電気

自然光が好きだ。

一人暮らしの今、太陽の出ているうちは基本的に電気をつけない。それはくせというよりは習慣で、わたしにとっての普通である。
たまに訪れる友人たちには、電気つけたら?とか、中には気を使っているのだろうかという変な気を回してだろう、電気つけていいよ、と言う奴もいる。しかし私には電気がついていない方が居心地がいいし、なんせ太陽の昇っているうちは電気がつかないのが「普通」なので、そうかみんな電気つけるんだな、とスイッチを押す。

如何せん、明るすぎると感じる。見えすぎるのだ。


その明るさは目に毒であるとさえ思う。たいてい見えすぎると見たくないものに目がいく。人間にはある程度見えることが必要で見えすぎることは本当に見なければいけないことを見えなくしてしまう。見たいものは見なくて良いものに隠されてしまい、やりたいことはやらなくてはならないことのようなものに包まれる。王子様にキツネが言ったこととさながら同じようなものだ。ステンドグラスも外からの光だからあんなに綺麗なのだろう。

日光で十分その日の暮らしはできる。窓辺の光で本を読むことの素晴らしさを味わえない人生はむなしい。日光に何かをかざしてその影や通り抜ける光を楽しむことができない暮らしは物足りない。雨の時にすっかりどんよりとした気分になったつもりで雫を眺めることができないならきっと雨が嫌いであろう。ある程度見えないからこそ、本当に見たいもの、感じたいものがわかる。

完璧すぎない、ある程度の清潔な暮らし、健康であると感じる。

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