number
2013.2.19 sat.
無意識に押した番号。
それは、遠い昔に付き合っていた頃の、加持の携帯番号だった。
ミサトはワンコールした所でハッとする。
慌てて切ろうと、ボタンを押しかけた所で相手の声が聞こえた。
***********
「加持です」
少しだけ余所行きな声。
だが間違いない彼の声で。
電話をかける予定だった相手が出たにも関わらず、ミサトは言葉に詰まる。
「…えっと」
一瞬の間。
「…君から電話なんてめずらしいな」
電話口の声は穏やかに低く響く。
***
ミサトは加持の声が好きだった。
他には聞いた事のない印象的な声で、『葛城』と呼ばれるだけで、心臓が震えそうになる時さえあって、未だにその声を独り占め出来た、至福の時間を忘れる事が出来ない。
歳を重ねた分、少しだけ低音になった加持の声は、それでもやはりミサトの心を捉える。
また、顔が見えない分、学生時代に戻ったような気がした。
(そっか、まだこの番号使っていたんだ)
あの時の回線を残していたのだろうか。
NERVから支給されている携帯電話以外に、ミサトも外部の友人向けに、個人用の物を持ってはいたが、番号は昔とは違う。
ミサト自身は、加持と別れてからすぐに携帯電話の番号を変えた。
その時はとにかく連絡を取る術は、全て取り除きたかったのだ。
けれどリツコには本当に叱られた。
(あれは凄い剣幕だったわね…)
学校を去って一ヶ月過ぎた頃、真っ先に電話をかけた、携帯電話の先の美しい友人は、少し涙声だったのを覚えている。
リツコに連絡を取るまでの1ヶ月半、初めての軍隊生活は厳しく、頭も体も酷使した。
また、外部との連絡も取ることも禁止されていたので、当然、携帯電話は一時的に没収されていた。
だがこの生活で忘れられると思った、加持の事は結局頭から離れる事はなかった。
消灯時間になると、二段ベットが並べられた共同部屋は真っ暗になる。
セカンドインパクト後に、暗闇が苦手になったミサトは、寝る時はいつも小さな電球を付けていたし、ここに来る前には、加持が傍にいてくれたから安心して寝られた。
時折、あの出来事がフラッシュバックしてパニックになる時も、加持が必ず抱きしめてくれた。
忘れるどころか、恋しくなるばかりで。
あの時の事は今思い出しても、心が痛いというか胸が苦しくなる…けれど、もう8年も前のこと。
***
「随分と愛着あるのね...まだこの番号使ってたの」
ミサトは、胸の内を悟られないように
なるべく明るい声を出すように努める。
「どこかのお姫様から、かかってくるかもしれないと思ってたからさ」
「あんたにはお姫様が沢山いるものね」
「なんだよヤキモチか?」
「ンなワケないでしょ~が」
「相変わらず連れないなぁ~」
「…バッカみたい」
いつもの調子で返してくる、加持の声も明るかったが、ミサトも用件どころか、加持の冗談が絡みの話に付き合い、ふたりともどこか、空周りしているような応酬で、思わずミサトはため息を付き呟いた。
「ホント、何やってんだか」
電話の向こうの加持も、苦笑いしているように感じる。
その加持の声がそれまでと変わった。
「それよりどうかしたのか…緊急の用事とか」
ミサトが加持に電話をかけるまでに、1時間。
携帯電話を持って、マンションを出たり入ったり。
自室の机に座って考え込んだり。
お風呂場に入り込んだり。
シンジもアスカも、ミサトが落ち着きなくうろうろしているのを見て、最初こそ、気遣っているようだったが、そのうち放っておくことにしたらしく、傍観者を決め込んでいた。
そんな2人に気がつき慌ててマンションを出て、ルノーに乗り込み、やっと繋がった電話だった。
ただ、日向に教えてもらった電話番号とは別の番号をかけてしまったが…
「…ただ、お礼が言いたかっただけよ」
ミサトは、それまでの迷いを吹っ切ったかの様に、一気に話しだす。
「シンちゃん達、本当に喜んでいたから」
「とても楽しみにしていて、みんなの分の一生懸命お弁当を作って」
「帰ってきてからもいろいろ話してくれたのよ」
「NERVに来て以来ずっと大変な思いさせてきているから」
「あんなにはしゃいでいるシンちゃんを見るのは初めてだったし」
加持が、シンジやアスカ達を社会見学に、海洋生物研究所へ連れて行ってくれたことのお礼を、ミサトは丁寧に述べた。
「そんなに喜んでたか」
加持はミサトの電話の理由を知り、嬉しい様な寂しい様な、複雑な気持ちになる。
それでも、最近ミサトには殆ど無視されていたせいもあって、こんな言葉をもらえるとは思わなかった。
ミサトのすまなそうな声。
「…わたしが行けなくて申し訳なかったんだけれど」
それはミサトを傷つけるだけだと、充分過ぎる程分かっている、加持の口調が強くなった。
「いや、葛城は来ちゃ駄目だ」
しかしすぐ柔らかくなる声。
「ほら、俺は暇だしさ」
受話器越しのミサトの声も、ホッとしたようだった。
「うん…本当にありがと」
加持はあまりに素直なミサトの反応に、声を失う。
きっと傍にいたら、抱きしめてしまうんじゃないだろうか。
そんなことを思う。
けれどすぐ現実に引き戻される。
「じゃ切るね」
「ああ」
ミサトの電話はすぐに切れた。
(…相変わらず素っ気ないなぁ)
でもそれがミサトらしいと思う。
加持は、胸ポケットから煙草を出し、口にくわえたが火を点けずに、すぐにライターを下ろす。
そしてここではないどこかを見ているようなまなざしで、ふっと微笑んだ。
「…覚えてたのか」
Fin.
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