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#5 何度読んでも、新しく美味しい本の話

"もし言葉につまったり、話すことがなくなったりしたら、天気の話をしましょう"

好きを更新する

以前、友達がシチューを食べながら
「美味い!これ美味い!何回食べても新しく美味い!」と言っていて、それを聞いて、なんだかすごく良いなと思ったことがありました。


好きな本や映画の中には、読むたび、観るたびに好きだなと思うところが更新されるものがあります。
もちろん、同じところを繰り返し読んでは「そうそうこれこれえ〜☺️」となるのも好き。
でも、読むたびに「これはこんな意味だったのか!」と新たな伏線を回収したり、前はなんとも思わなかったところがやけに響いたり、新しい出会いがあるのもまた楽しい。

今日の本は、(今日の本っていいな)私の夏の課題図書です。私にとって「変わらず大切なこと」を定期的に思い出させてくれる作品でもあると同時に、読むたびに新しく好きになる、そんな本です。
だから、暑くなると必ず「ああ今年もこの季節が来た」と、この本を開くことにしています。


乙川優三郎 『ロゴスの市』

出会い

前回の記事でも書いたのですが、私は大学、大学院と言語学を専攻していました。また、学部でも院でも、必修科目には文学の授業もありました。
その中で、一つの言葉の意味をとことん考えたり、行間に書かれた意味を想像したり、とにかく「言葉にとことん向き合う」時間が長かった。そして、その作業がこの上なく好きでした。


大学卒業後、院に通う傍らで非常勤講師をしていたのですが、そこで出会った先生が飲み会の場でふと
「お前は本当に言葉が好きなんだよな」
と言ってくれたことがありました。


びっくりしました。

言葉と格闘するのは大好きで、それはずーっと続けてきていたことだったものの、自分の周りにいる人たちもそういう人ばっかりだったので、改めて指摘されたことはありませんでした。褒められたことも、感心されたこともない。


その中で件の言葉を頂いて、
思わず「そうなんですっっっ」と熱の籠った返事をしてしまった。
私よりも「言葉が好きなんだなあ」と思っていた先生だったので、なんだかすごく嬉しかった。
自分の大切にしているものに気づいてもらえるって、なんだかすごく嬉しいですよね。

その先生が、
「そんなお前はこれを読め!」
と紹介してくれたのが、この本でした。

今思い返しても、なかなかに胸の熱くなるエピソードです。


"一つまた一つと言葉の城から宝石を奪う兵士の気持ち"

この本のこと

のんびり屋で慎重派の男性翻訳家と、せっかちで行動派の女性同時通訳者の、大学時代から老成期までを描いた物語。

同じ文学畑から巣立った2人が、それぞれ翻訳家、そして通訳という真逆の立場から「ことば」と闘っていく様を描いています。

「言葉を言葉に変換する作業」という点で、二つの仕事は同じかもしれない。だけど、じっくりと時間をかけ、狭く深いところまで言葉を探しにいく翻訳作業とは対照的に、生きた言葉を即発的にどんどん産出していく通訳作業。
言葉への向き合い方が、そのまま2人の真反対の生き様を表しているようで、そこがまた面白い。

諸サイトの紹介文や、そこに投稿されている感想なんかを読むと、この小説を恋愛小説として分類していることが多く、はじめ私にとってそらは少し意外でした。

確かに2人は惹かれあっているのですが、でも2人の間にある感情は、恋愛感情というよりは深い仲間意識(戦友意識?)であるように感じていたからです。

ただ、何度か読み込んでいくうちに、これは紛れもない恋愛小説だということに気付かされました。それも、かなり濃厚で切ない純愛物語。

ネタバレになるといけないのであまり言えないのですが、クライマックスで暴かれる真実は、2人が長年かけて培った深い愛を、見事に形にしています。

全く別の角度からの、言葉との向き合い方
性格が真反対の2人の生き様
真反対だからこそ、お互いを大切に思う関係性
そして、お互いを大切に思うあまりすれ違うもどかしさ

文章は純文学寄りで若干の読みにくさもありますが、それこそ言葉が丁寧に選ばれ、物語が編まれている証拠。静かな文体の中に織り込まれている様々な「激しさ」を、是非たくさんの人に、とくに日々言葉を生み出しているnoteの読者に、味わってもらいたいなと思います。


おしまい