【声劇台本・4人用】ビギニング・アニメーション!~c189になるまで~
“ビギニング・アニメーション!~c189になるまで~“
ジャンル:アニメ業界お仕事ドラマ
こちらは声劇を想定した台本になります。
よろしければお読みいただけると幸いです。
◆内容
アニメーション制作会社であるスタジオ・プライマルベースに新入社員の桜野が入社した。
しかしデスクである真壁に怒られる日々を過ごし、それを弓野は心配していた。
ある日、原画素材のタロットカードがなく、桜野の発注ミスが発覚してしまう。
真壁が怒髪天を衝く。桜野は我慢の限界に達してしまう。
上演時間:約70分
◆登場人物
弓野:女。20代後半。スタジオ・プライマルベースに勤める制作進行(スケジュール管理や素材回収を行う人)。エネルギッシュで言いたいことはスパッという言うタイプ。
須美:男。30代後半。スタジオ・プライマルベースに勤めるプロデューサー。腰が低いがしたたか。
桜野:女。20代前半。スタジオ・プライマルベースの新入社員。制作進行を務めるが、新しい環境に苦戦中。素直で喜怒哀楽がはっきりしてる。かわいい。
真壁:女。30代前半。スタジオ・プライマルベースに勤める制作進行でデスク(制作進行のまとめ役)。強気な姿勢で仕事をこなす。威圧的で周りからは「そびえ立つ真壁」と呼ばれている
・声劇等で使用される際は作者名をどこかに表記またはどこかでご紹介下さい。作者への連絡は不要です。
・性別・人数・セリフの内容等変更可です。また演者様の性別は問いません。
・自作発言はセリフの変更後でもお止めください。
・アドリブ可。好きに演じて下さいませ。
(以下、本文)
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◆桜野の回想
桜野:(ナレ)私は、空に包まれたことがある。
高校生の時に観たアニメ映画「ユー・アー・ネーム」で描かれた青空に、私は心を奪われた。
それを目に映した時、19インチの小さなテレビ画面が入り口になって、私はどこまでも広がる世界に足を落とした。
淡(あわ)く浮かぶ雲と、明るい青で彩られた空間、そしてその下に広がる鼠(ねずみ)色の街並み。どこまでも透き通って、私の気持ちを上空へ落下させる。
私を、私達を魅了(みりょう)する表現ができるアニメに、私は感動を覚えた。
こんな素晴らしいアニメを作ってみたい、と思わせるほどに。
そして私は、大学卒業と同時に、アニメーション制作会社プライマルベースの入り口に立つこととなる。
私がアニメに携われるなんて。また「ユー・アー・ネーム」のようなアニメに出会えたら。
私の足は期待と不安に後押しされ、スタジオ・プライマルベースの玄関をくぐっていった。
でも、現実はそう簡単ではなかった。
◆スタジオ・プライマルベース 会議室前
真壁:なに考えてるの!!
桜野:ひッ
(間)
弓野:うわ…
須美:また始まったねぇ
真壁:作打ち(さくうち)に香盤表(こうばんひょう)を忘れるなんて何考えてるの!弓野さんと作ったものがあるでしょ!?作監(さっかん)や演出、原画マンが集まってくれてるのに、時間のロスになるような事しないで!
桜野:す、すみません!
真壁:いい?アニメ制作はタダでさえ時間が無いの。打ち合わせが押せば後々の工程に響く。次からは絶対にやめて
桜野:あ、えと、はい…!
弓野:まあまあ真壁さん!桜野ちゃんだってワザとやった訳でもないし!今回は大目に見ましょうよ!ね?
桜野:弓野先輩…
真壁:なに、弓野さん。間に入って後輩の盾(たて)になろうなんて、かっこいいわね。
弓野:そ、そんなつもりじゃ…
真壁:まあいいわ。次、#2の原画の回収、弓野さん行くんでしょ?それ、桜野さんも同行しなさい。弓野さん、途中いろいろ叩き込んどいて
弓野:は、ハイ!
桜野:わ、分かりました
真壁:別シーンの作打ち、スケジュール調整も忘れずにね!『ロスレ』#3の担当になったんだから、しっかりしてよ桜野さん!補助は私や弓野さんがするから、頼るなりなんなりして#3を完成させなさい!
桜野:は、はい…
真壁:声が小さい!
桜野:はハイ!
弓野:じゃ、じゃあ桜野ちゃん!行きましょうか!
桜野:…あ、あの、弓野先輩、実は質問があって
弓野:ん?何?
桜野:作打ち中に皆さん言ってたんですけど、「レイアウト」ってなんですか?
真壁:…ハア…?
桜野:最初、部屋のレイアウトの事かなって思ったんですけど、なんか違うっぽいし、全然わからなくて
弓野:ああ、レイアウトっていうのはね…
真壁:(遮って)レイアウトは画面構成(がめんこうせい)の絵の事!1カット毎(ごと)に描かれて、画面内の背景やBOOK(ブック)、キャラの位置を決めるの!基礎中の基礎よ!なんで知らないの!
桜野:す、すみません!
弓野:まあまあ!桜野ちゃん、丁度、他作品のレイアウト回収もあるから、実物見せてあげるよ!そっちの方が分かりやすいし、ね、行こっか
桜野:は、はい
真壁:…あと、弓野さん
弓野:は、はい!?私なにかしちゃいましたでしょうか…?
真壁:職場で「ちゃん呼び」は止めなさい
弓野:…あ、は、ハイ!桜野ちゃ…さん、車とってくるんで、ちょっと待っててね!
真壁:まったく…
須美:…騒がしいね
◆移動中 車内
(運転中。運転席に弓野、助手席に須美、後ろの座席に桜野が座っている)
弓野:…いやー、災難だったねえ、桜野ちゃん
桜野:い、いえ。私が悪いので
弓野:制作デスクの真壁さん。最近『ロスレ』の制作始まったからエンジン掛かっちゃったみたいで
桜野:はあ。そうなんですか?
須美:そう。真壁さんと言えば、完パケのためなら鬼監督をも制する鬼デスクって、業界じゃ、ちょっとした有名人なんだよね。
桜野:鬼デスク…
須美:そう。相手が大物脚本家だろうが神原画マンだろうがお構いなし。「なに考えてるんですか!」「これで完成すると思ってるんですか!」って、スタッフ達のケツを叩いて叩いて叩きまくる、完成へと導く超人、ってね
弓野:そう!通称(つうしょう)「そびえ立つ真壁!」
桜野:そ、そびえ立つ…?
弓野:目の前に立たれたら、その迫力にたじろぎ、言う事を聞かなくちゃいけなくなるって意味、らしいよ。さっき寄ったバッドハウスってスタジオの原画さんが言ってたの
桜野:は、はあ…
須美:へー弓野ってそんな陰口(かげぐち)言っちゃうんだー
弓野:い、いや!?陰口っていうか、桜野ちゃんを和ませようと思って
須美:ハイハイそういうことにしとこーねー
弓野:うう…やっぱり須美さんを連れてくるんじゃなかった…
須美:冗談だよ冗談。ハハハ。ヤングレコードまでお願いね。あとどれくらいだったっけ?
