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10.商売繁盛(3)

・太陽熱温水器 1ヶ月で24台販売(33歳 )

当初は1~2年手伝うつもりで勤めたガソリンスタンドだったが、コンポーネントカーステレオやタイヤを売るのが面白くて、あっという間に8年が過ぎた。何度かこのまま一生スタンドで働くのかなあと悩んだ事もあった。その都度「何をやって良いのかわからない時は、目の前にある事を精一杯やろう。そうすれば、それが自分のやりたいことか、そうでないかだけははっきりする」と考え、勤めていた。

たまたま見た雑誌に、屋根に乗せて太陽の熱でお湯が沸く「太陽熱温水器」が紹介されていた。山小屋生活を5年近く経験していた私にとって、それは感動的なすごい商品だった。電気を全く使わずお湯を得られるのは、理想的だった。エネルギーを無駄にしないし、木を切って、割って風呂をたくのは重労働なので、それが解決されるを考えると気持ちをわくわくさせた。

社長に無理を言いサンプルとして一台購入し、ガソリンスタンドに設置した。晴れていれば夕方には丁度良い湯かげんで、車を洗車するのにはもったいない温度になっていた。見本を設置して初めての日曜日、来店した時興味を持ったお客宅を午前11時に訪問し、1時間位便利さと消エネになることを話した。購入には国の安い融資が受けられることを話して、難なく契約した。午後にもう1軒訪問して同じような営業をしてまた契約できた。1日に70万円近くの売上をする事ができた。

そのころは、自分の能力には気付かず、「運がいいなー」としか思わなかった。翌日に社長へ2台売れたことを報告し、夜遅くまでの当番を無くして夜は太陽熱温水器の営業をしてみたいと提案した。社長は承諾してくれた。私は夕方までガソリンスタンドで働き、夜はお客様の自宅を訪問して、太陽熱温水器をセールスして歩いた。

山に住んでいた時のお湯のありがたさを話し、今使っている灯油やガスの消費が減る事を話すと売れた。2日目・3日目と連続して売れてくると、まぐれが続く恐さを感じた。夕方お客様宅に向かう車の中で、今日は売れまい、今日はだめだろうと不安になった。4日目、話しをしても売れなかった。なぜかホッとした。「そうだよな、昨日まではまぐれで売れていたんだよなー」と思った。

それが翌日には2台契約になり、あっという間に1ヶ月が過ぎた。合計してみると1ヶ月で24台も売っていた。このことがその後5年間で100億円の太陽熱温水器を売る会社を始めるきっかけになった。だが、この時はこんなに太陽温熱器が売れたらガソリンスタンドの灯油の販売量が減るのを心配した。1年半後に設立された太陽熱温水器販売会社には、延べ1,000人近くのセールスが在籍し、販売台数を競ったが、1ヶ月24台販売できるセールスは現れなかった。

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・人生の岐路 30秒で決断(33歳 )


1ヶ月24台の太陽熱温水器を売って考えた。私みたいな営業の素人が売れるのだから、他の人でも売れるだろう。たくさんの人数で売ったら売れるに違いない。ガソリンスタンドで限りある資源の油を売るより、エネルギーを節約できるソーラーを売るほうがおもしろく、世の中のためになる。30秒位考えて太陽熱温水器を売ることに決断した。

スタンドの業務から抜けて太陽熱温水器を売ってみたい・・と社長に話した。有限会社丸北商事にガソリンスタンド部門とソーラー部門ができた。短い期間手伝うつもりが、ガソリンスタンドの店員を8年やっていた。これまで自分が何をしたいかわからなかったのが、ちょっとだけやりたい事が見つかったような気持ちがした。

翌日から営業マンを集め始めた。まず、川内村に住む友人の風見君が手伝ってくれることになった。また、ガソリンスタンドのお客様の中に、テラスの訪問販売をしている会社があり、この会社のセールスをしている大谷さんが次に加わった。

太陽熱温水器販売部門は、お客様から契約をもらい、取り付け工事は外注でやった。セールスに固定給はなく、契約をとって手数料をもらう歩合制だったので、販売セールスは何人いてもよかった。大谷さんの仲間に斎藤健君がいた。太陽熱温水器のセールスマンになる話を持ちかけると彼は乗り気になった。しかし彼は決断せず、仲間である「横尾さんがやるなら自分もやる」と言った。横尾さんはいつも皮ジャンを着ており、鏡を見て頭をなでつけるのが癖で、キザな感じがしてどちらかというと嫌いなタイプだった。

