@4 祖父が死んで2年目の秋
金木犀のいい香りがしますね〜。どうもteaです。
今日は祖父が亡くなってからちょうど2年目が経ちました。今日はその祖父のお話をしたいと思います。
祖父は植木が大好きな人でした。私の庭にはたくさんの木や花、植物があります。全て祖父が丁寧に育ててくれたものでした。小さい頃から花の名前や木の名前などたくさん教えもらっていて、そのおかげで少し植物には詳しいです。
後はよく一緒に将棋をしていました。といっても小学生の頃の話ですが笑。本当に強いのでなかなか勝てずなかなか「王将」をもらうことは出来ませんでした。
何より祖父は和菓子が大好きでした。その影響もあって私は和菓子が大好きです。今も和菓子屋さんでバイトをしているくらいなので。
月日流れ高校3年生だった私はao入試の勉強や課題作成、面接練習で多忙な毎日を送っていました。そんなある日祖父が風邪を拗らせて入院してしまいました。高齢ということもあり念のための検査入院だったのですぐ帰ってくるだろうと思っていました。
しかし風邪は悪化してしまい退院が伸びる一方でした。みんながお見舞いに行っている中、私は受験前ということもありなかなか行けませんでした。
ある日母から、「正直、いつ死んじゃうかわからないから一回でいいからお見舞い行ってきな。」と言われました。その頃の祖父は痩せ細ってしまい人工呼吸器をつかなければならないくらい悪化していたそうです。その為、話すこともできなかったと母は言っていました。
そんな祖父の状態を聞いて、死に際にいる人を見たくない。きっと今祖父を見たら食らってしまって受験どころではなくなってしまう。と思ってお見舞いには行きませんでした。
2019年9月16日。その日は祝日で私は出かけていました。午前中で用が終わったので帰ってくるとみんなが玄関で慌ただしくしていました。
母に「なんかあったん?」と聞くと、「おじいちゃん寝てるよ。」と涙を浮かべながら微笑んでいました。私は「え?退院したの?」と聞きましたがそうではありませんでした。祖父はその日の朝、息を引き取りました。
家の仏壇の部屋に祖父の遺体が入った棺桶が運ばれていました。祖母はずっと椅子に座り泣きていました。私は恐る恐る棺桶を覗きました。黄ばんだ顔、2度と開かない目、まるで剥製のようでした。
私は初めて身内の死を目の当たりにしましたがなかなか現実を受け入れることはできず涙すら出ませんでした。「どういうこと?死ぬって何?」そんな感じでした。
お葬式、告別式。淡々と過ぎていきました。それでも尚、私は祖父の死を受け入れることができていませんでした。
1週間ほど経ったある日、受験勉強の疲れもあり保健室で休んでいました。すると突然頭の中で祖父が「おーい。teaー。」と私を呼ぶ声が鮮明に聞こえました。そこで初めて祖父の死を受け入れました。そして気づいたら私はこれでもかというほど涙を流し声を上げ泣いていました。
お見舞いに行かなかったことをひどく悔やみ、悔やんでも悔やみきれない程に。今でも悔やんでいます。「おじいちゃんに会いたい。」ずっと泣きながらそう言っていました。
本当はすごく怖かった。お見舞いに行くのが。死に近づいている人を見るのがすごく怖かった。だから行かなかった。行けなかった。
初めて身内が死んで「死」というものがとても怖くなりました。今でも怖いです。いつ死んでしまうかわからない。その「死」を受け入れるには時間がかかります。それは私だけではないと思います。誰しも「死」を受け入れるのはすぐにはできないと思います。だからこそ、後悔がないように接したいと思うようになりました。そして、ちゃんと死を間近で逃げずに感じようと思いました。死への後悔は2度と戻ることはないから。
私は今日も悔やみます。たった一度もお見舞いに行かなかったことを。
私は今日も謝ります。たった一度もお見舞いに行かなかったことを。
とても長くなってしまいましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。
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