弓野:今の道路の感じだと15分ってとこですかね。今日は空いてるなぁ。ヤングレコードに用事って、アフレコですか?
須美:そう
桜野:アフレコ…声優さんですか?
須美:お、桜野さんも声優興味ある感じ?
桜野:あ、その…すみません、ミーハーで
弓野:謝ることないよー。声優の人気ってすごいし。そこが入口になってアニメ観てくれる人だっているし
須美:そーそー。中身が駄作でも声優の人気さえあれば作品になるんだから
弓野:須美さん…毒吐いてますよ。気づいてないだろうけど
桜野:は、ははは…
桜野:(ナレ)現在、プライマルベースで制作しているアニメは『ロストスレイヤーズ!』通称『ロスレ』という、魔法世界で暮らす自称最強魔術師(じしょうさいきょうまじゅつし)の女の子と、SF世界から迷い込んだ巨大宇宙船の船長である男の子との出会いから始まるファンタジーものだ。有名なライトノベルを原作とした今年の夏の新アニメとなっている。
なんと、その第3話の制作進行に、私、桜野が選ばれてしまったのだ。うう、いつかは来ると思っていたけど、緊張するなあ。私、アニメ業界の事まだ全然分かってないのに。
弓野:あ、そうだ。桜野ちゃん、さっきバッドハウスで回収した原画、カット袋に入ってるヤツね。そのうち1つ選んで、中から原画出してみて?
桜野:え…いいんですか?指紋とか付いたら
弓野:ぷっ!なにそれ昔のセル画?ただの紙だから大丈夫だよ
桜野:あ、ハイ、じゃ、出します…(ガサゴソ)…わあ、これが原画なんですね
須美:匂うでしょ?
桜野:え?
須美:鉛筆のにおい。バッドハウスに入ったときも思っただろうけど、鉛筆の黒鉛(こくえん)っていうのかな?においが染みついてる
弓野:須美さん…変な言い方しないで下さい
須美:はは、ごめん。僕も初めて原画を見た時に思ったからさ
桜野:は、はい。においます。鉛筆のにおい。紙もくたくた…よほど描きこんだんだろうなって、思います。
弓野:まー大地さんは…、あ、さっき会った原画さんね?あの人けっこう拘(こだわ)るから。その、原画の束の一番上に乗ってる原画用紙、取ってみて
桜野:あ、ハイ!……これですか?
弓野:うん、それがレイアウト。背景はその位置、キャラはこの大きさで、って感じで、そのカットの原画や動画、背景をどんな絵にすればいいのかが、その1枚に描いてあるの。
桜野:成程、これに…あれ?それって絵コンテで既に書かれているんじゃ
弓野:ああ、それは…
須美:(割り込んで)あんな簡単な絵じゃ動画をどう作ればいいのか分からない。だからより丁寧(ていねい)な指示を出しているのがレイアウトだね。原画マンは作打ち…監督や作監(さっかん)と打ち合わせして、レイアウトを描いてチェックを通して、その後原画に取り掛かるんだよ
桜野:なるほど…
弓野:須美さん?私が言う所だったのに
須美:はっはっは(わざとらしく)
桜野:あれ…これ、真壁さんも言ってましたけど…この、キャラの前に描いてある「BOOK(ブック)」ってなんですか?
弓野:ああ、「BOOK」ね
桜野:ここに本の絵が描かれるんですか?
弓野:最初はそう思うよね。でも違う。「BOOK」っていうのは…
須美:(遮って)「BOOK」っていうのは原画の前に置かれる背景、動かない絵の事だね。そのカットだとー…レナが食卓越しにケルンと話している場面だから、レナっていう動くキャラクターは原画マンが描くけど、後ろの背景と、前にある食卓は美術に描いてもらう。背景とは別々の絵にしてね。で、撮影の時に、背景・原画・BOOKの順番に絵を重ねていくと…それらしい1コマが出来上がるって訳だよ。
桜野:な、なるほど…一番後ろの背景とは別に、キャラの前にある背景みたいな絵を「BOOK」って言うんですね…
須美:そうそう
弓野:須美さん…?なんで私の説明を横取りするんですか?
須美:はっはっはっはっ(わざとらしく)
桜野:どうして「BOOK」って呼ばれてるんですか?
弓野:え?
須美:それは…
桜野:?
須美:…弓野、説明したがってただろ?
弓野:え!?ズ、ズルい!
桜野:ええと、私変な事言ってますか…?
弓野:いや!そういう事じゃないよ!…実はね、分からないんだ
桜野:え?
須美:そう。実は語源(ごげん)はハッキリしてないんだ。でもなぜか皆「BOOK」って呼ぶ。不思議だねえ
桜野:へえ~…
弓野:…な、なんかちょっと暑くない?窓開けようか
須美:…ん?え?開ける?ちょっと待
弓野:うぃ~~~~~~ん(車の窓を開ける)
須美:桜野さん!原画しっかり持って!
桜野:え?
弓野:う~ん、気持ちいい風…………風?
(風で桜野の手元にあった原画が飛ばされていく)
桜野:う、うわ!?風で原画が!浮かび上がって、飛ばされて!?
須美:弓野閉めて、閉めて!
弓野:は、はい!……(窓を閉める)……閉めました!
須美:…桜野さん、外に原画飛んで行ってない?
桜野:だ、大丈夫です…!
須美:桜野さん、弓野の事は反面教師にしてね
弓野:…ごめんなさい…
◆スタジオ・プライマルベース 制作部
弓野:ただいま戻りましたー!
桜野:も、戻りました
弓野:桜野ちゃん、回収したカット袋、作監チェックに回すから、一緒に作画室行きましょっか
桜野:あ、はい。作監チェック?
弓野:そう。原画が指示通り動いているか、クオリティが水準に達してるかとか、作監(さっかん)のチェックが入るの。その後動画ね
桜野:動画…またさっきの原画マンさんに描いてもらうんですか?
弓野:ん?いやいや、動画は動画を専門としてるスタジオにお願いするよ。海外に回すって方法もあるんだけど、やっぱり国内の方がやりやすいから。言葉とか
桜野:海外…
弓野:別に珍しくないよ?原画や美術にも外国人いるし。ウデがあれば国籍関係なく重宝(ちょうほう)されるのがこの仕事
桜野:そうなんですか…グローバルですね
弓野:そうね。グローバルだね。ふふ
真壁:弓野さん
弓野:うわあ!
真壁:…なに?大きな声で「うわあ」って。私そんなに驚かせちゃったかしら。ごめんなさいね
弓野:い、いえ、こちらこそスミマセンでした!
