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自分にない考えは貴重だけれど、場合によってはギャップで疲れるだけだよね。

自分にない考えは、貴重だけれど、

場合によってはギャップで疲れるだけだよね。

って話をしていこうと思います。

わっかりやっすい例えで言うと、

アンチ🦹‍♂️🦹‍♀️と話してもただ疲れるだけだよね⭐️✌️

って感じなイメージです。

私に攻撃的なアンチはいないけれど、

こちらは、相手のことが嫌いじゃないのに、

ブロックされていることもあるのが事実。

攻撃的なアンチがいないのは、普段の態度が巧いんだと、自己分析している。

普段の態度によっては、攻撃的なアンチが出てくることもあるかもしれない。

現時点では、正攻法で私と争っても、

私を責め立てた人の立場が悪くなる、的な❓バランスかもしれない。

損害を被る可能性があるのに、責め立てる立場を取る人は、

はずれくじを引くようなものだと感じて、

極力、批判する立場にはならないように、と気をつけている。

まあ、損害を被る可能性があったとしても、それに屈せず、

勇気ある批判、を行うことで、注目されることもあるけれど。

まあ、それを言うなら、この記事も、

損害を被る可能性に屈さず行う、勇気ある批判、と考えることもできる。

自分と違う意見は全部貴重だ、

と考える人もいると思うけれど、

敢えて、斜め上な考え方で、

自分と違う意見は貴重だけれど、場合よってはギャップで疲れるだけだよね。

とソフトに書く。

あと、炎上すれば3割が味方になる、と小耳に挟んだことはあるけれど、

わざわざ、炎上させよう、とは思わない。

この記事は、私が今、堪らなく書きたい記事ではないけれど、

私が書きそうな記事だと思って書いている。

毎日更新している人は、その時、堪らなく書きたい記事ばかり書いているとは

限らない。

態々書かんでもいいかな、とも思える内容を、

私が書きそうだから。

(今、これが堪らなく書きたい、みたいな雰囲気で)

という理由で書いているかもしれない。

あと、いい意味で、あまり専門的な内容を書かないことが多いから、

刺さる範囲がいい意味で幅広い。

絵専門のクリエイター、ビジネス専門のクリエイターがいたとして、

内容が専門的で上等な内容(自分と違って貴重)でも、

ギャップがあるから疲れる、

という理由で離脱されることもあるかもしれない。

noteでは、専門性・権威性よりも、ユーモアが喜ばれる、と私は見ていて、

そのため、私もnoteに適している。

note=(専門性・権威性<ユーモア)

YouTubeとかの方が、専門性・権威性が喜ばれると思っている。

そもそも、専門性・権威性で競ったら、一般人に勝ち目はない。

専門性・権威性があまり持っていないからこそ、ユーモアセンスが冴える。

YouTubeは、一般人の水準を、超えるような武器を持っていないと、

見向きもされない。

別の居場所を見つける、もしくは。結果を出すために学び続けるか、

のどちらかを選ばない限り、ただ埋没しているだけ。

YouTubeで作るコミュニティよりも、noteで作るコミュニティ

の方が希望ある。

YouTubeで、埋没という窮地に立った経験がある私は、

別の居場所を見つける、選択肢を取り、noteを始めた。

YouTubeチャンネルが埋没しても、多くの人は私のことを知らないため、

攻撃的なアンチが生まれることもない。

しかし、高評価がつかないような動画投稿を続けていても、

満たされない自己満足になる。

満たされない自己満足。自己満足なのに満たされない。

なんてことも、これまであった。

満たされるなら、別に他者満足でもいいよね❓って今は思っている。



予定よりも文字数が多くなっちゃったけれど、

この記事を必要とする人がいるため、いいのである。



楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