最低限の社会人基礎力を保つために、ある程度のストレスと共に生きる考えを備えた。

精神的な疲れを完全になくしたとしたら

その状態にとどまりたい、
 
と思ってしまう私がいる。

不登校、挨拶登校だった時期は

精神的なストレスが

完全にないこともあった。

しかし、社会で生きるには

いい意味で最低限は社会人基礎力が必要だ。

それを獲得するには

または、それを保ち続けるには

ある程度のストレスと

共に生きる、という考えを

備えることになる、

と思う。

風の時代になってきているというのに

なぜ、まだいい意味で地の時代の感性で

私が考えるのかというと

完全に精神的ストレスを

手放した状態をいい意味で

望まないからかもしれない。

いい意味で、

最低限の社会人基礎力を保つには

ある程度の、ストレスと

いい意味で共に生きる、

という考えを備えずに

生きることは

いい意味で 簡単じゃないんじゃないか

と思う

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