桜野:ぁ……(緊張)
真壁:バッドハウス行ってたんでしょ?『このゆる』のグロス11話と、『ロスレ』の#2
弓野:あ、はい!桜野ちゃんが持ってるヤツです
真壁:…ちゃん?今朝も言ったけど…
弓野:さ、桜野さん!桜野さんが持ってるカット袋です!ハイ!
桜野:あ、あの、今から作監(さっかん)のところに…
真壁:そう。お疲れ様。
桜野:…ふう(安堵)
真壁:で、原画の大地さんの様子どうだった?
桜野:え?
真壁:大地さんの様子
桜野:え…えと、元気そうな感じ、でしたけど…
真壁:それ以外は?
桜野:え?それ以外…
真壁:そう、それ以外
桜野:え、えと…
弓野:(横から入って)えーーーーっと!大地さん結構体調問題ない感じでした!話したらスケジュールも順調だって!机の上もキレイだったから余裕あるんだと思います!原画依頼してもいいかなーって思います!未処理のカット袋あんまりなかったし!
桜野:あ……(唖然)
真壁:…そう。分かったわ。#5の原画マン足りなくなったら頼もうかしら。…桜野さん
桜野:は、ハイ!
真壁:原画マンや、それ以外のスタッフと会う時は、近況や体調、持ってる仕事の量とか聞いておきなさい。近いうちに仕事をお願いするかもしれないから
桜野:あ、ハイ…
真壁:制作進行はスタッフを割り当てる仕事でもあるの。今回の#3は私と弓野さんで発注したけど…次からは自分で仕事をお願いしなきゃならない
桜野:え…決まってるんじゃないんですか?
真壁:決まってる原画マンもいるわ。でも人数が足りない。だから発注する。アニメスタッフ、特に原画マンは現状、他社との取り合いよ。より早く良質なスタッフを確保するのにね
桜野:厳(きび)しいですね…
真壁:他人事みたいに言わないで
桜野:す、すみません
弓野:じゃ、じゃあ真壁さん!私作画室に行ってくるので!
真壁:ええ、お願いね。ついでに#2のチェック急(せ)かしといて
弓野:はい!行こう桜野ちゃ…さん!
桜野:あ、ハイ!
真壁:カット袋、落とさないでよ!あなたの持ち方、危なっかしいわ
桜野:は、はい、すみません!
◆数週間後 スタジオ・プライマルベース 作画室
桜野:(ナレ)3週間が経った。真壁さんに怒られつつ、弓野先輩にフォローされつつ、制作は進んでいった。
最初は言われている事をしているだけだったし、弓野先輩に同行するだけだったけど、次第(しだい)に一人で回収に行ったり仕事するようになった。
1人はやっぱり緊張する。真壁さんに言われた通り、会うスタッフさんと話をしてスケジュールや体調を聞いたりして、私なりに頑張った。
桜野:アフレコ、凄かったですね、弓野先輩!
弓野:おお、興奮してるね、桜野ちゃん
桜野:私、声優さんの演技、生で見るの初めてです!マイク前に立ったら雰囲気(ふんいき)が変わって!見れてよかったです
弓野:ハハ。アフレコ見学なんて、ホントは制作進行はしなくてもいいんだけどね…。でも#3もついにアフレコまで来たか…長かったなぁ…
桜野:でも、弓野先輩
弓野:ん?
桜野:思ってたより、地味でしたね
弓野:うっ!そ、それは、言わないであげて。声優も裏方だから。裏方は総じて、派手さのない地味なものだから…
真壁:桜野さん
桜野:わっ!はい!
真壁:…驚かないでちょうだいよ。頼むから
桜野:す、すみません…
弓野:えーと、真壁さん、何か御用でしょうか…?
真壁:何?用がないと話しかけちゃいけないの?
弓野:い、いえいえ、そんな!
真壁:まあ、用はあるんだけどね
弓野:(小声)あるんですか…
真壁:ん、何か言った?
弓野:いえ、何でもないです!
真壁:桜野さん、『ロスレ』のアフレコ行ってきたの?
桜野:あ、はい。演出の三宅さんが、折角(せっかく)だから来たらって誘ってくれて
真壁:随分(ずいぶん)と呑気(のんき)ね
桜野:え…
真壁:そんな時間あるなら休むなり、原画マンに催促(さいそく)するなりした方がいいんじゃない?まだ全アップしてないんだから。#3のスケジュールも押してきてるんだし
桜野:あ、あの、すみません…
弓野:ま、まーまー!原画だってこの後回収する分でほぼほぼ完了ですから!ダビング素材を受け取るついでに回収しますんで!
須美:あ、じゃあそれ連れてってよ。ヤングレコード行きたい。高月さんの顔みたい
弓野:須美さん…なんですか突然。暇人ですか
須美:そんなわけないでしょ。仕事の話で相談があるってこと
弓野:ですよね。じゃあ桜野ち…さん、行こうか
桜野:え、今戻ってきたばっかり…
弓野:まーまー、お昼ごはんまだでしょ?一緒に食べようよ。
…(小声)それに、このままじゃ真壁さんにチクチク言われちゃうし
桜野:は…わかりました!
弓野:真壁さん、社用車(しゃようしゃ)借りますね。行ってきまーす
須美:あ、まって。お昼ならクーポン持ってるからメックナルドで…
弓野:車の中で食べる気ですか?ケチャップ零(こぼ)さないでくださいねぇ?
須美:零(こぼ)した事ないんだけど?
弓野:うう、いつになったら須美さんの弱みを握れるのかなあ…
桜野:ふふ…
真壁:…ふん
◆移動中 車内(天候:雨)
(運転中。運転席に弓野、助手席に須美、後ろの座席に桜野が座っている)
須美:雨か…
弓野:雨って嫌ですよね
桜野:え?そうですか?
弓野:だって、素材を回収する時とか、濡れちゃうかもって心配しちゃうもん。PAN(パン)とかfollow PAN(フォローパン)の素材って大きくてカット袋からハミ出たりするでしょ?両手使ってるから傘させないし
須美:アニメ業界人らしい感想だねぇ
弓野:なんですか、社会人なら物事は仕事を基準に考えるでしょう?須美さんは違うんですか?
須美:プロデューサーはカット袋持たないからなあ
弓野:私より業界人みたいに見えましたよ、今
須美:雨にタイヤ取られて事故起こさないようにねー
弓野:もう!分かってますよ!安全運転してます!
桜野:……(悩んで、押し黙っている)
弓野:ん?どうしたの桜野ちゃん?心配しなくても事故なんて起こさないよ?
桜野:い、いや、そうではなくて
須美:まー制作進行の事故発生率は尋常(じんじょう)じゃないからなあ
弓野:須美さん、しつこいですよ
桜野:いえ、ホントに、心配はしてなくて、その
弓野:ん、じゃあ他に何かあるの?
桜野:…私って、呑気(のんき)なんでしょうか?
弓野:え?