少し前には兄と私で作った手造りの商品ステージの角で革靴を磨いていたので「そこは靴を磨く場所じゃないんでやめてもらえますか」と横尾さんに文句を言ったばかりだった。この時横尾さんは何も言わずにそこで靴を磨くのをやめたが、私に対しても良い感情を持っていないのは十分想像できた。斎藤健君が言うには、横尾さんは営業にかけては神様のような人であり、今テラスの販売会社でも前の会社でも群を抜いて商品を売っていたとのことだった。彼が会社を動けば、他の人もみんな動くとも聞かされていた。私は横尾さんを説得するチャンスを待った。

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・一本のウイスキー(33歳 )

印象の悪かった横尾さんの事も、販売の神様のような存在だという斎藤健君の話しを聞いてからは、無口だけど妙に自信ありげで、マイナスの面の印象が一転し、もしかしたらすごい能力の持ち主なのかも知れないと思ったのだから不思議だった。

斎藤君と話した2日後、夜9時過ぎ横尾さんが斎藤君と一緒にスタンドへ立ち寄った。横尾さんは運転免許を持っておらず、営業の仕事は誰かに乗せられて現地入りをし、その後1人で行動して契約を取ってくるのだそうだ。私は斎藤君に話した事と同じ内容の話しを横尾さんに言った。

私でも1ヶ月24台売れたのは、太陽熱温水器が今、お客様欲しがっている商品だという事と、お湯を得るのに灯油やガスを使っている人は、太陽熱温水器をつければ必ずガス代・灯油代が節約になるので、その金額を購入資金にあてられる事を熱っぽく話した。横尾さんは私の話しを聞いた後、興味なさそうに「その話、斎藤君から聞いた」と言った。

私はめげずに、売れますからぜひ考えてみてくださいと言い切った。斎藤君も「これは売れるかもしれませんよ」と援護射撃をしてくれた。横尾さんは帰り際「考えてみるよ」と言ったので、私はすかさず「後で家へお伺いしたいのですが。いいですか?」と聞いた。「いいよ」との返事でアパートの場所を教えてもらい、1時間後に訪問することを約束した。アルコールは全く飲まない私だが、手ぶらで訪問する事は失礼かなと思い、高額のウイスキーを1本買った。

横尾さんのアパートの中は思い出せないが、部屋には1枚の筆文字が額に入れられて飾られていた。「苦越」と書かれてあり、苦しみを超えるとの意味であることがわかった。これは横尾さんが自分で書いたとのことだった。私は単刀直入に「太陽熱温水器の営業をやってみませんか」と横尾さんに聞いた。

横尾さんの返事は、「やるのは良いが、いくらバンス(前借)さしてくれますか」という答えだった。私はバンスという言葉すら知らなかったので「それは何ですか?」と聞いた。よく売るセールスマンには、バンスという制度があり、前借りの全額を用意してもらえないと動けないというのだ。この金額の大きさがセールスの値打ちだとも説明してくれた。

額を聞くと、横尾さんは250万円、斎藤君は150万円だという。貯金のない私は、話はわかったが、「横尾さん、借金があるんですか?」と聞くと、全くないという、逆に今働いているところから貰えるコミッションが百数十万円あるとの返事だった。

訪問販売の業界を全く知らない私にとっては、バンスのことも多額のコミッションも初めて聞く話であり、狐につままれたような感じもした。しかし、横尾さんがうそをついているようには感じなかった。数分後、「それじゃ、私のところで仕事をしてもらって、1ヵ月後のバンスではどうですか?」と提案した。それに対し横尾さんは「わかった、それでは明日、私と斎藤君に50万円ずつ用意してくれれば明日から働こう」との返事が返ってきた。

1ヵ月後なら自分が販売した販売手数料と斎藤君・横尾さんの販売した温水器の手数料等でなんとか前貸し金が用意できるだろうと考えていたのである。しかし、横尾さんからの「翌日100万円借りたい」という」申し出には困った。私は「わかりました。用意しましょう。」との答えに続けて、「もし用意できなかったらどうしますか?」と言ってしまった。

横尾さんは、「自分の人生を預ける人が、100万円のお金を用意できないならそれは能力の問題なので、その時はこの話はなかったことにしよう」と返事されると、私の腹も決まった。

そして、どのようにして明日の午後2時までに100万円を準備するかを考えはじまった。


・根拠のない自信(33歳 )

100万円のお金の算段をいろいろ考えた末、父親に相談した。兄や他の人に話すと「それはやめた方が良い」と言われるような気がして、話せなかったのである。私にも不安がなかったわけではないが、横尾さんの言わんとしているセールスの値打ちとかプライドとかいう話が、なんとなくわかる気がした。

