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kitchenファーマシストえぐちまおの徒然日記

昭和39年(1964年)
高度成長期真っ盛りは、東京オリッピック開催をピーク。
昭和45年(1970年)
大阪万博、一直線に経済優先な世の中が始まっていく。
私の幼少期。
赤や黄色の色粉たっぷりな飴玉をくわえて、
時々母親の買い物に街へ連れていかれ、
電車を待つ間に入った喫茶店では必ず、
緑色のクリームソーダと、
鉄板に乗ってくるナポリタンのスパゲティを注文し、
食べて帰るのが楽しみだった。
粉のクリームソーダや、
昭和46年(1971年)発売した某カップ麺も流行っていた。
舌が緑色になったと言って見せて喜ぶわたし。便利、快適を軸に、人は、もっともっとを追い求め、その真っ只中の昭和44年(1969年)
わたしは、腎盂炎、尿毒症、敗血症という大きな病気に苛まれる。
小学校浪人をして命は助かったのもの、その数年後、アレルギー反応が出てくる。
お布団の上げ下げをしても鼻はムズムズ、ティッシュペーパーを手放すことが出来ない。
免疫過剰な私の始まりは、
免疫過剰な社会の情勢とも相まっていたと思う。

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