須美:ああ、真壁さんが言ってたヤツか
桜野:はい…私なりに一生懸命やってるつもりなんですけど
弓野:そ、そんな!桜野ちゃん、気にすることないよ!真壁さん#3の完成が近いからピリピリしてるんだよ
桜野:はあ…
弓野:それに、制作進行だって休息は必要だよ?アフレコに立ち会えるなんてアニメスタッフの特権みたいなものなんだから!
桜野:…制作進行って、どうあるのが正しいのでしょうか?
弓野:おお…哲学(てつがく)だね
須美:制作進行のあるべき姿って事?
桜野:…はい
弓野:それは、難しい質問だねえ…
須美:うーん、僕もプロデューサーの前は制作進行やってたけど…やっぱり制作進行だって人間だから。色んなタイプが居て、それぞれ自分のやり方で仕事をこなしてる、って感じかなあ
桜野:そうなんですか…
弓野:うん、桜野ちゃんだって自分のやり方がそのうち見つかるって。焦ることないよ?
桜野:はあ…わかりました…
須美:逆に、なってはいけない姿っていうのはあるよ。
桜野:え…?
弓野:制作進行の、なってはいけない姿…?
須美:桜野さん、トーマスエンタテイメントの太田さんの回収、行った事あるでしょ?
桜野:え?ええ、弓野先輩と一緒に
弓野:え、太田さんの話するんですかぁ?(イヤそう)
須美:まぁまぁいーから。太田さんを見て、どんな人だと思った?
桜野:ええと…相撲(すもう)取みたいに太ってて、メガネをかけてて…それで、少し話が長い方だな、と
須美:他には?
桜野:他、ですか?ええと、描いた原画は、すごく上手だって、監督も作監も褒(ほ)めてました。太田さんはやっぱり違うねって
須美:そうだね。太田さんはキャラを動かすのがすごく上手い。でも、他に気付く事なかった?
桜野:他…ほか…
須美:例えば、彼の周りとか
桜野:周り…
須美:そう
桜野:周り…そういえば、太田さんの居たフロアには、他のスタッフが誰もいませんでした
須美:そう。太田さんの居るトーマスエンタテイメント第3作画室である4階フロアは、他スタッフどころか机一つない。太田さんの作業机があるだけだ
桜野:はい、ポツンとしてて、なんだか寂しいなって
須美:なんでそうなってると思う?
桜野:え、えーと…作画スタッフが少ないから、ですか?
須美:それもある。でももっと大きな理由が他にあるんだ
桜野:理由、ですか…
須美:それはね。誰も太田さんと仕事したくないからだよ
桜野:え…?
須美:あのフロアはね、元々10人くらい原画マンが入ってたんだよ。でも今はいない。何故なら太田さんの強烈な性格が災いして、周りの人達は自宅や他フロアに移っちゃったんだ
桜野:強烈な性格…?
須美:一番大きいのは…あの人は他人に駄目出(だめだ)しするのが好きでね。他の原画マンの作業を覗(のぞ)いては、あれがダメ、これがダメ、俺ならもっと上手くできる…とか、わざわざ話しに行くんだよ
桜野:うわ…それは…
須美:他には、独り言や貧乏ゆすりがうるさい、不機嫌だと壁や物に当たる、不潔の上、下ネタが好き…とか色々あるけどね。
桜野:なんていうか、人から嫌われそうなことを網羅(もうら)しているって感じですね
須美:そ。嫌われ事のオンパレードだよ。そんな人と一緒のフロアに居ちゃ集中できず仕事にならない。だから皆移動しちゃったんだ
弓野:私達が太田さんの回収行った時、太田さん、何話してたか覚えてる?
桜野:えと…あのアニメはダメだ、とか、あの作画はプロ失格だ、とか、俺なら何倍も上手く描ける、とか
弓野:正直、聞いてるとドッと疲れる話ばっかりでしょ?
桜野:は、はい。疲れました
弓野:素直でよろしい。きっと太田さん、ずっと一人でいるから、話し相手が居なくて寂しいんだろうね。話すネタ溜め込んでるんでしょ
桜野:ずっと一人…なんですか
弓野:そう。離れた原画マンが戻ってくる気配も、新しい人が入ってくる事もナシ。嫌われ者は、孤独でひとりぼっち。ま、自業自得(じごうじとく)なんだけどね。でも制作進行とか作監とか…最低限、会話をしなきゃいけない人間も居るけどね
桜野:太田さん、私達と話しているとき、楽しそうでした
須美:そりゃそうさ。やっと愚痴(ぐち)を聞いてくれる人間が来てくれたんだからね。
弓野:私は勘弁(かんべん)してくれって感じですけどねー。早く帰りたいし、他の素材回収行きたいし、第一疲れるし
須美:ま、そこは頑張ってもらって。…で、まあ、何が言いたかったかというと
桜野:は、はい
須美:制作進行は、彼みたいになってはいけない、という事
桜野:太田さんみたいに…嫌われ者になってはいけない、という事ですか?
須美:そう。あんな嫌われ者の太田さんでも、まだアニメ業界に居続けられている。なぜか?それは、彼には実力があるから。キャラクターを動かすのが得意で、しかもカッコいい。ただ人望(じんぼう)は乏(とぼ)しい。恐らく他の仕事に就くことは難しい
弓野:そうですね。もし手が故障して絵が描けなくなったら…あの肥満体じゃ動く仕事は嫌がりそうだし、オフィスワークも周りから嫌われるから厳しいでしょうね
須美:太田さんには「絵」という武器があり、それを磨き続けている。じゃあ制作進行の武器はというと……「人脈」だ
桜野:人脈…
須美:制作進行は、色んなスタッフに会う。監督、脚本家、演出、美術、原画・動画、撮影、仕上げ、編集、音響、その他諸々。そんな人間が「あの人は嫌い」と言われて仕事が険悪、作業が遅延になるなんて、あってはいけないことだ
桜野:そ、そうですね…!
須美:逆にそのスタッフ達に好かれて「あの人が担当なら自分も頑張ろう」と思われるようになると、制作進行としては上々だね
桜野:あ、分かります。好きな人のためなら、頑張ろうって思います!
須美:そうやって好かれてコネクションをどんどん広げられるようになると…協力してくれるスタッフも増えて、制作進行としての「武器」が出来上がるって訳
桜野:武器…人脈ですか
弓野:そう。制作進行は仕事を発注する人だから、嫌われちゃうと仕事を後回しにされたり、適当な仕事が帰ってきたり。最悪受けてもらえなかったり。いい事がないんだ
須美:で、最初の質問に戻るけど。アフレコ見学は呑気な遊びだったか、って話
桜野:あ、ハイ!
須美:全然遊びなんかに入らないと思うよ。君はアフレコスタジオでも礼儀正しかったし、好印象だったと思う
桜野:あ、ありがとうございます!
須美:十分、桜野さんという人間をアピールできた。あの様子だと、例えば発注ミスとかしても、2・3度は許してもらえるかもね
桜野:み、ミスしないようにします!
