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人生は短い。

久しぶりに先日、質問箱の募集ツイートをしたんですよ。
なんとなくでしたけど、一回ツイートすると大体1件はご質問いただけるのは本当にありがたいですね。

あの質問箱、結構好きなんです。
自分以外の人間が見ている世界を垣間見るというか。
いくら自分でいろいろなことを想定して考えていても、実際の他者の思考はその想定のさらに上を行く感じ。自分の中だけで考えていても、箱庭の中をぐるぐると回るだけになってしまうので。
だからといって、他者の思考を取り入れ続けてたら頭も心も飽和してしまうので、それはそれでよろしくないのですが。何事もバランス。

そして、今回はいただいた質問がちょっと私にはない考えだなぁと思ったので、少し掘り下げてみたいと思います。

なお、件のご質問と私の回答はこれ。

つまらない生き方をするには、人生は短すぎる。

私は子どものころから、割とどうでもいいことを深く考えてしまうクソガキだったと思います。
曰く、「一つの惑星系はまるで人間の細胞のようだ、もしかしたらこの巨大な銀河系は一つの生き物の身体なのかもしれないし、もしかしたら私たちの身体は一つの銀河系なのかもしれない」とか、「魂が存在するとして、私たちの意思はどこからきてどこへ去っていくのか」とか。
「形而上の問い」を自分に投げかけてその中で空想も含めて想像を楽しむような子どもでした。こういうこと考えるのが今も昔も大好きなんだっ!

その想像の一つに、「この世界中の人間に挨拶するとして、人生のどれぐらいを消費すれば可能なのか」というものがありました。
電卓を叩けばすぐに数字は出ますよね。
 ※計算間違ってたらそっと教えてくださいね…。

人間の一生を仮に80年として。
 80年 = 29,200日
    = 700,800時間
    = 42,048,000分
    = 2,522,880,000秒

寝ずに80年、1秒に1回の挨拶でも25.2億人がいいところです。
途中で噛んだらそれだけでタイムロス、80年間、飲まず食わず休まずで舌が回りきるか?移動は?その間に生まれてくる人間や死んでいく人間は?
挨拶したかどうかのカウントをどうするか、そのリストは?といったところまで考えて、ふふってなりました。こりゃあ無理だ、世界平和は遠いぜ。

では日本に限定してみればできるかもしれない?
いやいや、移動はどうするんですか。みんなに並んでもらう?握手会かな?
寝る時間は?たまにはお口を休ませてあげないと無理がありますよ。なんて。
ちなみに、この時にやってみたんですけど、私の場合は1分で「こんにちは」は45回程度しか言えませんでした。万全の状態で、45回。
19億人ぐらいなら…なんとかいけるのか…。しかし挨拶するだけの人生、嫌だ。そんなの嫌だ。

挨拶ですらこれなんですよ。
この世に生きる人すべてに声をかけられたとして、お返事半ばで我らの寿命は尽きてしまうのです。

人生は退屈すれば長く、充実すれば短い。

この人生に、「つまんない」と思っている暇は意外にないんじゃないかと思っています。悩むことも苦しむことも、時には必要なんですけど。「つまんない」や「おもんない」だけはいらない。
だから、「返信しなくてもいいのでは?」という答えになります。

じゃあ、返信する相手はどう選ぶの?となると、これはもう自分の興味関心に従うことがベストかなと。
短い人生を大して興味を持てない存在に使うことはない。
だからこそ、自分の興味がどこにあるのかは自分に問い続けないといけないし、自分がどう感じているのかは大切にしなければなと思います。

もちろん、自分が興味を持っていても、相手には興味を持ってもらえないことは当然にあります。心の矢印が向かないのは、自分にも相手にもあることだから。そこは対等。
一つの考え方なんですけど、もしかしたら「今の」自分には興味がないからかもしれないんですよ。関係が交わるのはまだ先なのかもしれない。
だから、ダメだった時は「はい、次!」と切り替えることも大事なことかなと思っています。

人生は短い。だが親切を行う時間はいつだって十分にある

でも親切にするべき相手は自分で選んで。
人の腕は、大きくも長くもない。
持てるものには限りがある。
向き合える相手の数もたかが知れている。
だから、どうぞ人生お大事に。

【各段 タイトル参照】