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ユメノカケラ

居酒屋を出て少し歩いた。

葛城が先を歩いて、俺はそのすぐ後ろをついていく。

珍しく彼女が会計済ませた。

今回の飲みは、葛城が誘って来た。
こんなことは殆どなかったから、何か裏があるんじゃないかと思ったくらいだ。しかし、その憶測は杞憂に終わった。
彼女が選んだ居酒屋は、静かに話が出来る個室があって、値段も高めな分料理も酒も旨かった。俺達らしからぬ気もしたが、何だかんだとゆっくり話をしながら、ふたりの時間を楽しむことが出来た。

まだまだ人通りが多い繁華街は、ギラギラしたネオンが鮮やかに夜空を明るくし、目についた店の窓からは人々が思い思いに、酒や食事を楽しみ賑わっている。

NERVの制服ジャケットを羽織ったいつもの彼女は、化粧はとっくに落ちてるし、洒落っけは全くない姿だが、美人の類に間違いなく入る方だろう、その親しみやすい顔つきに加えて、抜群にスタイルがいいこともあって、やはりその姿は人目を引いた。
だから、葛城の全身をジロジロ見る失礼な輩とすれ違ったし、女子会なのか、三人組の女性が目をキラキラさせて彼女を見ていた。ああいった子達は可愛いよな、葛城はNERV内の女性にもかなり人気があるけど、似たような理由だよなと仲間意識みたいな気持ちになって、三人組に手を振ってニヤニヤしていたら彼女にジロッと睨まれた。色恋には鈍感な癖に、こういう場の勘みたいなのは鋭すぎる。

俺だって本当は並んで歩きたいんだ。けど何故だか照れくさいし、今の俺達の微妙な関係にはまだ早いような気がして、距離を取ってるというのに。

そうこうしているうちに、酷く酔っ払った男達が声をかけてきた。慣れていることもあって葛城は軽く遇らってはいたが、彼等は中々立ち去らず、所謂飲み行くお誘い的な言葉を羅列している。顔は取り繕っているだろうが、後ろ姿を見ていても葛城の肩は小刻みに揺れ、イライラしているのが分かった。
こういうことには沸点が低い彼女のことだから、見た目には想像出来ない物凄いパワーで彼らを殴り倒すどころか、この場を蹂躙してしまいそうな気がして、俺は事が起こる前に彼らの前へ出て無言の圧で制した。

元々彼女に危害を加えるような奴がもしいたら、すぐにでも自分が前へ出るつもりではいた。俺が前へ出ることで、彼女の中味は暴君気味の女王様ってところだが、周りからは、さながら絡まれているか弱い姫様にしか見えなかっただろうし、偶然にも俺はそのナイトになれたという訳だ。

「あんなの、あたし1人で大丈夫なのに」
「暴力沙汰になったら、懲戒免職になるぞ」
「そんなことしないわよ、でもやっぱり腹立つ、めっちゃしつこかったもん」

葛城は思っていたよりもかなり怒っていたらしく、俺の方を見て、顔を顰めていた。
それだけでなく膨れてもいるから、本人は真面目に怒っているんだろうが、その顔が可愛い。だが、感じたまま言ってしまったら、更に怒るだろうなと思って心の中に留める。普段は見ることのないこんな顔を見れるのも、奴らのお陰だなと思うと感謝しなきゃいけないかもな。

「まぁ、葛城は綺麗だからな、周りが放っておかないんだろうな」
「そんな歯の浮くようなことをよく言うわ、加持くんなんてあちこち粉かけて忙しい癖に」
「心外だなぁ、そんなの葛城にしかしないよ」

今しがた般若の顔をしていたのが嘘のように、葛城はクスクス笑う。
そんな葛城の横を自分の定位置にして、腕を出すと彼女は躊躇いがちに腕を絡めてきた。

「帰国してあんまり大衆居酒屋っていう感じの店って来てないのよ、あたしは好きなんだけれどね。リツコと飲みには行ったけどさ、なんていうの、いかにもってトコ嫌がるのよね〜少しお洒落なバーとか、ホテルのラウンジとかが好きみたい」
「まぁ、リっちゃんはそういう所似合うよな、酒も強いし」
「そうなのよ、わたし負けるんじゃないかな」
「そうか〜葛城より飲める奴なんて見たことないぞ」

本心から言ったつもりだった。が、彼女は小さく呟いた言葉が俺に突き刺さった。

「…加持くんの方が強い癖に」

酷く冷静な声だった。
あんなに飲んだのにもうシラフになってるのかよ、と思いつつ、適当に流すことが出来ないことを悟った。

昔は誤魔化せたことも、もう葛城には通用しないんだな。
確かにあの頃、いつも俺は先に潰れるふりをしていた。時には、彼女の本心を知りたくて酔った勢いのフリをして、道化を演じるが如く絡んでいたこともあった。
酒は葛城より強いかどうかは分からないが、俺は十代ど真ん中で、もうリミッターが無くなったのではと勘違いする程に、酔えなくなっていた。それは自分が経験した決して忘れられない出来事と、その後の置かれた環境がそうさせた。生き抜く手段を体で覚えていかなくてはいけなかったから、酔いで現実から逃げることが不可能だったのだと思う。
彼女が短期間で酒を覚え、尋常じゃない量を飲めるようになったのも、程度は天と地程に違うが、根本的な所は俺と同じ理由だと思っている。