弓野:それ結構シャレにならないミスですけどね
須美:こうやって、人脈を増やして、自分の武器を研(と)ぐんだよ。制作進行はね
桜野:わ、分かりました!努力します!人脈、増やします!
弓野:ふふ。がんばれー。…にしても須美さん
須美:ん、何?
弓野:須美さんが他人に助言なんて、珍しいですね
須美:別に。ただの気紛れだよ
◆スタジオ・プライマルベース 制作部
桜野:(ナレ)アフレコから一週間ほど経った。ダビングを終わらせ、あとは「V編(ぶいへん)」という作業でアニメは完成する、らしい。
V編の予定日は明後日。これで作品が完成するかと思うと、緊張する。あの白かった絵が。美術スタッフが描いた風景画が。音響スタジオが選んだSEが。
あれらの素材が一つになるのを、私はあまり想像できずにいる。そしてそれは、まずいのではないかとも思う。
弓野:まあ、まだ色のついてない絵もあるんだけどね…
須美:完成してない素材もあるって事だね…
桜野:二人とも、お疲れですね…
弓野:桜野ちゃんだって…
桜野:(ナレ)スケジュールが終盤に向かうにつれて、制作進行は多忙を極めた。
アニメスタッフにとって締め切りとはタダの日にちに過ぎず、スケジュール通りに素材を上げてくる人は半分ほどだった。
それに加えてトラブルが重なり、忙しさのあまり私たち制作部スタッフは会社に泊まり込む羽目にもあった。
それとは別に、毎日のように続く、真壁さんからの説教…。
真壁さんにとって私は目の上のたんこぶなのだろうか。私を敵視(てきし)しているのだろうか。そう疑いたくなるくらい、真壁さんの目は鋭く私を捉え続けていた
真壁:それでも明後日のV編で#3はオシマイよ。もう少し、がんばんなさい
桜野:真壁さん…
弓野:真壁さん、何かありました?
真壁:別に、なんとなくの様子見よ。原画の回収は順調?V編に間に合いそう?
桜野:あ、はい!予定どおりに行きそうです
真壁:弓野さん?
弓野:え?ええ、桜野ちゃん、じゃなくて桜野さんが言った通り、あとは数カットが動画から戻ってきて、仕上げに出してV編で繋げてもらえれば
真壁:ふうん…
弓野:な、なにか?
真壁:何か嫌な予感がするのよね…
弓野:予感って…
須美:(小声)疑り深いなあ
弓野:(小声)ちょ、須美さん!
そんなの気のせいですよ!私だって見守ってるんですから、心配しすぎです
真壁:ならいいけど…。あ、そうだ。桜野さん
桜野:はい…?
真壁:c189にはめ込むタロットカードの設定画、どうなってるの?一か月くらい前に話したヤツ
弓野:あ、そういえば…あれは設定担当に話しといてって、桜野さんに話してたよね?
桜野:え…設定画。ですか…?
(間)
真壁:c189でゼリスが指に挟んでるタロットカード、柄(がら)を作監に描いてもらって、設定で起こしてもらおうって話、したわよね?
桜野:は、はい…
真壁:作監に描いてもらった絵をトレスして、編集で後から動画にはめ込む流れだって、説明したわよね?
桜野:あ、あの…
真壁:それは今、どう、なってるの?
桜野:……。…忘れて、ました…
(間)
須美:弓野、監督の所にいくよ。急がないと間に合わない
弓野:は、ハイ!作監の方には
須美:まずは監督に頭を下げてからの方がいい。そのあと作監にも謝って…トレス頼めそうなとこある?
弓野:作画室の川田さんに話せれば、なんとか
須美:それでいい。色はG&Hプロに…今はもう遅いな、やってない。明日か、時間無いのに…
桜野:あ、あ…あの…
真壁:何考えてるのッ⁉
桜野:ひ……っ!
真壁:桜野さん!あなたって人は、香盤表(こうばんひょう)は忘れるは、監督への伝言忘れるは、他にも数えきれないくらい…一体いくつ忘れれば気が済むの⁉
桜野:……っ(怯えながら聞いてる)
弓野:ちょっと真壁さん、今は桜野ちゃん責めてる場合じゃ
真壁:頼んだ事も出来ないなんて、社会人としてやっていけると思ってるの⁉
桜野:ぁ…ぁ…
真壁:それで須美君と弓野さんに迷惑かけて!自覚が無いにもほどがある!
桜野:ぁ…あ…
真壁:そんなに迷惑をかけたいなら他を当たって頂戴(ちょうだい)!アニメ業界はスケジュールギリギリなの!もうカツカツなの!真剣に仕事ができないなら、他のアニメスタジオに…
桜野:あの!!
真壁:……(息を吐く)…何?
桜野:…私、もう辞めますっ!!
弓野:え…
真壁:……
桜野:……
須美:……
◆居酒屋
桜野:(ナレ)結局あの後、弓野先輩と監督に頭を下げに行って、川田さんって人にも頭を下げてタロットカードを描いてもらい、翌日になってG&Hプロにトレスと色付けを無理言って頼んで……何とかV編までに素材はできた。
しかし肝心のカットにはめ込む作業はまだ出来ておらず、その日の午後にV編は行われるため、午前中の作業でカットに組み込んでもらう。G&Hプロにまたもや頼み込み、彼らの作業を増やしてしまう事になった。
そう、多方面に迷惑をかけたのだ。私が。私のせいで
(居酒屋のテーブル席に座る桜野、弓野)
桜野:…はあ…(ちびちびウーロン茶を飲んでる)
弓野:桜野ちゃん、せっかく居酒屋に来たんだから、お酒飲もうよ!ね?
桜野:…ウーロン茶で大丈夫です。お酒飲んだことないので…
弓野:そっかー。じゃ、私もお酒やめとこうかなー?急に運転するって事になったら嫌だしー…
桜野:……
弓野:き、気にすることないよ、桜野ちゃん!私だってこの程度の失敗、いっぱいしたし!うん、次、気を付ければいいじゃない!
桜野:…でも、私役立たずだし…
弓野:そんなことないよ!桜野ちゃんのお陰で助かったーって事たくさんあったよ?
桜野:…例えば…?
弓野:え、えーと、例えばねー…えーと…コーヒーを買ってきてくれたこととか!
桜野:……
弓野:ま、まあ桜野ちゃんは新人だし?これから仕事を覚えるんだからさ!いい勉強になったと思って
桜野:でも、私もう辞めるので…
弓野:そ、それは、一時的に気持ちが爆発して言っちゃっただけかもしれないじゃない?謝れば真壁さんだって鬼じゃないんだし
桜野:真壁さんは、鬼デスクです、本当に…
弓野:それは、同意見かもだけど、う~んと、え~と…
須美:不毛な慰め会って感じだねえ
真壁:……
(須美と真壁がやって来る)
弓野:須美さん…と、真壁さん⁉
桜野:……ひっ
須美:遅れてごめんねぇ。真壁さん連れてくるのに時間かかっちゃった
弓野:須美さんが、真壁さんを…?
