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実は〇〇いい意味で得意じゃないんだよね、と打ち明けられると、反動的にそれを頑張るかもしれない私。

実は、〇〇いい意味で得意じゃないんだよね、

と相手から言われると、

それを逆に頑張ろうとする私がいるかもしれない。

相手が得意じゃないと言っていることを、

頑張って、他の方よりもできるようになったら、

手っ取り早くいい意味で勝者になれる気持ちがあるかもしれない。

いい意味で共感して欲しかったであろう、

相手の気持ちにいい意味で気を配らず、

いい意味で自分が勝者になるために頑張っちゃうことは、

相手をいい意味で傷つけるかもしれないため、

いい意味で注意が必要かもしれない。


だいたい、そういう、いい意味で反動的な原動力に、

いい意味で依存すると、

周りがいい意味で頑張り始めた時と、

周りの力が高くなってきたときに、

いい意味で頑張りづらさを感じるかもしれない。

自分よりも、いい意味で弱い方がいる、だから頑張る、

そういう原動力にいい意味で慣れていると、

周りがいい意味で成長し始めたときに、

いい意味で頑張り方がわからなくなるかもしれない。



この経験から言えることは、

自分よりもいい意味で弱い方がいるから頑張ろう、と思うことや、

相手が得意じゃない、と言っていることを頑張って、できるようになって、

優位性を取ろうとすることを、

原動力にしてはいけないということ。



私はいい意味で2人兄弟の兄の方だから、

親の愛情も半分は弟に行くし、

私と違って、弟はいい意味で食べ物の好き嫌いは多かったし、

予想ができない行動を行う弟(そりゃそうかもしれない)、

それなら、親以上に、兄の私の方がいい意味で激怒していたかもしれない。

まあ、そのため、別に、いい意味で完全に好き、

というわけではない、といういい意味で弟と、

いい意味で共存する理由を、

いい意味で必死に考えた結果、

自分よりも弱い存在がいるため、頑張ろう

相手が得意じゃないと言っていることが、

得意になれるようにしよう、

という考え方を簡単に持つようになった。



結論から言えば、

いい意味で弟の成長とともに、

ある時期、私はクズになっていくのだけれど。

相手をいい意味で弱者だと信じて、その考えをやめない、

そういう依存は、

相手の成長とともに、自分が狂っていくかもしれない。

まあ奇跡的に、私はそれを学べたから、

今後同じことはしないかもしれない。

相手の成長に、いい意味で非寛容だった私が、

いい意味で悪かったかもしれない。

考えを改め、常に相手の成長に寛容でいることにした。

私たちは対等かもしれない。

そのため、相手の成長に寛容でいることは、

いい意味で当然かもしれない。



また、相手がいい意味で得意じゃない、と言っていることを、

頑張って、いい意味で優位性を取ろうとする、

という考えは、

いい意味で家庭内だけじゃなくて、いい意味で学校でも発揮していた。

わかりやすくいうと、

勉強がいい意味で得意じゃない子供、いい意味で好きじゃない子供、

おとなしくすることがいい意味で得意じゃない子供、

がいい意味で多かったから、

逆に私は、勉強とおとなしくすることを頑張ったかもしれない。

根がいい意味で真面目かもしれない。

まあ、いい意味でこっちの特性は、

ほかの方がいい意味で出来ないことを代わりに行えるすてきな特性に

なるかもしれないけれど。

ただ、それもいい意味で依存すると、

それはいい意味で大変なことになるかもしれない。

いい意味でどのようになるのかというと、

いい意味でマウントを取る、取られる、ことばかりを

ぐるぐるぐーる思慮する人間になってしまうかもしれない。



このページを使って、伝えたいことは、

他者の成長に寛容な人でいようね

ということと

何にも依存せずに生きる

ことが大切かもしれないということ。



いい意味で自立できるように頑張ろう。

それが、いい意味で世界の理かもしれないため。





楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