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トラブルがあった時、安全圏で言えていたことの筋を通せるか、は試練。

安全圏にいる時は
綺麗なこと
純粋なこと
前向きなこと
爽やかなこと
明るいこと
素晴らしいこと
素敵なこと

そういった陽エネルギーに満ち溢れた
言葉・仕草・態度を取れるだろう。

お金は精神的余裕を作り出し、
貧困が喧騒を作り出す。

貧困状態のように
余裕がない状態の時は

歪んだこと
醜いこと
不純なこと
後ろ向きなこと
後味の悪いこと
暗いこと
捻くれたこと
自分本位なこと

そういった感情に支配された
言葉・仕草・態度を取りそうになる。

貧困は心の余裕を奪い、
本来なくてもよかった争いを生み出す。

やはり、お金はあればあるほどいい。
それはそうだ。

安全圏にいる時は、実に道徳的で気高いことを言っていられるが
窮地に立った時にも、
気高さにこだわれば、
それは相手の眼には自分本位に映ることもある。

心の余裕があったり、資産に自信がある人は、
可能な限り正々堂々としていたいものだ。
貧しき人が思う不安・心配なんて知るつもりもないだろう。

まあ、わたしもそうだ。
自分が幸せな時、幸せじゃない人の話は聞きたくないと思うからな。

これまで、幸せじゃないと思っていた時期も長かったし、濃かった。
だから、ようやく幸せになれたときにまで、
大きな陰エネルギーを好む人と関わりを持ちたくない。
(小さな陰エネルギーを好むくらいは健全な場合もある。
覚えるためには、陰エネルギーが要る、という個人的な公式に基づく)

しかし、幸せな時でも、幸せだと本人が思えない人の話を聞いたり、
物をプレゼントすることは
自分が幸せだと思えなくなった時に
助けてもらえる布石でもある。
メンタルは時間経過で回復する。
暗い人の話を聞いても、こっちが健全なら直ぐに
健康的な心境に戻る。
(一応、そういう切り替えも地味な訓練によるスキルが要ると思った方がいい)
もちろん、見返りを求めて相手に何かを与えることはあまりいいと思えない。
しかし、わたしも、幸せじゃないと思い続けている時、
noteで相手からサポートを(偶然で運が良かったのかもしれないけれど)
もらって、自分は幸せだと言える根拠が増えて、
その後の人生においていい変化をする布石になった。
だから、相手の目的も理屈でわかっていたとしても、
その気持ちを受け取ることは大事だ、と思えるきっかけになった。
それに、そこまで愛ある行動をしてくれた相手がいるなら
相手の愛を無下にしないように多角的に考えて取り組もう、
とするのが男らしい行動ではないだろうか。
ガッツ(根性ある)行動。
今の自分にできないことも、努力すれば解決できる。
ガッツがあればなんでもできる。タイミングをよく見て使う根性論。

まあ、陰エネルギーが生成されそうになるのは
なにも貧困に陥った時だけじゃない。
思いがけない不足のトラブルに直面した時にもだ。

安全圏に居座っていた時に言えていたことを、
窮地に追い込まれた時にも言えるのかというところ。
もちろん、同じことが言えなくても
仕方ない。責めはしない。
言えないのは、状況の変化を肌で感じているからだ。

でも、窮地に陥った時に
再び言えないようなことを
安全圏で調子に乗って言っていたとしたら
反省をする方がいいだろう。
幾ら、未来は予想がつかないとはいえ、
思いがけない不足のトラブルは、予想がつかないとはいえ、
(ちょっとは経験則で備えられることもできるし。
思いがけない不足のトラブルを、ある程度、常に予想することもできる。
しかし、普段から思考の細かさ・深さを上げすぎると
疲労感がとても増えるから、
わざと思考を粗く・浅く しているところが実は私にはある。
思いがけない不足のトラブル と言っているものの
本当は本能で危機察知できていることもあると思う)
状況が変わった時に通せないような発言は
責任感のなさの表れで失笑物であると
自戒の祈りを立てる。
責任感ある人でいたい。
責任感ない人よりかは
責任感ある人でいたい。
状況が変わった時に通せないような発言は
責任感のなさの証明であり、
「そのようなことなど知る由もなかった」
と言うものに対しては、
予想能力の不足の証明であると言い放つ。
と文を起こすものの、自分にもキレッキレの刃は
矛先として向かうのだが。
何度も書くが、状況が変わった時に
通せないような発言はしたくない。
それは予想能力の証明でもあれば、
責任感のなさの証明でもある
と取れる。
だから予想能力が高い人でもありたいし、
責任感がある人でもありたい。

しかしストイック過ぎても、
疲労感が増えてしまう。
ストイックとは 自己公式だと
思考を極限まで細かく・深く することだと思う。
逆に脱力とは 思考を粗く・浅く することだろうか(移項のように考えれば)

ストイックすぎる人は、消耗しやすく、
常に、問題解決に必要な体力を備えているか
というところでは不安要素があると言える。

移項的に考えれば
脱力的に取り組む人は、消耗はしづらいけれど、
思考が粗く・浅く
そもそも問題解決の際に頼りにならない
可能性がある。

自分は脱力的に取り組む方で
普段の思考が粗く・浅い 自信はある。
むしろ、思考が細かく・深くなりすぎないように
意識的に思考の粗さ・浅さ を保っているのである。

粗く・浅い 思考を選ぶのは
戦術的な価値もある。
やはり体力の消耗を早めない、という戦術的価値がある。

こういう粗く・浅い思考を選ぶことにも
戦術的価値がある、という価値観を持つ私である。
あらゆるところで、そういう価値観が受け入れられていて
ああ、よかったな、と思う毎日である。

noteでは粗く・浅い 思考でもスキやフォロワーは稼げるけれど、
YouTubeは 割と 細かく・深く 考えないと
検索で視聴者を獲得するに至らない
という覚悟は必要だ。
(俺の時間は俺のもの‼️視聴者の時間は俺のもの‼️
そういう内心ジャイアン思考は、YouTuberみんなが隠しているだけで
きっとみんな思っている。
いかに、選んでもらうか、滞在してもらうか、
ほんとそれが大事である。
YouTubeを見る→内心ジャイアン思考の人物達の景気を更に良くする
という公式を持っている
→だから誰を応援するかは よく選ぶのである。
自分自身も 応援されるに相応しい人間であれるよう 自分磨きを続けている)


楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