わたしの心のYAZAWA
今年の夏は制服化をして、日々をオートマチックすることができ、快適な夏を過ごした。
秋になった途端、自分が途端に洋服に着られている感・コスプレをしている居心地の悪さを感じてしまっている。
コスプレが悪いということではない。
また、すごく見ず知らずの他人から話しかけることが増えた。介助的な要因から世間話まで多種多様な用事や生い立ちを聞かされた。
もちろんみなさん良い人であったので、いい出会いといえばいい出会いなのかもしれない。
ただ、他者と自分の境界線が曖昧になっているのかもしれない。
仕事ではその曖昧さをあえて利用するときもあるけれど、一手間違うとこちらもダメージを受けるので見極めが必要だというのに。
今までが平気だからと言ってこれからも平気とは限らない。出会う数が増えればトラブルもまた増えるだろうから。
服なのか、ヘアなのか、メイクなのか、それとも他の分野なのか。どこをなおしていこうか。
ひとつの仮説に辿り着いた。どこをなおすとかじゃない。
自分の好きなファッションのジャンルには辿り着いたが、ファッションで自分を表現する域には辿り着けていない説
自問自答ファッション講座を受講し、自分を深掘りすることで自分の好きが明確になった。
夏服はあきやさんのレポートをもとに作ったのでコンセプトが表現されていた。
外出着は自分の「なりたい」を、部屋着で自分の「好き」を表現できていた。
しかし秋服は、自分のYAZAWAに相談することなく、自分の「好き」に忠実になってしまった…!
すごく不思議なのだが、以前苦手を感じていた女性らしさというものに苦手意識がなくなっている。特に何か出来事があったわけではない。
ただ、自分のなりたい服や好きな服を着ているだけなのだが、自分の傷が癒され、満たされていったのだろう。
自分の納得のいく服を着て、インテリアも少しずつ考えて、ファッションによる気づきや考えをnoteに書いて投稿して、自問自答ガールズのみなさんの投稿を見たりしているなかで、大きな癒しが訪れていたのかもしれない。
その結果、傷が癒え始めたのは良かったのでしょうけれども、そのブランドの服(あるいはジャンル)、が好きなんです!というファッションになってしまった。
そして女性らしいので、なんか優しそうという雰囲気が出てしまう。
それはそうだ、なぜならそのブランドが「好き」で、その服が一番似合うように無意識にコーディネートしてたからね。
わたしの心のYAZAWAの不在。YAZAWAの家出。
(だって今振り返ってみたらYAZAWAに聞いてなかったもんね…)
もちろん服のブランド自体が好きな人は、好きな服を着る、好きな服を楽しく着る、それが一つの完成形であり終着点であると思う。
このブランドのこの服を着たい!それは一つのエネルギーであり、愛情であり、それが表現なのだ。
でもわたしのゴールは、どこにあるのだ。
他者との境界線が曖昧のまま生きていくのは望んではいないのだ。
わたしの心のYAZAWAよ…。夏にはいたのに秋は姿を消したYAZAWAよ…生きているのか?
そんな中で事件が起こる。
アイデンティティの喪失
わたしは「仕事=アイデンティティ」
のような人間でした。仕事こそが生きがい。
しかし自分の不注意により大怪我をして仕事人生で初ロングバケーションを取った。
バケーションではなく怪我快復のための有給休暇であり、休みの内容といえば怪我のショックと痛さで寝てばかりいた。
『魔女の宅急便』のキキが空を飛べなくなるシーンがある。彼女の魔女としての唯一のアイデンティティを失う。魔女として生きていけないと思うまでの絶望。
キキと重ねてしまっては大変恐縮だが、唯一のアイデンティティである仕事が怪我でお休みとなり、二度と仕事ができないかもしれないという恐怖に襲われていた。
それでも世界は動いている。自分の業務は出来るだけ引き継いだり、快復したらお願いするね〜と言ってくださるお客様もいたり、誰に怒られることもなく毎日が過ぎていった。
出かけられるくらいまで快復したので、仕事人生初、仕事の携帯電話を放置して出かけた。
肌身離さず持って歩いていたというのに。
出先でも不安になることはなく、家に帰ってきてから淡々と折り返し電話をしたりメールをしたり、返信をチームメイトに任せたりなどした。
怪我をした時には脳裏にもうこの仕事ができなくなるかもしれないとよぎって、夜も眠れなかったのに、食べて寝て起きて、家人に介助をされて、今まで全部一人でやってきたつもりだけど、全然まったくそうではないのだなと実感した。
