不安定なレディには心が揺れ動きやすいけれど、安定したレディには心が揺れ動きづらい。

頭の中で、特定の女性を

「めっちゃ好き」

認定すると、

その女性と実際に会った時、

なぜか心が揺れ動かないことがよくあった。

自己分析によると、

不安定なレディには心が揺れ動きやすく、

安定したレディには心が揺れ動きにくい、

傾向があるようだ。



心の揺れ動き、

をときめき、というのなら

不安定なレディに

私はとてつもなくときめく。

しかし、

不安定なレディよりも

安定して生活をこなしているレディ

を高く評価したい。



レディを甘やかしてはいけない。

不安定なレディを精神年齢が低い男性は好みやすいかもしれない。

「俺がいないとダメな女」

「守ってやりたい」

そのように思うかもしれないけれど

それは本当に相手のためになるのだろうか❓

不安定なレディが成長して、

安定したレディになったら、

ときめくのか❓

ときめかないのか❓

不安定なレディが成長して、安定した妻や母になった時、

ときめかないから、という理由で

浮気、不倫を行うことは許さない。

私は、他の男性よりも、浮気・不倫に厳しい感覚を持った男性だと思う。

私の、育った背景によるものだけれど

詳細は書かない。

許さないが先行するから、異性と付き合うに至るハードルが高い。

そもそも、付き合うことは脳内で全く考えていない。

浮気・不倫は許さない、という思考が先行していて

それに支配されているかもしれない。

異性と付き合うことは、他の男性よりも

ワクワクしないかもしれない。

まあ、そういう私も、彼女いない歴=年齢 というビハインドをずっと

抱えることが単純に辛いため

彼女を作ったことはあるけれど。

かなり優しい所と、ドライというか冷徹な所が

器用に混在しているような現状だ。

彼女と付き合っていた時も、

本当は 彼女いない歴=年齢 にピリオドを打ちたかった所があったことを

私は知っていた。

初めから、

「彼女いない歴=年齢 にピリオドを打ちたいため、Xヶ月(またはX年)、私と交際してください、その後で別れましょう」

という説明が理想的、と脳裏に浮かんだ。

流石に常識で考えれば、そのようなことを

許可してくれる女がいるとは思えない。

私の目的が、彼女いない歴=年齢 にピリオドを打つことならば

中身ある時間を過ごした後は、

嘘をつき続けなければならないと感じていた。

初めから、

彼女いない歴=年齢 にピリオドを打つことが

目的の付き合いを許可してくれる女はどれくらいいるんだ。

常識的にいないだろ。

このような方法を使わなければ、

負の感情だけが大きくなるだけだった。

どれだけ勉強ができても、

誰だけ仕事ができても、

一生、彼女を作らない男で居続けるルートは、

異質過ぎる。

異質すぎる生活は、

他者に本当の意味で理解されず

マイノリティとして

生きづらさを感じることになるのだ。

ゲイでも、バイセクシャルでもないけれど、

浮気・不倫を許さない、が先行するから

女性と交際する上で、素直に楽しめない。

一生涯、彼女を作らない生活も、選択肢にはあったが。

辛そうに生きることになる。

誰にこの気持ちが伝わるんだよ。

側から見れば、

彼女を作る勇気がない人に見えるかもしれない。

あまりに異性を敬遠しすぎるとゲイやバイセクシャルに見えるかもしれない。

更には本能的であることも好まないから、エックスジェンダーの気持ちも

割とわかる。

どこに生き場所があるのか。

とりあえず、嘘の顔で

事実上彼女を作って

別れて

彼女居ない歴=年齢 にピリオドを打とう。

絶望の渦中にいるときは

それが最善策に思えた。

お金で買えない財産がある。

ただ、異質なレベルで繊細な自分が、

温かく承認されることだ。

生活に必要なお金さえ稼いでいれば

本当にそれ以外、要らないレベルでこれまで困って生きてきた。

お金で解決できない問題はとてもたくさんあるし、

お金が仮に潤沢にあったとしても

直ぐに金に頼ることは好きじゃないし。

生活に必要なお金を稼げていれば、

特に物欲がない。

今の生活水準が保てればいいと思っている。

母が、居なくなる時までに、

家事と選択、諸々の手続きは自分でできるようになろうと思う。

お金を稼ぐことは、簡単なことじゃないのに、

