗闇の中にいると、光を求める本能があると同様に、孤独と無力から脱出しようとする時最も本能的な反応であろう。城戸が木島に話しかけるために部屋を出るまで、木島は黙ってタバコを何本も吸っていた。おそらくその時、木島はクラスメートたちに加わるかどうか、迷っている。しかし、斎藤の問いかけから、このままでは愉快な場面にならないことを敏感に感じ取り、ましてや出版畑の同級生たちの間で彼の失敗の噂が広まっているに違いないと思い、馬鹿にされたくない一心で、ついにタバコを消し、足早に立ち去る。

だが、この不人気男にはある忠実なファンがいる。木島が立ち去った直後、斎藤が城戸に、中に入ろうと催促し、城戸はそれに応えるが、木島の遠のく背中を6秒間も見つめている。アイドルがファンにひどい仕打ちをしたにもかかわらず、ファンは動じることなく、久しぶりの再会を心に刻もうとする。ついさっきの横目で木島を見るのを含めて、城戸がどれほど木島を見つめるのであろうか。英語では、付き合い始めの相互理解や馴れ初めを表すのに「seeing someone」(誰かを見ている)という言葉がよく使われる。人ごみの中から突然、ある人が自分の視界に入ってきたり、それまで気づかなかったが、よく見かけるようになったりすると、人はその人を好きになっていると気づく、このようなケースが容易に想像できるだろう。そのため、城戸の見るという動作は、運命の歯車を動かす。道で彷徨う木島を見て車に乗せるのはきっと、城戸だと視聴者が予測する。また、見るということは知るということにもつながる。通夜で同級生たちの揶揄を聞いた城戸は、デビュー作を読んだときの「私が描きたい世界が、そこにあった」という衝撃を思い出す。彼は木島を深く理解しているからこそ、自らの作家の夢を諦めたのだ。


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