葛城自身も一見開けっぴろげに見えるが、実はそうじゃない。リっちゃんのようにプライベートについて完璧な鉄壁を築くわけもないが、アイツ自身にも侵してはいけない領域がある。もちろん誰もがそんな自分だけの場所をもっているのは分かっている。俺だってそうだった。

恋人同士と呼ばれていたあの頃は、恋愛に浮かれた自分もいたし、誰かと一緒に生活する嬉しさもあった。でも、出会った頃幼い少女のようにも見えたと彼女は、二年の月日を経て、恐ろしく大人びた女性になり、俺の元から消えた。
別れる前の数ヶ月と別れた日、あの時のことは、必然だと分かっていても、胸の奥が締め付けられるような苦い記憶として俺の中に残っていた。

「どうかな、俺は普段は飲まないから」
「そう」

生温い風が彼女の髪を揺らす。昼間は髪を一つに纏めることが多く、小さめの顔の輪郭が顕わになり、ツンとした顎と反比例にふっくらした頬、細い頸にかけてのラインに後毛がくるんと巻いていおり、ただでさえ童顔な彼女が少女のように見える。だが、今日の飲みの待ち合わせ場所に、俺より少し遅れて走ってきた彼女の髪は、下ろされていて昼間より大人びて見えた。

「ね、寄ってこ」

葛城と話す時間を少しでも長くいられたらいいな、と宛てもなく歩いていたが、意図した訳でもなく、気がつけばそういうホテルが乱立する場所に来ていた。ここはいつもなら絶対に般若の如く怒るのが彼女のはずだろ、どうしたんだ。
葛城は俺を本気で誘ってるのか、それとも揶揄っているのか。彼女自身はそう意識していないのだろうが、昔と変わらない甘えた声と成熟した女性に変貌したその姿は俺の理性をぐらつかせる。

だが、店を出てから無邪気に笑顔を向ける彼女が時折見せる、刹那的な表情が俺の心に影を落とす。それは、自傷行為と等しい過去の俺達のセックスを暗示しているようで、やはり彼女に簡単に触れることが出来なかった。
ごちゃごちゃ考えないですぐ返事をすればいいのに、だから彼女の顔ををまじまじと見てしまう。ほんのりと朱に染めた頬と、上目遣いで俺に投げかける視線がやけに色っぽい。おまけに後ろにはラブホテル、選択肢は一つしかない。

いや、ただただ性欲を彼女で満たしていたあの頃とは違う。もうガキじゃないし、酔った葛城の言葉を鵜呑みにして、ホイホイ中には入らないさ。

とは言えど。

やはり好きな女にストレートに言われて、平常心でいられる訳がない。
葛城はいつもそうだ。無意識に俺を取り込んで、転がして、放り投げる。俺は翻弄されるだけ。何も考えずに自分の欲望に従えば、迷うことなんてないのに、俺は何を躊躇っているのか。
深呼吸の代わりにぐっと一度拳を握った後、葛城の腰に手を回して、隠微な輝きを放つホテルのネオンを横目に、俺は、いや俺達は吸い込まれていった。

家にはエヴァパイロット二人が葛城の帰りを待っている。
しかし、初号機パイロットが待つマンションへ、日付が変わらないうちに帰す自信もなかった。

「…なんかね、さっきのちょっち嬉しかった」

シャワーも浴びずに、俺の腕の中に止まっている葛城が気怠そうに呟く。

「さっきのって?」
「男の人達撃退してくれたこと」
「そりゃ、まぁあれはな」

今日の葛城は予想外な言葉に行動に、俺には全く余裕がない。文字通り自分の鼻の下が、だらしなく伸びているんじゃないかと気になる。

「余計なことしたかと思った」

「そうよ、加持くんとはなんでもないのにね」
「でもちょっち嬉しかったの、それだけ…シャワー浴びてくる」

俺が、軽く…いやかなりショックをと受けたことも気づかずに、君は…

一喜一憂じゃないな、喜んだとこでどーんとありえない位落とされるんだから。
もうぐっさりと。憂いじゃないさ、どん底だ。

ってかさ、あいつはいつも言う、俺とのことをなんでもないって。
けどさ、なんでもないってことはないだろ。

ここに誘ったのは君なのに、それにこの前久々に抱いた時とは違って、あんなに俺の腕の中で乱れておいて、俺との関係をなんでもないと言い切るのは酷くないか。
悶々させられているこっちの気持ちなんか無視するように、さっと俺の腕をすり抜けて、何も纏わずにバスルームに移動していく彼女の後ろ姿が目に入る。見送りながら、俺は何か言わなくてはと分かっているのに、呆然としたままだった。

