見出し画像

フリーペーパー

子供の時は、今より単純に、単純なものが好きだったと分析する。

年相応でも、それ以上に大人でも、それよりも子供っぽくても、

誰もが一部の人に嫌われる可能性を持っている。

ただ、子供っぽく振る舞った上で

嫌われることは納得がいかないため、

(子供っぽく振る舞ったことで、

好かれることに納得がいかないことでもある)

年相応か、年相応以上に大人な振る舞いをしようと考えている。

しかし、さらに高度な行動として、

あえて、いい意味で反対の価値観である、

子供っぽい振る舞いをして好かれる、

ことに挑戦しているかもしれない。

性格ベースが大人だから、

あえて子供っぽい振る舞いをしても、

問題ないかもしれない。



逆に、大人っぽい振る舞いをして、

嫌われる事にも納得がいかない。

(大人っぽい振る舞いをして、好かれることは好きだけれど)

大人っぽい振る舞いをすると、

一部の人に嫌われるのである。

一部の人に嫌われることを改善したいからこそ、

性格は大人ベースで、子供っぽい振る舞いも取り入れているかもしれない。

そこまでしても、一部の人に嫌われるのであれば、

仕方がない。

私は最善を尽くした自信がある。



性格ベースが子供で、大人っぽい行動を目指した時期もあったな。

大人はみんな、能力がある。

資格や学力に限らず、

対人スキルがあったり、ストレスの対処法を確立していたりとかね。

能力がいい意味で足りていないのに、大人だと主張することは、

大人に憧れる子供、だと自ら言うようなものかもしれない。

それでも、今、楽に暮らしている大人(私も含む)は、

そういういい意味で成長痛を乗り越えてきたかもしれない。

今、成長痛を感じる段階にいる誰かは、

楽に暮らしている私達を、いい意味で僻まないように。

乗り越えれば、楽に暮らせるようになる。

以前の私、成長痛を乗り越える時期にあった私は、

自分の感じた痛みを、相手にも感じてほしい、

と思うことがあったかもしれない。

楽に暮らしているように見える人たちを見て、

同じだけの痛みを味わってほしい、

と考えたこともあったかもしれない。

しかし、それは、自分勝手な考えだと反省した。

成長することで、その人達は楽に暮らせるようになったのなら、

私はその人達に、同じだけの痛みを味わわせようと、

しなくていいと思えてきたんだ。

自分が成長しきっていないことを、棚に上げて、

楽に暮らしているように見える人達に、

同じだけの痛みを味わってほしい、

と思うことは、いい事には思えない。

以前の私が、今これを見ているなら、

猜疑心に囚われた君(私)に、

楽に生きていることを教えて上げたい。

君は、なんども失敗をして、

時間をかけて成長して行くんだから、

今、私の言葉が届かなくても気にしないかもしれない。

いつか、君にも、分かる日が来るかもしれない🗼🔮🌈





楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