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直感がここにステイしなさい、と言っているかもしれない🗼🔮🌈

余裕があるときに挑戦するんだ‼️

と自分に発破をかけ続けたけれど、

純粋で純真な愛を思い出して作品を

作ったら、作り終わった後は、

ここにステイしなさい、と直感が囁(ささや)いた。

ここにステイし続けて、例えば何も発信しなくても、

伸びてくれるものなんだろうか❓

今までは、そのようなことは、いい意味で信じられないから、

連日の紹介も頑張っていた。

いい意味で、雑に撮った動画も、

連日紹介パワーによって、再生回数が伸びることがアキラカになったため、

連日紹介すれば、いい意味でいずれの場合も伸びるということかもしれない。

SNSでは、いい意味で何も言わなくても、

いい意味で成果が伸びるということは、いい意味でないかもしれない。

いい意味で、何も言わなくてもか成果が伸びる状態、

を手にした人はいるかもしれないけれど、

いい意味で、動きはじめはそうではなかったかもしれない。



そう、私、青森大砲よりも、

今日作った

青い春

という曲が有名になればいい、と思って

紹介を頑張っていこうと思う。

それは、いい意味で私が、私自身のマネージャーになった気持ちで

取り組むかもしれない。

本当は、君のひざ関節をいい意味で外す、

とかそういう表現はいい意味で使わず、

完全に綺麗な曲にできればよかったかもしれないけれど、

いい意味で完全に綺麗な曲を作ったら、

いい意味で、一発屋になるかもしれない。

それは、その人の持つ性格以上に、

曲が有名になり、曲の雰囲気にいい意味で縛られるからかもしれない。

人間味ある曲を後からリリースすると、

売れた曲からいい意味で入る人は、

いい意味でウソをつかれた気持ちになるかもしれない。

曲を作ったその時は、いい意味でウソはないかもしれないけれど、

ずっと同じ性格、とは限らないかもしれない。

いい意味で、綺麗すぎる綺麗事は、いい意味で考えない、

ということがいい意味で神経に刻まれていて、

青い春

は、そういう人が、

純粋、純真な気持ちを思い出し、

作った曲かもしれない。

いい意味で少し、人間味が残っていても、

いいかもしれない。

結果的に、私がいい意味でこれからどのように成長しようと、

曲を作った時の気持ちも、

最新の気持ちも、いい意味でウソにならずに済みそうだから。

自分が自分を信じれるメリットは大きいかもしれない。

だから、今日作った、

青い春

は、いい意味で少し人間味が残った曲かもしれない。

いい意味で綺麗すぎる曲を作ると、

いい意味で自分を、綺麗事を好む人、という印象にしてしまうかもしれない。

いい意味で、綺麗事だけで、進んでいけないのが世の中かもしれない。

綺麗事しか好めない、というのは、

いい意味で無知の表れ、のように思うところがあるかもしれない。

しかし、いい意味で綺麗事を好む気持ちを、

いい意味で否定はしない。

私は私の価値観で、綺麗事を好みたい人はその人の価値観でいい。

しかし、いい意味で綺麗事だけじゃ解決できない問題が現れた時、

そういう人も、いい意味で考えを変えることになるかもしれない。

以前、私は、いい意味で綺麗事(だけ)を好んでいたかもしれない。

しかし、いい意味で現実は、綺麗事だけじゃ解決できないかもしれない。

だから、

「綺麗事を好む気持ちは正しい」

ということを、いい意味で正当化するために、

いい意味で現実に現れた、今のままでは解決出来ない問題から、

逃避していたこともあるかもしれない。

「綺麗事だけを好む」

という気持ちを変えれば、解決できる問題もあったかもしれない。

最も、

綺麗事を並べて、

いい意味で面倒な物事から、いい意味で逃げようとしていた、

いい意味で未熟な面が私にはあったかもしれない。

だから、

いい意味で、現実に現れた今のままだと解決出来ない問題から、

いい意味で逃げていたんじゃなくて、

いい意味で綺麗事に逃げて(甘えて)かもしれない。

綺麗事は、いい意味で得意分野だから、

いい意味で得意分野に逃げて、甘えていたかもしれない。

