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悪銭が幅を利かすことを許さない人になる覚悟を持ちました。

学生時代は自分より凄い人を素直に認められない私だった。

その性格によって人生ハードモードになっていた。

今では反省し自分より凄い人を素直に認めている。

そのため人生はイージーモードになった。

心の醜さは直ぐ伝わる。

悪貨は良貨を駆逐する。

信頼を失うのは一瞬だ。



だからこそ、

いつまでも被害者の顔をせずに

自らの醜さを改める必要がある。

悪貨じゃなくて、良貨を作るようにする。

良貨を作りたい、と思える人が増えることを望む。

信頼を失わないことを望む。

客観性を損なった甘え方はしないようにする。



それでも、

ついつい被害者の顔をしてしまいたくなることもあるし

美しさ、綺麗を思うと

私には何も表現するものはない気持ちになる。

大好きだったアーティストだって

悪貨か良貨で行ったら

良貨を駆逐した悪貨のように思えることもあり

悪貨をいい意味で駆逐しようと思えない私もいる。

(悪貨を駆逐しようとするものは、良貨なのか❓書きながら思ったのは、今まで私は楽をしていたのかもしれない。悪貨を本気で駆逐しようと思うことはなかった。悪貨を駆逐しようとする過程で、同じことをしているんじゃないか、と思うところもあった)

信頼を獲得することは時間がかかる。

しかし、信頼を失うのに時間はかからない。

生きることは基本的に、

いい意味で難しいことかもしれない。

楽な方、かどうか、という考えだけで行動を決めたら

時間をかけて信頼を獲得しよう、

という行動を行わないのではないだろうか。

客観性を損なった甘えは

人や社会に迷惑をかけるかもしれない。

客観性を損なった甘えを行う方は、

いい意味で信頼されない。

そういう方が、どの程度、幅を利かすのかは

その時代によると思うけれど

少なくとも、私はそういう方が幅を利かすことは好ましいと思わない。

更に、時代は、風の時代になり、

客観性が損なった甘え方を行う方は、

いい意味で幅を利かしづらい世界になっていくかもしれない。

客観性が損なった甘え方を行う方に、

そのままではいけない、

と思い続けることは

なかなか体力が要る。

今まで、悪貨が幅を利かすことは、

しょうがない、と考えているところもあった。

だから私は悪貨が幅を利かすことを批判せず

楽に既成因果に溶け込み生きていたかもしれない。

しかし、改めて、

私は楽をしていたことに気づいた。

本当は、悪貨が幅を聞かさないように考え続けなきゃいけなかったのに。

以前も、世の中は悪貨が幅を利かしがち、

だと考えたこともあった。

好きなゲーム、好きな音楽さえ、

振り返ってみたら悪貨と言えるような気だってした。

今日から、悪貨が幅を利かすことに対抗していく覚悟ができた。

相手をジャッジすることを避けていたけれど

それが本当に正当な手段なのか、などを

考えてみようと思う。

本当に、それが正当な手段なのか、

を気にすることに慣れていきたい。

慣れないうちは、

ついつい実際に見たわけでもない相手に

先回って憎んでしまうかもしれないため

うまく慣れて、

実際に見たことがない相手に

先回って憎むことは避けたいと思う。

正当な手段を守らない方は良くないけれど

その気持ちを楽に習慣づけるため

実際にあった事もない相手を

先回って憎むのはずっと変だと思っている。

今までも悪貨が幅を利かすのはしょうがないよね〜、

(実際にそういうことわざがあるくらいなんだから)

と考えていたのは

実際にあったことがない相手を

先回って憎むことは避けたい、としていたからでもある。

実際にあったことがない相手を

先回って憎んでいた時期は私にもあった。

だけれどそれも正しいことだとは思えない🐇🍆⭐️🗼🔮🌈











楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