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恵まれることが。

恵まれることが当たり前に溶け込んできて、

これまでの苦労を忘れたら、

強い根拠で行動できなくなる。

強い根拠で行動できるのは私の長所でもあり、魅力だ。

だから苦労を完全に気にしなくなろう、とは思えない。



時代は変わった。

積み上げたものの大きさで評価されない時代になった。

学歴社会も終わった。



私よりも、積み上げが足りないように見える人が、

私と同等か、それ以上に持ち上げられることもある。

逆に、私よりも長い年月をかけて積み上げてきたであろう人物よりも、

その人物よりも積み上げが足りないと思える

私が持ち上げられることもある。


その原因として考え付くのは

人に見える所で発信したかどうかだと思う。

SNS歴1年の、40歳のおっさんがいたとして、

SNSを行う前の39年は、ネット上には記録されていない。

これまでの経緯を、文章で語っても、

当人にとっても、読み手にとっても

鮮度が感じられない。

同じように、過去の出来事を、昨日のことのような鮮度で

抱えている人には共鳴するかもしれないが。

未練ある書き方を行う人には、同じような人が集まってくる。

私はそういう人は集めたくない。

若者は、鮮度の高い文章を書けるため得だと思える。

そういう私も、鮮度の高さで勝負している。

私よりも、長い年月を生きた人間は、

私よりも積み上げたものが大きいと思うけれど、

若いゆえの鮮度の高さによって私が持ち上げられることも多いようだから。

まあ、若いゆえの鮮度を鼻にかけ、

調子に乗ってはいけない。

適当な文章は、今後も自身の首に刃を向けることになる。

おっとっと。読み手を脅すような書き方になってしまったが、

書かなければいい、という極論で締めるのもあんまりだと思う。

健全に、マナーを守れば、

自分の未来を圧迫しないコンテンツは作れる。

10代の一般的な学生と比較した場合、

23歳の私は、場数を踏んだことによる知恵で差をつけることになる。

10代の一般的な少年少女に負けないように頑張ろう。

自分よりも歳上には、積み上げの規模よりも、

鮮度を活用して差をつけようと思う。



人が見ている所でした積み上げしか評価されない。

私が、noteの画面を開いていない間、

歌を歌っていても、何も生まれない。

それでも、無益な行動をしたいために、

誰も見ていない所(厳密には家族には聞こえることもあるが)で

真剣に歌うこともある。

意外と、無益な行動が、積み上がった時、

実力がワンランク上がるから。


楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