いい意味で綺麗事に逃げていた時の私は、

いい意味で他責的考え方で、

自分がいい意味でよくないとは思わなかった。

子供の時は、そういう考えが、

いい意味で浮くことは少ないかもしれないけれど、

歳を重ねても、他責的考えで、

自分はいい意味で悪くない、という考えだと、

いい意味で幼い人、という印象を与えてしまうかもしれない。

社会人は、自責的考えとともに成長している、と学んだ時は、

いい意味で目から鱗だった。

感覚的には、いつまでも、他者が起こした行動の反動で、

生きていてはいけない、と思っていたけれど、

他責的考えではなくて、自責的考えが伴った成長をしよう、

ということを学び、すとん、と降りてきた。

それまでは、いい意味で国民の義務、良識、常識、などに

いい意味で縛られることが嫌で、

優秀な社会人は、いい意味で社会や国の、イヌ

といういい意味で偏見を持っていたかもしれない。

そのため、いい意味でイヌになることを、

いい意味で嫌っていたのだけれど、

就労移行支援で、応援してくれる支援者を思えば、

いい意味で、社会のイヌになる覚悟ができたというか。

良識、常識を、守れる大人になりたいな、という気持ちになった。

就労移行支援に進んだのは、私の意思だけれど、

いい意味でなんとなく、そうした感じで、

明快な頭で選んだわけではなかったかもしれない。

しかし、いい意味で快適な状態に甘えきっていた私を、

就労移行支援の支援者は、約1年3ヶ月支えてくださり、

自分のために時間を使ってもらえた、という感動が、

社会のイヌになる覚悟を決めた要因かもしれない。

今の会社でも、いい意味で会社のイヌになる覚悟をしている。

障害者雇用だから、いい意味で難しい仕事ではない、

毎日働き、誠実に役割をこなすことが最も大切かもしれない。

意外と、自分をイヌ、と考えて生きることも悪くないな、と思えている。

いい意味で、何に仕えるかで、いい意味で人生は決まる。

私が選んだ就労移行支援事業所だったり、

今の会社だったり、

いい意味でイヌとして仕えることを喜べる環境かもしれない。

元々が、いい意味で自由人すぎる私だから、

いい意味で自らをイヌと考えることは問題はないかもしれない。

会社は、有能、優秀なイヌに仕えてもらえて嬉しいかもしれない。

いい意味で、イヌはイヌでも、高潔なイヌでありたい。

私は、いい意味でnoteに仕えるイヌでもあるかもしれない。

いい意味で従者というほど、生活を支えることはいい意味でできないけれど、

いい意味で別に言い方をすれば従者、というイメージにも憧れるかもしれない。

いい意味でさらに、ハイレベルな役職になれば、執事かもしれないけれど、

執事と名乗るには、いい意味で自分の(生活)能力がいい意味で足りない、

と思うことと、

執事を名乗ることで、いい意味で余計なプライドが生まれ、

いい意味で視野が狭くなるかもしれない、

という考えもあり、

いい意味で従者、と名乗った方が、

いい意味で余計なプライドを持つことをせずに済むような、

気がするかもしれない。

能力が高くなれば、優秀・有能な従者となるため、

そういう自分にいい意味で満足できるかもしれない。

自立できる能力を身につけて、

執事を名乗れる自分に近づいてもいいかもしれないけれど、

執事と名乗る世界線では、いい意味で満足出来ないけれど、

ゴージャスな時間を過ごすかもしれない。

いい意味で満足できないことに満足する、

いい意味で贅沢な世界線かもしれない。

いい意味で、執事を名乗るには、いい意味でガッツが有り余るかもしれない。

いい意味で熱血漢の執事は、いい意味で執事でなくていいかもしれない、

といい意味で直感が囁くかもしれない。

noteという主人を満足させるために、

クリエイターとしての能力を上げる楽しみがあるかもしれない。



まあ、心の品格は優れているけれど、

家ではいい意味でこんな感じだから、

いい意味で執事を名乗る私はイメージできないかもしれない。

執事ごっこは、いい意味でしてもいいけれど、

入念に練られたプロット(台本)である必要があるかもしれない🗼🔮🌈





楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