真壁:まったく、ホント呑気(のんき)なものね。明日は#3のV編、いよいよ完成って時に、呑もうだなんて
須美:いやあ。今回の事は、あなたが居ないと終わらないと思いましてねぇ
真壁:終わらないって、もしかして何かトラブル隠してるとでも?原画にも全部色は付いたし、V編前の編集で繋げてもらえば完パケまで問題ない筈よ。まあ、余計な手間が増えちゃったけど
桜野:……ッ
真壁:こんなところで先輩に慰めてもらうなんて、いい神経してるわね。そんな時間があるなら業界用語の一つでも覚えるなり、今回の事を反省して再発防止のために何ができるか考えるなりしなさい
桜野:……でも、私、辞めるんで
真壁:…そう
弓野:まーまー真壁さん!せっかく居酒屋まで来たんですから、何か頼みましょう!須美さんも!
須美:僕ビール
真壁:…枝豆とジンジャエール
弓野:店員さーん
真壁:こういう時は新人が…
弓野:いやいやいや、いいんですって、さ、楽しみましょう
須美:そうだね。折角の酒が不味くなる
弓野:お酒を飲むのは須美さんだけですけどね
須美:あれ、そうなの?二人とも頼まないんだ
弓野:明日、二日酔いとかになったら嫌ですし…ていうか須美さん
須美:ん?
弓野:この居酒屋に皆を集めたの、須美さんなんですけど。ていうか真壁さんが来るなんて聞いてないんですけど。一体なに考えて…
真壁:私が来ちゃいけなかった?
弓野:い、いえいえそんな、全然問題ないです!
須美:うん、まあ、居酒屋って喋りやすい雰囲気してるだろ?お互いの気持ちをぶつけ合うにはうってつけの場所だと思ってね
真壁:気持ちをぶつけ合う…?
須美:ね、桜野さん?
桜野:私、ですか…?私は、別に…
弓野:そ、そうですよ!須美さん、桜野ちゃんが今どういう状態かわかってるでしょ!そんな、無理矢理喧嘩(けんか)させるような…
真壁:…桜野、ちゃん?
弓野:はっ…!
真壁:…ま、いいわ。今は仕事中じゃないものね。ちゃん付け、してもいいんじゃない?
弓野:ホッ…
須美:じゃ。真壁さんからどうぞ
真壁:え…?
桜野:……っ(身構える)
須美:真壁さん。あなたは新人に厳しすぎる。何故そんなに厳しく接するのか、理由が聞きたいと思いまして
真壁:別に普通よ。厳しくなんて…
須美:それは自覚が無いだけですよ。ま、仕事で心掛けている事とか、新人へのアドバイスとか、自分の失敗談とか。そんな感じの事でいいんです。話すとすっきりしますよ?
弓野:ちょ…須美さん⁉ 桜野ちゃんに追い打ちをかける気ですか⁉ それで桜野ちゃんが元気になるとでも…
桜野:い、いいです弓野先輩。私は大丈夫なんで…
弓野:桜野ちゃん…
須美:はい。じゃあ当人の許可も取れたという事で、真壁さん。お願いしますよ
弓野:ホント何考えてんだか…ぶつぶつ
真壁:…別に、アドバイスも何も無いわよ
須美:お…
真壁:ただ、成長してほしいだけ
桜野:え…
真壁:この業界は、特に理不尽なトラブルが多い。クリエーターを相手にしてる訳だから。彼らの常識は曲がっているから、相手にするのが大変なのよ
弓野:常識が曲がってるって…
真壁:そうよ。「面白い」のためなら、何だって犠牲にしていいと思ってる。時間も他人も自分自身も。腕のいいクリエーターであればあるほど、その考えが顕著(けんちょ)に出ているわ。弓野さんだって、矢島監督の件で思い知ったはずよ
弓野:それは…まあ…
真壁:私はね、そんな創作者(そうさくしゃ)たちに、彼らが思い描いているものに、出来る限り力添(ちからぞ)えしたいって思ってる
須美:ほお…そうなんですか
真壁:なに?
須美:いやあ、真壁さんって、スケジュールさえ守れれば、あとはクオリティなんてどうでもいいって考えてると思ってました。
真壁:…そんなことないわよ
須美:あ、弓野も矢島監督におんなじ事言われてたよね?あ、もしかして弓野のスケジュール絶対厳守って姿勢は、実は真壁さんに影響を受けて…
弓野:そ、そんなことはどうでもいいでしょう!まあ、私も真壁さんに結構絞られてきたし…
真壁:失敗談を所望(しょもう)って言ってたわよね、須美君?
須美:ああ、そういえば言いましたね
真壁:一つ話してあげるわ。くだらない話だけどね
須美:お願いします
真壁:昔ね、私が新人の制作進行だった頃。その時に就いた作品の監督は、とても熱意ある人だった。
桜野:……
真壁:このアニメをああしたい、こうしたいって、打ち合わせや普段の会話の時でも、アニメの事になると堰(せき)を切ったように喋り続けて。話が長くて、作業に戻すの大変だったわよ
弓野:へえ…
真壁:そう、絵コンテを切るのだって何度もやり直して。そうじゃない、こうじゃないって、作業机で唸(うな)っているのをよく見かけたわ。こだわりがとても強いのね
須美:ふうん……
真壁:でも、それが良くなかった
弓野:よく、なかった?
真壁:こだわりがこだわりを生んでね。絵コンテは上がってこない。手が空くスタッフは他作品に流れる。睡眠不足や疲労で体はボロボロ。スケジュールはどんどん押していった
弓野:うわ…
真壁:それで、私の担当回でついに…アニメは落ちてしまった
桜野:…落ちる…?
須美:納期に間に合わなかったって事。テレビアニメの場合、放送枠に穴を開けるわけだから…広告代理店(こうこくだいりてん)に損害賠償(そんがいばいしょう)なんてモノのも支払わなきゃならなくなる
桜野:…それは…
真壁:ま、その後なんとか持ち直して、最終回まで製作することは出来たんだけど…急ごしらえだったからね。評判は最悪。監督は後ろ指を指されることになった
桜野:……
真壁:今でも思うわ。あの時私がしっかりスケジュールを守らせていれば、仕事が出来ていれば、監督をはじめスタッフ達は、辛い思いをしないで済んだんじゃないかって。だから、制作進行には強くなってもらいたい。何が何でも作品を納期までに完成させる、強い意志を持ってもらいたい
弓野:…それで、真壁さんはあんなに厳しくしてるんですね…
真壁:まぁそんなつもりは無かったんだけどね。意識せずにそうなってしまったみたい。
弓野:厳しい言葉も、相手の事を思えば…って、真壁さんも、その時の監督みたいに、熱い人なんですね
真壁:そ、そうかしら。初めて言われたわ
桜野:……
須美:さて、桜野さん
桜野:…は、はい
須美:今の話を聞いて、どう思った?