他者とは境界線を引きたいけど、他者との関わりの中で自分も生かされているので全てを遮断したいわけではない。
介助が必要になって、初めて人から介助をえられるのはとても心にあたたかさを感じることだと知った。
そして仕事のことを考えなくなった。
この長い休暇で、別に仕事ができなくなってもわたしはわたしじゃないか、とまで思うように変わった。
仕事をアイデンティティにしなくていい。
あくまでもわたし自身の中にアイデンティティがあるのだ。
わたしがわたしであること。
それは仕事の内容や有無は関係ない。
わたしの為すことがわたしの証明である。
俺の心のYAZAWA
お休みをいただいている中で、自問自答ファッション×ムーンプランナーさんの講座を何度も視聴した。
憧れを現実にしようと思って、気になるものを試着しに行った。
せっかくだから東京に来た。
アイデンティティといえばアクセサリー。
ブレスレットと指輪が気になっていて、ブレスレットの在庫が新宿髙島屋、指輪の在庫が表参道店だった。なお指輪はお目当ての13号がなく、15号だけの在庫だった。
ブレスレットだけまず見ようと思って新宿髙島屋に行ってみたら、探してた指輪が、しかも13号のサイズがあった。
指輪をはめたら、全体のスタイリングが居心地の良いものになった。
原因は服ではなくて、わたしの心の在り方なのかもしれない。
スタッズとチェーンとブランドの名前が刻印された3連の指輪。
誰もわたしの指にスタッズとチェーンが巻かれているなど思いもしないだろう。
東京に来て、匿名性の高さがわたしを安心させた。
どこの誰でもないわたし、でもたしかにいるわたし、誰にも気づかれないで指にスタッズとチェーンを巻いているわたし。
話しかけられやすいと思われても結構、女性らしいと思われても結構、上っ面だけ見てもらって結構。
にこやかな笑顔の下の狂気は自分さえ知っていれば良いのである。
わたしは忘れっぽいし、気を抜くと人の良さ(自分で言うのは恥ずかしい)が出てしまうので、境界線にはしっかり有刺鉄線を。
指輪に託そうと思う。
わたしの手の中のAlexander McQUEENよ。
うううううれしい〜!
追記…なんと…!!違うお話が削除されずに残ったままアップされておりました☺️🙌🙌
せっかくなのでそのまま書きます!
時系列が飛んじゃうので補足説明いれます!
実はアクセサリーを買う前にバッグを見に行っていたのです…!!👀👀
ほしい服が軒並み再販された、しかし。
一年くらいずっとほしいものリストに入っていた服たちが何が起きたのか同じ月に再販が決定された。
この服たちを買えば、秋冬の制服は完成するし、素敵になる。
でもマインドはそれでいいのだろうか。
服を買えば満たされる、それは自問自答ファッション講座を受講する前の自分の思考そのものなのではないか。
服に罪はないからこそ、わたしは考え抜かなければならない。
気になっているバッグを試着しにいく
矛盾しているようだが、気になっていたバッグがある。憧れのバッグである。
そのバッグをよく見かけたのは上海にいた時で、今思えば上海の学生街で見たそのバッグはたぶん模倣品であろう。
いいな、と思った。そのバッグを持っている人は自由でなんだか楽しそうだったから。
あきやさんとムンプラさんの講演で、憧れて10年は経ってしまうと聞いて、焦った。
たぶん10年後も、同じ悩みをしていそうだと。
いつか美しくなる
いつかおしゃれになる
いつか、いつか、いつか。
いつやんけ!!!!!
10年後も他人の目を気にするなんて到底嫌だね!
自分のことを見限りたくない。
滞在時間10分も満たなかったが、もう直感でこれなんだなというバッグにあった。
前だったら即決していただろう。
しかし買うならきちんと自問自答をしてから買いたい。
値段は安くはないのだけど、安く感じてしまった。そのバッグができるまでの歴史・技術を知れば知るほど、ありがたいなと思った。
憧れのバッグは、手が届くところにあった。
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追記…補足説明
しかし、バッグではなくアクセサリーを買ったのです✌️それは大怪我からのアイデンティティ喪失、アイデンティティからのアクセサリーという流れがございました。
アクセサリーで有刺鉄線を心に手に入れたので、今現在のところ、バッグについてはもう少し考えよう〜☺️✌️となっています。
手に届くけれど、もう少し自問自答します!
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