0051 にっぽん走遊記47:(47)高知県

■出場大会
 2004(平成16)年10月3日〔46歳〕
   第13回おらが村・心臓やぶりフルマラソン《安芸郡馬路村》

<高知・馬路村へ>
 名古屋発8時3分のぞみ41号で岡山へ。朝、家を出るときは曇だった。新大阪に近づく頃には雨が降ってきた。今日はあまり天気はよくないな、と思っていたが、岡山に入ると晴れてきた。
 9時44分、岡山駅着。すぐに在来線のホームに行き、9時52分発の南風5号高知行きに乗り込む。土讃線は電化されていないので、ディーゼル車である。最初の停車駅、児島を過ぎると、全長9.4km、5つの島を6つの橋で結ぶ瀬戸大橋を渡る。
 瀬戸大橋の構想を初めて提唱したのは、香川県議会議員の大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう)。今から115年前の1889年(明治22年)のことだ。「海に橋を架ける」大計画に、「橋は川に架けるもの」と思っていた人々は驚いた。そして、誰もが狂気と決めつけた。彼は呵々大笑しつつ、こんな歌を残している。「笑わしゃんすな/百年先は/財田の山(さいたのやま=香川県の山)から/川舟出して/月の世界へ/ゆきゝする」。100年後、瀬戸大橋も宇宙への有人飛行も実現した。時代の常識に慣れた人々が、時代を先駆けする者に狂気を見るのは、古今東西、共通の方程式なのかもしれない。
 四国に渡って最初の停車駅は丸亀。昨年、香川・丸亀ハーフマラソンで、この駅を降りたことを思い出す。多度津、善通寺、琴平を通って、阿波池田へ。四国は高い山はないのだが、険しい地形が多い印象がある。大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)峡は、まさにそれを象徴するかのような、名所である。四国三郎・吉野川が作った深淵と絶壁は、景勝と言ってよい。
 土佐山田駅に停車すると、土佐くろしお鉄道の乗り継ぎ駅である後免駅はすぐであった。
 12時17分、後免駅下車。ここで昼食を取ることにした。駅前をうろうろしてみたが、食堂やレストランといったものが見当たらない。スーパーマーケットの向かいにあった『ふくまさ』という、うどん屋に入ることにした。カウンターとテーブルが3つほどの小さな店で、老夫婦が切り盛りしていた。当店自家製のハヤシライスとうどんのセット(800円)を注文した。ハヤシライスは普通の味だったが、うどんは美味しかった。特に汁は全部飲み干してしまったほどの味であった。
 平成14年7月に開通した土佐くろしお鉄道“ごめん・なはり線”は、南国市の後免駅と安芸郡奈半利(なはり)町の奈半利駅の42.7kmを結ぶ。車両、駅舎、枕木など、皆新しい。ただ、トンネルや橋脚に古いところがあったのは、開業までに相当年数かかったのだろう。太平洋沿いを高架で走る鉄道なので、車窓からの景色は見晴らし抜群である。運がよければオープンデッキ付きの車両に巡り会うことができるが、私の乗車した13時32分発の列車は、1両編成の普通の列車であった。各駅では、高知県出身の漫画家、やなせたかし氏が考案したキャラクターが設置されている。後免駅のキャラクターは“ごめんえきお君”であった。
 車内は地元の高校生で満席であったが、安芸駅を過ぎると乗客は数人となった。マラソン参加と思われる乗客は、私を含めて4人であった。
 14時22分、安田駅到着。ここから、馬路村までは大会事務局の方が、送迎してくださる。案内書には“送迎バス”と書かれてあった。ところが、待っていたのは1ボックスカーのエスティマであった。私たち4人はこの車で馬路村に向かった。
 所要時間は30分ぐらいだっただろうか。安田川沿いの細い県道12号線をひたすら走っていく。山は杉の木が綺麗に植林されていて、山自体が美しい。安田川は清流四万十川よりも綺麗だという人もいる。天然の鮎を狙って釣り糸をたれる人も多かった。
 馬路村体育館で受付を済ませる。手提げの紙袋いっぱいの参加賞をいただいた。村特産の“やなせ杉”の平器、同じく特産の柚子で作られたジュース“ごっくん馬路村”の瓶詰め2本とオリジナル容器、“馬路村の金メダル”とバックプリントされたユニークなデザインのTシャツ。ありきたりの参加賞でないところが嬉しい。

