無益なことをしていられるのも、誰かが実益あることをしているからだっていう。
無益なこと。ゲームとか。SNSとか。いい意味で色々あるよね。
SNSは、承認欲求も満たされるし、
知らなかったことを知るきっかけにもなるけれど。
(だとすれば、有益な面もあるかもしれない)
しかし、全ての行動がお金に繋がるわけじゃないし、
(そりゃ、全ての行動がお金に繋がったら万々歳なんだけれど🙌)
基本、は無益なことしているな〜、と思うところもありつつ、
noteではスキを押したり、Twitterでいいねを押したりしている。
(いい意味で一般論をうまく組み込むことが書くコツ)
そもそもさ、実益・有益なことしか行わない人間っていないと思うんだ。
ぽちぽちスキ・いいね、を送って、返ってきたことに感動することは、
よっぽど捻くれていなければ嬉しいことだと相変わらず思う。
それと同時に、全ての行動をお金に繋げる人間が羨ましい。
羨ましくもあるけれど、動かす額の桁が変われば、
ストレスも大きくなるんじゃないか、と思うところもあるけれど。
ゲームはしていないけれど、SNSで、スキ・いいね、押して
遊んでいられるのは、
母が家事行ってくれているからだな〜、と思う。
あと関係あるようで関係ないかもしれないけれど、
個人的には、求人票とかそれに関する諸々は根本的に神システムだと思う。
私の頭ひとつじゃ起業できないと思う。
既に、成っている事業に、よいこらせっ、と入るだけで
(まあ定着するにもスキルは要るけれど)、
お金がもらえるという。
起業して黒字を出している頭いい方(社長)に感謝だな。
明日も仕事だったらいいのに。と思う私はいい意味で少数派かもしれない。
まあ、1日6時間で、そのような難しい仕事じゃなく、
いざとなれば、職員から力を借りることもできる、
という安心感の中で働いているからこその発言かもしれないけれど。
お金の管理は母に任せているため、
普段からお金についてねちねち考えることもなく、
年収が少ない、と思い悩むことはない。
年収が少ない問題については、考えない権利・自由があるでしょう。
私の立場でも、年収が少ない、と悩んでいたら、
例えばB型で働いている人たちはどうなるの。
自分よりも年収多い人が、
私、年収少ないんだよね〜。
とか言っていたら、うっぜぇな、と私なら思うため、
客観的に考えれば、年収が少ないかもしれないけれど、
そこで悩みはしない。
みんなさ、客観的に合理的な、自信のある答えを導く中にも、
やっぱ何かの答えは切り捨ててしまっている。
年収私よりも多い人が、年収少ない、と悩む一方、
私よりも年収が少ないB型で働く人が、楽しく働いていることも、十分あり得る。
自分よりも、年収多い人が、年収少ないんだよね〜、と
間接的にマウント取ってこようとしたら、まじうっぜぇ、
と思うかもしれないけれど、
相手が間接的にマウントを取ってこようとしないなら、
普通に悩む権利・自由はあると思う。
私は、年収が少ないことに関しては、考えない権利・自由を選択しているから、
悩みの方向性が合わない人もいるかもしれない。
あと、絶対的に正しい、というものを押し付けてくる人が好きじゃない。
だから、そういう考えを持ちがちな人たちが、
切り捨てがちな事実・可能性を、割と常に意識している。