詩集

最近は本屋に行っても小説より詩集を買うことの方が多い

以前はもっぱら小説を買っていた。現実離れした日常みたいなものがとても好きで、そのような小説を漁っては買い、読んではどんよりしていた。というのも、現実離れした日常を描いたものはだいたいどこか不完全で嫌な部分が描かれており、たとえ結末はすっきりしていても読み手はすっきりしないものだからである(と私は思う)。

私は小説に関してかなり偏食なので、だいたい同じ雰囲気の(だいたい直木賞作家)ものばかり読む。同じ偏食は偏食でも、推理小説と奇妙な雰囲気の(だいたい芥川賞作家)ものばかり読む父の本棚とは大違いである。自分の好みの作家というものに気づいてからは、中高生の私にとって隠れた趣味であった国語の便覧の作家ページをひたすら読むことに拍車がかかり、この作家は好みかもしれないとか予想しては本屋に向かっていた。

さて、中高生の私がここで図書館というものを利用しなかったことに疑問を抱く人がいるかもしれない。私は本を借りる、という行為がそもそもあまり好きではない。理由は単純に、読みたい時に読み返せないからである。あと、読むことに期限があるのも好かない。急かされて読むと絶対に内容が入ってこないし、そもそも好きな本を焦って読みたくないと思ってしまう。お財布には優しくないけどね。

閑話休題


さて、大幅に話が逸れていたが、そんな私が詩集を買うようになったのは大学に入ってからである。それまでの私にとって、詩や短歌というと難解なもの、膨大な知識がいるもの、つまり食わず嫌いの対象であった。これは学校の授業も悪いと思う。わざわざ難解な短歌や、詩を問題なんかにして解かせるもんだから、一定に決められた判断基準に基づいてそれらを読む必要があるように感じられてしまう。短歌や俳句の枕詞や掛詞なんて、気づいた知識のあるやつが、なるほどってなる、それで別にいいし、詩もそう感じるやつがそう感じたらいいだけである。つまり、詩や短歌や俳句は、その人が感じたいように解釈し、「へー、なんかいいじゃん」と思う、それで充分楽しめる。

さて、ある時、たまたま入った本屋でたまたま詩集を手に取りなんかいいじゃん、と思った私はやっと上記のことに気づいたわけであるが、それからはなんかいい、と思った詩集や歌集を手に取ることが多くなった。詩集や歌集は、小説よりずっとはやく文字は追えてしまうが、それを自分のなかに上手く取り組むのにはとても時間がかかる。噛むほどうまい、のである。その感覚にハマってしまうと小説よりそっちを見てしまうようになった。

まぁこれを読む人がいたらよかったら詩集や歌集をよんで、なんかいいじゃんとなってみてね。

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