それを理解せずにお金を使う人間にはなりたくない。

障害者という世界線に生まれたのだから

お金に頼らない幸福を追求するように生まれたんだと

覚悟している。

甘い人間、浅い人間が好きじゃない。

そういう私も、自立がまだだけれど、

そういう気持ちを持っている。

これまで生きる中で、

中指立てたくなる人間がどれだけいたと思っている。

まあ、そういう気持ちに共感しやすい人もいるけれど

そういう感覚がメジャーになるのは好きじゃないな。

それよりも、敢えてそれを言わない人間が

高く評価される社会になってほしい、と思っている。

まあ、私も、これまで生きる中で、

中指立てたくなるような人間がたくさんいたのは事実だ。

だけれど、その感覚が、

ファストフードみたいに、

簡単に気持ちを表現するもの として

広まることは防ぎたい。

まず、私が、

中指たてたくなる人間がいました、

という表現は

基本、使わないほうがいいものだ、

と責任を持って説明する。

次世代は、そういう気持ちに、うまく折り合いをつけて

別の表現で、気持ちを伝えられる人間が育てばいいと思う。

要するに、みんなの世界線に、

中指たてたくなるような人間が出現しないような

社会になればいいな、と思っている。

私のI.Qってどのくらいあるんだろう。

高校の時、友人が、

ネット検索で、簡易に調べられる

I.Qテストを出題してきたことがあるが

スッゲーむかついた記憶がある。

基本、押し殺して生きるのがメジャー。

自分が高I.Qかも、とか忘れるくらいの気持ちで

社会と調和する

ようにしているのだから。

実際に、I.Qテストで、I.Qが高いと分かったからと言ってなんだというのだ。

ストレスの感じるポイントや

感覚の細かさは変わらないだろう。

解けたとしても

「だからどうした❓」

という気持ちだ。

何か変わるというのか❓

まあ、ここまで伝えたから理解に至るのが早いと思うけれど

そもそも世界・社会そのものに中指を立てようと思っていた時期もあり

中学は、望ましい学生像にハマるのが好きじゃなくて

勉強をしなかったこともある。

勉強が好きじゃない人間との、

1つの共通点は

望ましい学生像にハマるのが好きじゃない、

かもしれない。

高校は、定時制に入学して、

カリキュラム的には、あまり難しいことを勉強しない学校にいたから

そのときは、

中学1年までは

5教科それぞれ80〜90点、ヨユーレベルの学力だった、

が過去の自慢話にしかならねぇ〜 と感じていた。

過去の自慢話を持ち出す人間はうざったい、と思う。

気心が知れた仲なら、許容できるかもしれないけれど。

だからその時からずっと、

過去の自慢話じゃなくて、

今、自慢できる取り組み、

をすることが目標だった。

障害者としては

障害者枠の一般就労ができれば

結構、成功した人生と言えるようなところがある。

月10万程度、手取り8万程度、

週30時間の労働で、

障害者としては勝ち組になれるのだから

「マジっすかこのように楽に勝ち組になっていいんすか」

みたいな気持ちかもしれない。

まあ、今の仕事が楽だといえるのも

自分の力が優れているからだ。

健常者のクラスに混じっても学力やら

いろんな分野で、勝ち組になれる私は

やはり障害者という世界線でも

勝ち組になれたのだった。

確かに、私よりも特定の能力がすごい健常者もいっぱいいるし、

私よりも特定の能力がすごい障害者も、

いっぱい、とは感じないけれどいる。

障害をオープンにして仕事を行うことで、

得られるものがいっぱいある。

クローズドだと、健常者に混じって働くことになるため

配慮なしに健常者と比較されることになる。

(そのため、自身も健常者と比較してしまう気持ちが強まってしまう)

健常者と同じ条件で競い合っても、

得意な分野だった勝つこともあり得る。

しかし、色々なストレスを堪えて、

1つの勝利を挙げているのだ。

継続的に取り組むには色々な問題点がある。



私は、精神障害者のため、

基本的に、ストレスを感じやすい。

そのため、ストレスを感じずに働けることが全てだと言える。












楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