<105号室の面々>
 今夜の宿泊場所は、馬路温泉・コミュニティセンター馬路である。安田川沿いに立ち、川のせせらぎや鳥の声など自然がたっぷり感じられる施設である。チェックインと同時に代金を支払う。部屋はフロントのすぐ隣の105号室であった。布団が7つ置かれていた。既に1人の方がみえて、私は2番目であった。どのようなメンバーと一緒になるか楽しみである。
 夕食までにはまだ時間があったので、付近を散策してみることにした。コミュニティセンターの前には森林鉄道とインクラインがあった。その昔、木材の運搬用として使われていたものを観光用に復元した乗り物である。森林鉄道はディーゼルで動く機関車。インクラインは世界でも珍しい水力で動くケーブルカー。頂上からの眺めはさぞかしいいだろう。あいにく、夏休み期間中以外は日曜・祝日のみしか運行していない。明日、マラソンのあとに乗ることは、おそらく無理だと思う。
 散策した限り信号機は一つも見かけなかった。村内にはこれといった店もない。農協ストアーでスポーツドリンクを買った。道路には、車に轢かれたであろう蛇が、煎餅のようになって干からびていた。
 宿に戻り、空いているうちにと思い、温泉に入浴。ツルツルとした感触があった。本物の温泉であろう。
 105号室のメンバーは豪傑揃いであった。
 その筆頭は、東京都杉並区から来た大束(おおつか)正之さん65歳であろう。定年後の60歳からマラソンを始め、5年間でフルマラソンを75回完走したというのである。多いときは1年に18回出場したそうだ。私は今回で通算12回目なので、1年分もない。それだけ走って体にダメージはないですか、と尋ねてみると、キロ6分以上のスローペースで走るから全く大丈夫だという。来週には旭川マラソンに出場し、11月には徳島の南阿波サンライン黒潮マラソンに出るのだそうだ。全く恐れ入った。
 福岡県の野口貢(みつき)さん68歳も、同じく定年後からマラソンを始め、60回以上フルマラソンを完走したとのこと。サロマ湖100kmなどウルトラマラソンも2回完走。
 広島県福山市の菅野(かんの)良夫さんも60代。フルマラソン30数回完走。
 同じ広島県から来た伊藤軍治さんも60代。初マラソンが、この馬路村のマラソンで、通算8回参加しているため、思い入れがあるという。自分が死んだら遺灰をマラソンコースに蒔いて欲しいと家族に語っているとの言葉が印象的であった。
 奈良県の岩橋洋二さん62歳は、フルマラソンはまだ4回ほどだそうだが、非常に若々しい人で、最初に会ったときは40代か50代かと思った。
 唯一の30代が高知県須崎市の高校数学教諭、横山直行さん34歳である。四万十川ウルトラマラソンの60kmの部を8時間で完走した経験があるという。
 60代の5人は、皆若々しく、生き生きとしていた。夕食は各自のマラソン談義に花が咲き、地元の鮎の塩焼き、天ぷら、ぜんまい、刺身こんにゃくなど、より美味しくいただくことができた。
 ロビーのテレビからは、イチロー選手が大リーグの年間最多安打記録を更新したニュースが流れていた。
 夜8時45分、早々に全員就寝。