桜野:…ど、どうって…
須美:真壁さんの素敵な話を聞けて、その気持ちに応えて、私も心を入れなおして、明日からまた頑張ろうって思えた?
桜野:…え、あ、は、は(い)
須美:それとも……知ったことか、と思った?
桜野:え…?
弓野:え…!
真壁:な…⁉ 知ったことかって、どういう事よ!私は制作進行のあるべき姿を…!
須美:ちなみに僕は後者の方だね。知らないよ、そんな事って感じ
真壁:聞きなさい!
須美:真壁さん。確かにあなたの言う通り、制作進行には意思はとても大事だ。でも昨今のあなたはやりすぎている
真壁:やりすぎているって、何を…!
須美:教育を、です。あなたのその厳しい新人教育のせいで、新人が何人も辞めていってるのはご存知ですよね?
真壁:それは…!でも辞めたならその分、また雇えばいいじゃない!
須美:簡単に言わないでくださいよー。求人出すのだってタダじゃないんですけど?
真壁:それは…!
須美:正直ね、私や社長が忙しいスケジュールの合間を縫って面接して、話し合ってやっと選んだ子を簡単に辞めさせられると、頭に来るものもあるんですよねー
真壁:そ、それは悪いと思ってるわよ
須美:それに今は臆病(おくびょう)で弱い事だって許されてきています。昔とは違うんです。変わってきてるんですよ、時代がね
真壁:だ、だからって弱いままじゃ制作進行は務まらない!常に意思を持たないと社会ではやっていけない!
須美:あなたは急ぎ過ぎなんですよ。ちょっとは大らかになってくださいよ
真壁:あなたねえ…!
弓野:あー…こりゃ須美さん、相当溜め込んでたなあ
桜野:え?
弓野:須美さん、本当は真壁さんに文句言いたくてたまらなかったのね…。それで今回の席を開いたみたい
桜野:須美さんが…いつも優しくて怒らない人だなって思ってたのに…
弓野:そういう人に限って、溜め込んでるものなんだよね…
須美:知ってますか?今の新人の業界滞在率(ぎょうかいたいざいりつ)は10~20%と言われています。新人が入社してもすぐ辞めちゃうんです(ニコニコ)
真壁:だからって、やる気のない人を会社に置いていてもしょうがないでしょう!
須美:やる気を削(そ)いでるのは誰ですか?何人も何人も辞職(じしょく)させて、人員は減る一方。社長も頭を悩ませてましたよ(ニコニコ)
真壁:でもウチの制作部には精鋭(せいえい)が残ってる!わずかだけど残ってくれてる新人だっていたわ!今のままでも
須美:社の将来の事も考えてください。このままじゃジリ貧です。さっきあなたは桜野さんに反省しろと促していましたが、私からしたら、あなたが反省してほしいですよ、ホント(ニコニコ)
真壁:須美君、失礼な男になったわね…!
桜野:…須美さん、笑顔のまま真壁さんと言い争ってる…すごい。でもこれ、止めないとお店に迷惑がかかるんじゃ…あれ、弓野先輩?
弓野:…いい加減にしてください!会社とか意思を持つだとか、そうじゃなくて、いま落ち込んでるのは桜野ちゃんです!ちゃんと彼女を見て下さい!
桜野:え…弓野先輩も?
真壁:黙っててよ弓野さん!今は大事な話を…
弓野:真壁さん‼
真壁:な、なによ
弓野:桜野ちゃんは、高校生の時は図書委員だったんです!
桜野:え…
須美:なんだいその紹介は
弓野:桜野ちゃんが通ってた高校では図書室の本の貸し出し締め切りを守らない生徒も多くて……それを桜野ちゃんは当の本人に会いに行って、本を返してもらうよう説得して回ってたんだそうです!
真壁:…それが何?
弓野:それって、制作進行と似てると思いませんか⁉
真壁:え?う、う~ん…似てる、かもしれないわね?
弓野:似てるんです!つまり!さっきから真壁さんは桜野ちゃんには意思がないみたいな言い方してましたけど、ちゃんと意思は持ってるんです!ちゃんとアニメを完成させたいって、思ってるんです!
須美:それは、無理矢理に結び付けているような
弓野:いいんです!桜野ちゃんだって、悩んで、動いて、作品の力になりたいって思ってます!桜野ちゃんの意思を、舐めないで下さい!
真壁:舐めないでって…それが弱すぎるって話をしてるんでしょう!
弓野:弱くなんてありません!私は桜野ちゃんはとてもいい制作進行になると思います!もっと彼女の事見てあげてください!
真壁:見てるわよ!でも頼りないから、思わず口が出ちゃうんでしょうが!
須美:それが良くないって考えてほしいんですけどね(ニコニコ)
弓野:そうです!真壁さんは他人を信じてなさすぎです!
真壁:だったら弱いままで業界続けていいと思ってるの⁉ いつか痛い目をみるわよ、そんなんじゃ!
須美:だからそれを皆でカバーすればいいんでしょう?それに業界入る前から覚悟ビシビシに決まってる新人なんて希少種(きしょうしゅ)ですよ(ニコニコ)
弓野:ていうか須美さんだって!桜野ちゃんをダシにしてストレス発散なんてしないで下さい!
真壁:そうよ、こんないたいけな子を使って!考え方が捻(ひね)くれてるのよ、須美君は!昔からそうやってのらりくらりして!
須美:僕の過去の事は関係ないでしょう?あなただって昔からガツガツして、嫌気がさして離れたスタッフを連れ戻すのに誰が動いたと思ってるんです?(ニコニコ)
弓野:じゃなくて、今は桜野ちゃんの事です!桜野ちゃんは出来る子だって認めてください!そして謝ってください!
真壁:なんで私が謝らなきゃいけないのよ!ミスをしたのはその子でしょ!
須美:でもそのままじゃ今までの二の舞、三の舞ですよ。会社の事を思って、飲んでくれませんかねえ、社会人なら(ニコニコ)
弓野:いままで厳しくしてごめんなさい!ほらこれを言うだけでいいんです!私も一緒に言いますから!
真壁:なによそれ!なに子供みたいに扱ってるのよ!嫌よ、そんな事を言うならこの子から……
桜野:…ごめんなさい‼
須美:……
真壁:……は?
弓野:……え、桜野ちゃん?
桜野:その、タロットカードの事、忘れちゃって、ごめんなさい!すみませんでした!
真壁:今さら、急に何を…
桜野:私、昨日真壁さんに怒られた時、ホントは謝りたくないって思ってました!いつもいつも怒られて、段々嫌になってきて、なんでそんなに怒られなきゃいけないんだって、あと怖くて!
真壁:…正直ね
桜野:でも、やっぱり謝らないといけないと思って、でないと、真壁さんとの人脈が、切れてしまうって思って、それで…!
弓野:人脈…この前須美さんが話してた…
須美:ふむ
桜野:だから、だから…すみませんでした!