ため息が出る、だって俺を鬱々とさせた当の本人は、うーん気持ちいいーと呑気な声を出し、更に声の主は鼻歌を歌い始める。バスルームはガラス張りになっているから、彼女がシャワーを浴びている様子が見えた。

何を言ってもダメなら体で分からせるしかないだろうと、欲望が再び沸いてくる言い訳を頭に巡らせると、やはりそんなやり方は嫌だと思った。しかし、俺は俺自身の衝動を抑えられない、もうダメだった。彼女を再び抱きつくしたくなった俺は、ベッドを抜け出して、彼女の後を追った。

+

「もう、帰んなきゃいけないのに。だいたい、いい歳してなにやってんのよ」
「そりゃ、愛を確かめ合ってるんだろ」

湯気が立ったバスルームで、俺達はのぼせそうになりながらまた体を重ねた。こういった場所のバスルームは必要以上に広いから、二人入ってもかなり余裕がある。明らかにベッドより上ずった彼女の声が反響して、めちゃくちゃ興奮したし、少々乱暴気味に抱いたはずなのに、彼女の体はしなやかに俺を受け入れて、飲み込んでいった。
名残惜しく体を離した後は、そのまま体を洗ってやった。潤んだ瞳に、赤らんだ顔。滑らかな肌はほんのりピンクに染まったままで、濡れた髪が顔に張り付いてそれもまた色っぽい。俺に体を預けたまま気持ちよさそうな彼女の表情に、先程の不満がふっと過ぎる。ホント俺って君のなんなんだよ、まさかセックスフレンドとかなのか?こんな無防備な顔しやがって…

「…俺とは何でもないんだろ」
「え?」
「さっき言ってた」
「だって、本当のことじゃない、付き合ってたの八年も前の話だよ」
「それはそうだけれどさ…」
「葛城は何でもない男と、セックスするんだ」

あー言わなくて良いことを次々に言ってる俺、情けない。でも聞かずにいられなかった。

「しないわよ…そんなこと」
「だって、何でもないんだろ、俺とは」
「ん…もう加持くんしつこい」

バスルームを先に出た葛城はバスタオルを体に巻いて、もう一つのバスタオルを髪に巻いた。それ、俺の分だろうに…と思いつつ、俺は小さめのタオルを使うことにした。それから、バスタオルに包まれたままの彼女の髪を下ろして、ゆっくり拭いていく。ドライヤーで乾かしてやると、鏡越しに穏やかな顔で葛城は俺を見ていた。

目が合うと、すぐ顔が赤くなる、そしてやっぱり俺を睨んでる。でも、髪は触らせてくれる。こういうところが好きなんだよな、素直じゃないけれど、俺の手に収まっているところとか。

髪が乾くと、ホテルにあったヘアオイルを付けると、クセのある彼女の髪はサラサラになった。それを伝えると、嬉しそうに触って確かめる仕草もいいなぁと思う。

身支度を整えて、葛城の車に乗り込んだ。
日付は変わってしまったが、帰って仮眠する時間はありそうだ。

それにしても、こんな時間が過ごせるとはな、と改めて思うともう少し駒を進めて良い気がした。

「今度は、俺が誘っていい?」
「…残業なかったらね」

小さく彼女はつぶやく。
それから続く言葉は、またも予想外だった。

「この前、加持くんの誕生日だったでしょ」
「やっと落ち着いたから、飲みに誘ったのよ…」
「あ、本当はシンちゃん達と一緒にしようって話てたんだけど、使徒戦あったり残務処理続いてたから、当日お祝い出来なかったのよね。」

一瞬、何を言われているか分からなかった。
葛城に言われていることを、反芻してようやく理解する。

マジか、俺の誕生日覚えていたんだ…

だからあんな店、高い酒に旨い料理…って、いやヤバいな、俺今ニヤけてるんじゃないか。
表情だけでも平静を保とうとするが、彼女の言葉は続いた。

「なんか前も昇進祝いとかして貰っちゃったしね」
「もう3日も過ぎちゃったけどね、それにホテルに寄るのは、予定外だったけれど」

それは葛城が誘ってきたんだろ、と言いかけてグッと自分の中で飲み込む。そして、シフトレバーを入れようとする葛城手を止めて、俺は彼女を引き寄せた。

「やっぱりさ、俺とは色々あるだろ」
「まぁ、そうかもね」

今日1番顔を赤くしている葛城に、俺は口付ける。彼女も応えてくれた。

ああ、満たされる、最高の誕生日だな…
3日、いや4日過ぎてはいるか

「帰ろっか…」

甘さが混じる葛城の声に、唇を離した。
名残惜しいが、俺も頷いた。

君の時間を独り占め出来たことが、俺にとって最高のプレゼントさ

俺達の時間は、残りわずかなのかもしれない。だからこそ、今はこの心を満たしている幸福感と、葛城に触れた余韻に酔っていた。

FIN.

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