<おらが村・心臓やぶりフルマラソン>
 大変ユニークな大会名で、この名前に惹かれて参加する人もいる。高低差263.7mで、急激な登り、そして下りと、アップダウンの非常に厳しいコースとなっていることから、「心臓やぶり」と名付けられた。
 馬路村は、人口1,200人に満たない小さな村であるが、一つの村が単独でフルマラソン大会を開催しているのは、私の知る限り、この大会だけである。まさに村民手作りの大会で、当日は全村民がボランティア、あるいは応援に参加している。心温まる大会である。
 スタート時刻は9時30分。申込数は1都2府12県から497名、愛知県からは私を含めて2名であった。
 いよいよ47都道府県、最後の県に来た。絶対に完走で締めくくってみせる、と強く決意した。
 号砲とともに大きな打ち上げの爆音が山に響いた。
 天候は曇。マラソンには絶好の気象状況だ。
 コミュニティセンターの前の道路は狭いが、500人弱の参加者だから混雑することもなく、スムーズにスタートラインを通過。
 安田川右岸を1.5km程南下し、橋を渡ると“第1の心臓やぶりの坂”だ。傾斜は急だが、200mと距離は短い。左岸を北上する。眼下に右岸を走る後続のランナーの姿が小さく見える。
 村役場前のメインストリートには一番の人出。といっても郵便局と2軒の商店があるだけ。交流センター前の三叉路を左折し、2つの橋を渡って、相名川に沿った周回コースに入る。ここに馬路村名産の“ごっくん馬路村”を製造している“ごっくん工場”がある。この“ごっくん”は、給水所にも置かれている。蜂蜜入りのゆず飲料で、さっぱりしてとても美味しい。私は一口飲んだだけで好きになった。給水所は20か所用意しているとされていたが、私はほとんどの給水所で“ごっくん”を口にした。あまり飲み過ぎた所為で、後半、胃の中でチャポチャポと音が鳴るようになってしまった。
 5km地点。28分46秒。キロ5分台で通過できた。思っていたよりもよいペース。今回の目標タイムを第1に4時間13分(キロ6分ペース)、第2に4時間30分、第3に4時間55分(キロ7分ペース)に設定していた。これからの登りを考えると、第1目標は無理だと悟った。第2目標に照準を定める。
 村の子供たちが道の脇に一列に並んでランナーにタッチを求めていた。何人かの子供たちと手を触れあった。
 周回コースの出入り口に当たるところに、警察の駐在所があった。真新しい建物だ。指名手配のポスターが掲示されていたが、この村で果たして有用なのだろうか。
 さて、いよいよ魚梁瀬(やなせ)ダムに向かっての坂道になる。民家が途切れると人気を感じるものは何もない。豊かな森、澄み切った川の流れ、ランナーもまばらになる。通る車もないから、交通規制の必要なし。ゴールするまでに通過した車は、二桁はなかったと思う。道路の左側を走ってくださいと言われていたが、折り返しのランナーと交錯することに気をつければよい。だが、それもまだ先の話だ。
 道路は川や山に沿って、ほとんど蛇行しているので、少しでも効率よく進もうと道路幅をいっぱいに使って最短距離を走る。
 10km地点。5km区間タイム30分19秒。通算59分05秒。自分自身としてのペースは落ちていないつもりだが、やはり、タイムは落ちた。
 久木トンネルを抜けると北川村に入る。ここから魚梁瀬ダム頂までの約5.5kmが“第2の心臓やぶりの坂”だ。
 15km地点。区間31分05秒。通算1時間30分10秒。
 県道12号線と県道54号線との分岐点から、勾配がきつくなり、だらだらと長い長い登り坂が続く。歩く選手も出始める。私は別に坂が得意なわけではないが、さほど気にはしない方である。何人かの選手を抜いた。
 「魚梁瀬ダム」の標識が目に入った。スタッフの人が、「もう少しです!」
 トップランナーが1人やって来た。独走である。邪魔にならないよう左端に寄る。
 ダムの頂を過ぎたところが、標高540m、このコースの一番高いところだ。眼下に魚梁瀬貯水池が広がった。再び馬路村に入る。遠くに魚梁瀬地区集落も見えた。空はかなり暗くなった。
 20km地点。区間33分03秒。通算2時間03分13秒。さらにタイムが落ちた。ずっと登りっぱなしだったから、仕方がない。ここで、下りになる。ペースが上がる。しかし、膝を痛めては元も子もない。膝に衝撃が極力来ないように走る。
 魚梁瀬ダム湖に架かるヤナセ大橋を渡ると、雨がポツリポツリ。ここから馬路村魚梁瀬地区をぐるっと500mほど廻って折り返す。魚梁瀬小中学校、魚梁瀬温泉、農協、郵便局などがある馬路村第二の集落である。森林鉄道と公園もある。さらに奥に行けば、屋久杉、秋田杉とともに日本三大美林といわれる天然杉“魚梁瀬杉”を残す千本山がある。
 ここでも村民総出の応援があった。「よくお出でくださった。ありがとう」と、スタッフのネームカードを首からぶら下げたお婆さんの一言。こちらも、自然にありがとうと感謝の気持になる。
 ちょうど1周したところが25km地点のチェックポイント。
 区間30分58秒。通算2時間34分11秒。コース唯一の関門で、ここを3時間30分以内に通過しないと失格となる。久しぶりの平坦な道で、タイムを盛り返した。
 再びヤナセ大橋を渡ったところで、高校教諭の横山さんが私の横に。しばらく併走。最後の、“第3の心臓やぶりの坂”の手前、「きついですよ」とスタッフの方の声。先ほど下った坂が頭上彼方に見える。「あそこまで登るのか‥‥」。先が見えると心理的にきつくなってしまう。だが、歩くことだけはしまい。“完走”したい。自分の中では歩くことなく走り通すことが完走だと思っているからだ。坂の給水所で、私の方が抜け出す。その後、横山さんは私の前には現れなかった。
 約4kmの登り。3か所の心臓やぶりの坂の中で一番きつい。ランニングウェアは、汗と、ぱらつく雨で、ぐしゃぐしゃだ。
 再びダムの頂に辿り着く。
 30km地点。区間34分15秒。通算3時間08分26秒。5kmのラップタイムで最も時間がかかった。いかに厳しい登りであったことか。
 そこからはゴールまで下り。今までよりコース的には楽になるであろう。しかし、今までの激走で、脚は疲労の塊。屈伸運動も兼ねてトイレ休憩を取る。我が松茸は、縮み上がって小ぶりになっていた。
 この大会は、給水所も充実しているし、仮設トイレも充分に設置されている。とても配慮された大会だと感銘した。
 トイレを出て、ギアチェンジ。下り坂に反応して足はスムーズに動いた。何人かの選手を抜き去った。雨脚が少し強くなったが、長くは続かなかった。
 残り9km、そして8kmの距離表示を過ぎると、久木トンネルが、見えてきた。これをくぐり抜けると、残りは7km少々となる。雨は上がっていた。
 35km地点。区間32分47秒。通算3時間41分13秒。下り坂だった割には時間がかかった。やはり体が言うことを利かないのだ。膝も痛い。それと、周りに選手がいなかったことが影響しているのかもしれない。
 40km地点。区間30分49秒。通算4時間12分02秒。2分ほど短縮した。前を行く何人かの選手を目標にして、がんばった結果だ。私は人と競走する気はない。だが、自身のペース維持、あるいは、ペースアップのために他の選手を利用させてもらっている。
 残り2km地点。4時間13分02秒。このペースで行けば、4時間半は切れそうだ。右手前方、安田川の右岸に、スタート地点でありゴール地点であるコミュニティセンター・馬路温泉が見えてきた。あと少しだ。
 残り1km地点。4時間19分38秒。この間の1kmは6分36秒。警察官にも「がんばれ!」と激励される。声援を送ってくれる人たちも増える。往路で通過した役場前の道を通り、右折。「あと700mだ」との声。安田川を渡って、さらに右折。最後の力を振り絞って、「ようこそ馬路村へ」の幟が立ち並ぶ道を駆け抜ける。
 ゴール。4時間25分26秒。最後の1kmは5分48秒。総合194位の成績であった。
 最後に、これも、ありきたりでない完走証の文面を記して、47県目の大会の完走を締めくくりたい。
   「 完 走 証
      馬路村の金メダル
    みどりに輝く山をこえて
    ピカピカ光るアユの谷をわたり
    キラキラ光る生まれたての風の中
    あなたは、42.195kmの馬路の道を、よく走り通しました。
    あなたの、その、がんばる姿は
    今日、馬路村を金メダル色に輝かせてくれました。
    あなたの汗と、がんばりに、
    馬路村から、ありがとうの金メダルを贈ります。
    ありがとう。
       平成十六年十月三日
       第十三回おらが村心臓やぶりフルマラソン大会
              大会会長・馬路村村長 上治堂司 」

