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全てが自由にかなったとしても。

全てが自由にかなったとしても、

己の弱さゆえにいい意味で不自由を感じることもあるかもしれない。

強くなりたい、と思ったとき急激に強くなる世界だったら。

高身長、高収入、整った顔、それらが

欲しいと思ったときに、すぐに手に入る世界だったら。

それはあり得ない、と考えてしまう。

引き寄せの法則では、そう思ったらそうだから、

私がそれはあり得ないと考えている限り、

そういう人生にならないだろう。

そう思えない、それはそれを望んでいない、ということ。

簡単に手に入らないことがあるから、希少価値がつく。

また、そういう世界に慣れすぎているから、

そうではない世界を望むことがいい意味でできない。

いい意味で苦労もあった。

これからの社会のために、みんながこれまで苦労していた所を、

楽にするような手助けができればいいけれど、

そういう快適な時代になって、

自分より上の世代の苦労を知ろうとしない若者が出てきたとき、

自分の苦労話を聞かせたくなるかもしれない。

私も、自分の上の世代から、いろんな苦労話を聞いて育ってきた。

学校の教科書でも、自分より上の世代になればなるほど、

とても苦労していたことを、学んだ。

高身長も、高収入も、整った顔立ちも、

手に入れたい、と思った瞬間にかなう世界だと信じることは。

お花畑の住人になるような感じかもしれない。

自分より下の世代、(って私まだ23だけれども)

には、自分の苦労話を聞かせないようにいい意味で我慢しなければ。

「いい意味で苦労話を喋っていい」と言われても、

言われたタイミングで、話したい、伝えたい気持ちがいい意味で少なくなる。

自分だったら、相手のいい意味で苦労話を聞くのは、

いい意味であまり好きではない。

人にされて嬉しいと思えないことは、相手にしない。

人間関係の基本。


文章を書いているときは、23という年齢から解き放たれている気持ちになる。

年相応の振る舞いというのは、

基本的な考えが変わらなくても、

自分の年齢に合わせて、

求められる(期待される)行動を

変えることでもあるかもしれない。

今の私は、じっちゃばっちゃと変わらないくらい心が綺麗だと思うけれど、

歳を重ねるたび、振る舞いを歳に合わせていく必要がある。

23の私に求められる(期待される)振る舞いと、

60年後の私に求められる(期待される)振る舞いは

いい意味で違う。

60年後も今のようなテンションで生活していたいため、

それを逆算して生活している。

還暦を迎えたら、精神年齢180歳になる予定を立てている。



楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