性欲と男女差

最近、教師による生徒への性的なハラスメントのニュースを良く目にする。生徒の人格育成などをする場においてこのような行為をすることは絶対の悪ということは大前提だが、なぜこういうことが起こるのだろう?というかその欲求は生理的なものだし、それをイレギュラーのように扱うのもおかしいのではないか…。

ネットで性欲について調べていたら興味深いブログを見つけた。その著者は、女性の負の性欲というものを定義づけていた。簡単にまとめると、男性を「キモい」などと拒絶したがる性質のことを負の欲求と言っているようだ。鋭い着眼点だと思った(但し欲求と呼ぶには少し違和感)。実感として、女性の方がキモイって言葉を使う気がする。思春期の娘が父のことを拒絶しがちなのは、近親者同士で結ばれないために、重要な生理的な本能としてあるから、という記事を読んだことがあるが、それと関連してとても納得できる。

男性の場合を見てみよう。一般的に言われていることは、男性の方が性欲が強い。アダルトコンテンツも男性向けの方が多いのもその表れだ。逆に、男は女なら誰でもいいとよく言われる。女性に多く見られる拒絶という現象があまり見られないのだ。つまり男性は女性を得ようとする欲求が強く、女性を拒もうとする欲求が少ない。逆に女性は男性を拒もうとする欲求が強く、逆に男性を得ようとする欲求が少ない。

分かりやすくするために、男性は正の力が強く、女性は負の力が強いといおう。この力は種の存続のために必要なものなのだろう。男性は種をより多く残すために、女性は一つしか育めない体で、より良い種を残せるようにとこの力が発達した。ただし、倫理や道徳の発達した現代社会ではこの力が問題となった。問題となるのはこの2つの力が、働いてはいけないところで働くからだ。教育現場がその例だ。教育現場で男性が性欲を抑えきれず女子生徒に手を出してしまい、その行為で女性が傷ついてしまうことで問題が発生する。スタートは男性なので男性の非が取り上げられるのは当然だが、そこには女性の拒絶という生理的な本能も絡んでいることは見落とされがちだ。

でもこの欲求があるにも関わらず、普段はそんな問題が起こらないのはなぜだろうか?それはそんな欲求は基本的に湧かないからなのではないだろうか。姉や母、父や兄を恋愛対象として見れないのは、対象に性的欲求を抱かないからというところが大きい。抱かないのが多数派だし、抱かないのを前提にシステムが作られている。

しかし例外は出てしまうようだ。人間の本能から考えるとある程度想定できる例外のように思われる。

航空業界では失敗が許されない業界だが、逆にある程度失敗を想定してるらしい。失敗することを前提に作られているからこそ失敗が少ない。

ならば、教師もこの事態を想定してもよいと思われる。性に関することは確かにセンシティブな話題であるし、相談しづらい。しかしその話題に関する議論を避けていたら、問題は起こり続けるだろう。教師は生徒に欲情してはならない、そんな決まりだけではどうにもならないのかもしれない。まずは性の原始的な欲求を認め、それからそれにどう対処するか考える方が建設的なように思われる。

話を男性と女性の正と負の話に戻そう。男性は性欲が比較的強く、女性を受け入れやすい、女性は性欲が比較的弱く、男性を拒絶しやすい、これが本当なら男性の方が需要が少ないと言えそうだ。未婚率を見ても、女性より男性の方が高い。

男女平等を謳う現代では、このような男女の違いに対して鈍くなってるのかもしれない。男女を同じように考えると問題が生じる。女性のきもがる素振りを過剰に非難してしまったり、逆に男性のがっつく姿勢を過剰に悪く捉えてしまう。実際は人の生理的現象としては当然なものも、頭ごなしに否定してしまうということがありうる。それはやっぱり、良くない。


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