強さは弱さの裏返し

最近、強さと弱さは表裏一体だなと感じることが多い。
いつかの日、友達の家でアルコールという動物の理性をコントロールする水と煙を飲み、語らっていたとき、ふと僕が彼らに対して「彼らの考える僕の好きなところと嫌いなところはなんだろう?」と問いかけたとき、彼らは口を揃えてこう答えた。
「お前の弱さは強がっているところだ。」と。
僕は初めは理解が追いつかなかった。しかし、彼らのそう考える理由を聞いているうちに、理解ができてきて、気づけば涙を流していた。

僕は弱い人間である自分から逃げようと逃げようとするがために、強さの方向を間違え、友達や周囲の人間に誤解されるような行動をずっと取ってきた。
どこかで気づいていたはずなのに、気づかないふりをしていた。気づきたくなかった。
弱い自分がいつしか嫌いになり、僕は強い自分が好きであるという洗脳を自分自身で侵し、弱い自分は存在しないものにしようとしていた。

僕はそこで気づかされた。弱くてもいい、格好悪くてもいい、泥臭く生きればいい。醜く生きればいいじゃないか。それが人間なんだから。かの徳川家康もかつて武田信玄に恐れをなした結果、脱糞して戦から逃げたという。だが、そんな彼でも天下人となった。

弱くても、格好悪くても、それを認めてくれる人は必ずこの世界のどこかにいる。だから、そんな弱い自分も受け入れて、そんな自分でさえも愛そう。そう思えた夜でした。

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