◆行程
10月2日(土)
  本星崎 7:16 → 名鉄本線 → 金山 7:28
  金山  7:33 → 東海道本線 → 名古屋 7:37
  名古屋 8:03 → のぞみ41号 → 岡山 9:44
                           366.9km
  岡山  9:52 → 南風5号 → 後免 12:17  168.9km
                         計 535.8km
  後免駅前うどん屋「ふくまさ」にて昼食
  後免 13:32 → 土佐くろしお鉄道 → 安田 14:22
村の村の送迎車にて馬路村へ(所要時間約30分)
  馬路体育館にて受付 15:00~18:00
  宿泊:馬路温泉(コミュニティセンター馬路)
10月3日(日)
  5:45 起床
  6:30 朝食
  第13回おらが村・心臓やぶりフルマラソン
     スタート、ゴール「馬路温泉前」
  9:00 開会式
  9:30 スタート   制限時間6時間
  温泉入浴(馬路温泉)
  昼食  うどん、ばら寿司
  送迎バス 16:00発 → 高知駅 18:00頃着
  高知駅にて弁当購入
  ※JR夜行高速バス「オリーブ高知号」
   (高知駅20:10→ 名古屋駅5:45)を購入していたが、
   電車の時間に間に合ったので、変更した。
  高知 18:23 → 南風26号 → 岡山 20:55
                           179.3km
  岡山 21:10 → のぞみ38号 → 名古屋 22:49
                           366.9km
                         計 546.2km

◆経費
 交通費  計 31,600円
   JR運賃 名古屋→後免 8,430円 特急料金 6,190円
        高知→名古屋 8,750円 特急料金 6,190円
                        計 29,560円
   土佐くろしお鉄道 後免→安田 1,040円
   送迎バス 1,000円
  (JR夜行バス・オリーブ高知号 9,070円 払い戻し100円)
 宿泊費 7,350円
 飲食代 1,825円
                       合計 40,775円

※馬路村は、昨年2003年1月、市町村合併に加わらない方針を決めたそうだ。小さな村が単独で生き残れるかどうか、試練に立たされると思うが、「日本一元気な村」として、フルマラソン大会が引き続き開催できるよう願ってやまない。
              (2004(平成16)年10月7日 記)

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