器の大きさよりも、技能の高さが評価されやすい世の中かもしれない🗼🔮🌈
そういえば、私という人物以上に、
私の身につけた能力が評価されることもある。
初対面の会話で、
「趣味でギター弾きます🎸」
それだけで、
いい意味でなんかすごいですね、
となるかもしれない。
まあ、仮に、私が、
いい意味で陰キャ感が漏れ出すように、
会話を始めたとしたら、
そうじゃないのかもしれないけれど。
(いい意味で陰キャ感が漏れ出していても、
すごいね、と言ってくれるかもしれない)
まあ、変に詮索せず、
素直にすごいですね、
と思ってくれるのは、相手の性格がいいからかもしれない。
しかし、
性格のいい人は、初対面で相手がギターを趣味で弾きます、
と言ったら、
すごいですね、
という反応が想像できるように、
あれこれ詮索しなくても、すごい、と言ってもらえるということは、
相手の人物像よりも、技能を評価する、
傾向があるかもしれない。
まあ、いい意味で雰囲気があんまりな人に対しては、
反応は変わるかもしれないけれど、
私が知る限りでは、そういう推論を出せるかもしれない。
よーするに、何が言えるか、というと
性格や、人としての器が完全に優秀じゃなくても、
身につけた技能が高く評価されることもあるかもしれない。
性格や、人としての器が完全に優秀じゃなくても、
異性と交際する機会に恵まれるのは、
そもそも、性格や、人としての器が完全に優秀な人しかいない、
世界じゃないからかもしれない。
いい意味でお互い様だから、身につけた技能が高く評価されれば、
異性と交際する機会に恵まれることもあるかもしれない。
いい意味で、◯◯ができない、
ということに、上手に向き合うことさえも、
いい意味で技能の1つかもしれない。
全ての分野が、完全で優秀にできなくても、
異性と交際することはできるかもしれない。
できないことに上手に向き合うことさえ、
いい意味で技能の1つかもしれない🗼🔮🌈
楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