父親はありがたいもので、私が新しい仕事に使いたいとの説明をすると、多くの事を聞くことなく、農協で私の保証人になってくれた。午前中に資金の準備ができたのである。

約束の時刻、横尾さんのアパートへ行くと斎藤君が一緒に待っていた。100万円の札束を封筒から出し、何も考えず半分位を横尾さんに渡し、残りを斎藤君に渡した。「50万円ずつありますので数えてみてください」と何の疑問もなく言えた。間違いなく50万円ずつあると思えたのである。2人は同時に数え始め、斎藤君が「あれ!49万しかないよ」と言う。「いや、間違いなく50万円あるので、もう一度数えてみてください」と私が言う。再度斎藤君が数えると間違いなく50万円有った。不思議だった。なぜ自信をもって間違いないと思えたのか。不思議な気持ちがした。この事業の行く末を予感するようでうれしかった。

1ヵ月後、残りの300万円を前渡しすることもでき、3ヶ月後には、その前渡し金額も彼らの得た販売手数料により、全額返済された。その後セールスが増えるにつれ、お金のトラブルが続出したが、横尾さんと私の間で最初にこんなにスッキリしたことが体験できたのは、2人の関係を示す実に象徴的な出来事だった。


・市場調査(33歳 )

丸北商事の太陽熱温水器販売部門は、横尾さん・斎藤君がメンバーに新たに加わり、私を含め5名となった。横尾さんの市場調査をしたいとの意見で、2人で湯本の団地へ販売に出かける事になった。

私のそれまでに販売した30台近くの温水器を契約した人は、全て私の実家を知っていたり、ガソリンスタンドのお客さんだったりで、全く知らない人はいなかった。横尾さんからは、同じトークで全く知らない人に売るのは難しいと聞かされ、すごいプレッシャーを感じていた。

夜7時、季節は秋の終わりだった。ほとんど人通りの途絶えた団地のはずれに赤く塗装したホンダNⅢを止めた。黄色いハッピを着た横尾さんと私が車から降りたった。道路を挟んで横尾さんは左、私は右と分かれて営業を開始した。ここに来る前に、どうすれば見ず知らずの人に売れるかを横尾さんに聞いたが、「一軒ずつ全部もらさず家をまわる」と言われただけだった。

一軒目のドアを開けた。「こんばんは。太陽熱温水器の宣伝なのですが」と声をかけるのが精一杯で、その後の話などできなかった。次の家では「今、国の融資がでてるのですが」と付け加えるが、家にあげてもらうことなど、とうてい無理だった。そして、次の家、また次の家へと5軒もまわると自分の気持ちがどんどんなえて来た。晩秋の寒さが気持ちをどんどん冷たくしてくるような感じだった。

10軒・15軒と回るうちに「こんな夜に何の用事だ」と罵声をあびせられると泣きたくなった。それまで太陽熱温水器を30台近く売ってきた自信等、どこかへ吹き飛んでしまっていた。それでも横尾さんより早くは待ち合わせの場所へは戻りたくなかった。もう一軒、もう一軒と足をのばし、とうとうその団地の端まで来てしまった。

高橋さんという家の呼び鈴を押した。奥さんが出てくる。「○○○○の太陽熱温水器ですが、今キャンペーン中で宣伝に歩いているのですが、御主人いらっしゃいますか」と声をかける。奥さんが一度奥へ引っ込みすぐ出てきて、どうぞとスリッパを出してくれた。それまで回った家とは全く反応が違っていた。台所に案内されるとテーブルには御主人が座って私を待っていた。私は以前に販売していた時と同じように一生懸命話した。気がつくと1時間近く説明していた。

御主人が「それじゃつけてもらおうか」と聞いた。奥様も台所にお湯が出るので大賛成だった。私は「やった、売れた」と心で叫んだ。契約書をもらい、新しく出された熱いお茶を飲む頃には、数十軒訪問して断られたみじめさや情けなさは忘れていた。

高橋さんの家では、最近勤務先で、太陽熱温水器の話題がでており、興味をもっていたのだった。そこへ丁度私の訪問があっての契約だった。高橋様宅を出て時計を見ると10時を過ぎていた。車には先に横尾さんが戻っていた。契約にはならなかったと言う。営業の神様といわれる横尾さんが売れず、私が売れてしまい、何か申し訳ない気がして「前から欲しかった家にぶつかったみたいです」などと言ったりした。小さな軽自動車での帰り道、横尾さんは、「寒くなったなあ」と連発していた。



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