(間)
真壁:…なんだか、頭が冷めちゃったわ
弓野:そうですね、なんであんなにヒートアップしたんでしょう、私達
須美:僕は熱くなんてなってないけどね
真壁:はいはい、そういう事でいいわよ
桜野:あの…真壁さん!
真壁:…今回はいいから、次から気をつけなさい
桜野:…!…ハイ!
弓野:よかった、桜野ちゃん、元気出たみたい。いや、自分から元気を作ったって感じかな
桜野:じゃあ…飲みます!
弓野:え⁉
真壁:あなた、酒飲めたの?
桜野:飲んだことないです!でも、この際だから思い切って挑戦します!失礼します!
須美:あ、僕のビール…
桜野:ぐびっ、ぐびっ、ぐびっ…
弓野:ああ、初めてのビールを一気飲みなんてしたら…!
桜野:…きゅ~~~~…(机に突っ伏す)
弓野:倒れちゃった!言わんこっちゃない!
真壁:想像以上に弱かったわね
須美:しょうがない、会社に寝かせよう。飲み会はお開きって事で
弓野:了解です
須美:ほら、立って桜野さん。とりあえず会社の仮眠室まで連れてくから。ほら掴まって
桜野:うぃ~~~~~…うぐるる~~~~~……
真壁:ふふっ、なんて声出してんのよ、この子
弓野:あ、真壁さん笑った。笑った顔久しぶりに見ましたね
真壁:そう?そうね、そういえばしばらく笑ってなかったかも
須美:明日は槍が降るね
真壁:須美君?ここの会計、よろしくね。君が開いた飲み会なんだから、当然よね
弓野:ごちです!
須美:えーーーー?
◆スタジオ・プライマルベース 制作部
桜野:(ナレ)正直、謝った後の事はあまり覚えていない。翌日に聞いた弓野先輩の話によると、酔っぱらった私は仮眠室までよたよたと進み、着いた途端に布団に倒れたのだという。恥ずかしさのあまり顔が発火するかと思った。
ロストスレイヤーズ、#3は、無事完成した。
午前中、頭を手で支えながら素材たちをG&Hプロへ運び、仕上げ作業を全て完了。もちろんタロットカードのはめ込みも。午後のV編で出来ていなかったカットたちを繋げ、一本のアニメになる。
白バコを社長に納品し、その足で制作部に居る弓野先輩に、思わず抱き着いてしまった。ハハ、思い返すと重ね重ね恥ずかしい。
弓野:そういえば桜野ちゃん、最近動画を描かせてもらったんですって
須美:へえ、いいじゃない
弓野:どうかん工房って、動画スタジオに回収行った時に、動画マンから試しに描いてみたらって、やらせてもらったんですって
須美:そういう事を言うのは、恐らく川越さんだな。あの人そういう事するよね
弓野:当たりです。『ロスレ』の中の川越さんが持ってたカット、描かせてもらったんですって。中割(なかわ)りから中割りへの、たった数枚だけだったそうですけどね
須美:粋な事するねぇ
弓野:絵が下手なこの私が、動画描けたんです!って、楽しそうだったなあ
須美:まあ動画は絵の技術はそんなに必要ないからねえ
弓野:そしたら、その話を真壁さんに聞かれちゃって
須美:あらら
弓野:いつもみたいに、そんな暇があるならーッ!って怒られるのかなーと思ったら
真壁:作画部は当社にだってあるわ。原画も動画もやってる。興味があるなら、そこにも行ってみなさい。この会社では転属(てんぞく)だって受け入れてるから、よく考えなさい
弓野:ですって
須美:へえ。意外だなあ。態度変わってるじゃない
弓野:でしょう?私もびっくりしちゃって。どうします?桜野ちゃんが制作じゃなくて原画マン目指すって言ったら
須美:それでも全然いいさ。どんな仕事だろうと、アニメ業界に残ってくれるなら万々歳。どこも人手不足だからね
弓野:……。桜野ちゃん、業界に残ってくれますかね
須美:一応、彼女の辞職は保留って事になってる。社長からも説得されて、よく考えてから答えを出すって。真面目だねえ
弓野:個人的には、まだ一緒に仕事したいんですけどね
須美:同感だね。これ以上新人に辞められると、ウチの経営も傾いちゃうかもしれない
弓野:また、そういう事言って。須美さんだって桜野ちゃんと仕事したいでしょう?
須美:まあねぇ。そりゃ色々と教えたんだから、それを生かしてくれる人材になってほしい。それに
弓野:それに?
須美:彼女、可愛いからねぇ
弓野:そうですねぇ…。…………。……………。…………ん?
須美:え、何?
弓野:もしかして須美さん、桜野ちゃんが可愛いから、あんなに親身になってたんですか⁉
須美:え?いや、違うよ?喜怒哀楽がはっきりしてて、人懐こいって意味で
弓野:あー!なるほど、社長と話し合って採用したって言ってましたけど、可愛さで決めたんですか!へえー!なるほどー!社長も須美さんも男ですねえ!
須美:いやいや違うよ?ちゃんと内面を見て決めたから。今までだって新入社員に男性だっていただろ?
弓野:ふーん、どうだか?これから新人が来たら、これが社長や須美さんの趣味かーって目で見ちゃお
須美:はあ、やれやれ…。そういえば桜野さんは?
弓野:今日は先に帰りましたよ?なんたって今日は
須美:ああ、なるほど、今日だったね
真壁:あなたたち!雑談ばっかりしてないで仕事しなさい、仕事!
◆桜野の家
桜野:(ナレ)今日は先に帰らせてもらった。て言っても夜9時回ってたけど…。
先に帰ったのは理由がある。今日は、私が担当したアニメ「ロストスレイヤーズ#3」のオンエア日だからだ。
スタッフの人たちと見るのも考えたが、みんな忙しそうだし、一人で見る事にした。お風呂と食事を済ませ、散らかった部屋を見て掃除しなきゃな、とか考えながら11時10分になるのを心待ちにした。
オンエアが始まった。
見覚えのあるオープニングアニメから始まる30分。するだろうなとは思ってたけど、やっぱり感動してしまった。白黒だった絵が、ただの風景画だった背景が、声だけでしかなかった声優の演技が。色のついたキャラクターになり、歩けば足音が鳴り、口を開けば言葉が響き、大きなロスレの世界を動き回り怒ったり笑ったり感情豊かに舞う。彼らは確かに存在していた。
やってよかったと、心からそう思う。今度お母さんに電話するときに自慢しよう。ユー・アー・ネームには及ばないクオリティかもしれない。でも私は、このアニメを作ったことを誇らしく思う。
その文字列を見た時、私の心は膨らんで、いっぱいになって抑えきれなくなり。鼻の奥がズルズルして、涙がひとすじ流れた。
エンディングアニメの最後の方。歌のサビが終わったあたり。スタッフロール。私の名前。
「制作進行:桜野 みねこ」
ビギニング・アニメーション。
私の最初の物語。
(終わり)
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