![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74874216/rectangle_large_type_2_e5d0a589a328cf37fb4b2abd0f43288a.png?width=1200)
自分にない考えは貴重だけれど、場合によってはギャップで疲れるだけだよね。
自分にない考えは、貴重だけれど、
場合によってはギャップで疲れるだけだよね。
って話をしていこうと思います。
わっかりやっすい例えで言うと、
アンチ🦹♂️🦹♀️と話してもただ疲れるだけだよね⭐️✌️
って感じなイメージです。
私に攻撃的なアンチはいないけれど、
こちらは、相手のことが嫌いじゃないのに、
ブロックされていることもあるのが事実。
攻撃的なアンチがいないのは、普段の態度が巧いんだと、自己分析している。
普段の態度によっては、攻撃的なアンチが出てくることもあるかもしれない。
現時点では、正攻法で私と争っても、
私を責め立てた人の立場が悪くなる、的な❓バランスかもしれない。
損害を被る可能性があるのに、責め立てる立場を取る人は、
はずれくじを引くようなものだと感じて、
極力、批判する立場にはならないように、と気をつけている。
まあ、損害を被る可能性があったとしても、それに屈せず、
勇気ある批判、を行うことで、注目されることもあるけれど。
まあ、それを言うなら、この記事も、
損害を被る可能性に屈さず行う、勇気ある批判、と考えることもできる。
自分と違う意見は全部貴重だ、
と考える人もいると思うけれど、
敢えて、斜め上な考え方で、
自分と違う意見は貴重だけれど、場合よってはギャップで疲れるだけだよね。
とソフトに書く。
あと、炎上すれば3割が味方になる、と小耳に挟んだことはあるけれど、
わざわざ、炎上させよう、とは思わない。
この記事は、私が今、堪らなく書きたい記事ではないけれど、
私が書きそうな記事だと思って書いている。
毎日更新している人は、その時、堪らなく書きたい記事ばかり書いているとは
限らない。
態々書かんでもいいかな、とも思える内容を、
私が書きそうだから。
(今、これが堪らなく書きたい、みたいな雰囲気で)
という理由で書いているかもしれない。
あと、いい意味で、あまり専門的な内容を書かないことが多いから、
刺さる範囲がいい意味で幅広い。
絵専門のクリエイター、ビジネス専門のクリエイターがいたとして、
内容が専門的で上等な内容(自分と違って貴重)でも、
ギャップがあるから疲れる、
という理由で離脱されることもあるかもしれない。
noteでは、専門性・権威性よりも、ユーモアが喜ばれる、と私は見ていて、
そのため、私もnoteに適している。
note=(専門性・権威性<ユーモア)
YouTubeとかの方が、専門性・権威性が喜ばれると思っている。
そもそも、専門性・権威性で競ったら、一般人に勝ち目はない。
専門性・権威性があまり持っていないからこそ、ユーモアセンスが冴える。
YouTubeは、一般人の水準を、超えるような武器を持っていないと、
見向きもされない。
別の居場所を見つける、もしくは。結果を出すために学び続けるか、
のどちらかを選ばない限り、ただ埋没しているだけ。
YouTubeで作るコミュニティよりも、noteで作るコミュニティ
の方が希望ある。
YouTubeで、埋没という窮地に立った経験がある私は、
別の居場所を見つける、選択肢を取り、noteを始めた。
YouTubeチャンネルが埋没しても、多くの人は私のことを知らないため、
攻撃的なアンチが生まれることもない。
しかし、高評価がつかないような動画投稿を続けていても、
満たされない自己満足になる。
満たされない自己満足。自己満足なのに満たされない。
なんてことも、これまであった。
満たされるなら、別に他者満足でもいいよね❓って今は思っている。
予定よりも文字数が多くなっちゃったけれど、
この記事を必要とする人がいるため、いいのである。
楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