「危なかった」釣り体験記 7

今まで毎日発信を続けて7日目。果たして穏やかにラストを迎えられるのでしょうか。

八丈島お正月キャンプ

 八丈島での事を思い出す。
 それは釣り同好会を作るきっかけとなった。私たちの最初の出会いの頃のことである。
 私とリーダーが再会してから間もなく、もう一人の知り合いのアパートで三人が会い、釣りを含めてよもやま話に熱を込めて話し込んでいた時、テレビに八丈島の釣りが紹介されていた。
 その番組に見入りながら
「関東一円の地磯は場荒れしていて、すれた魚が多くて、大した釣りにならない。同じ釣りをするならこんな所でするべきだね」
 等と。よくもまあ、自分の釣りの手腕などは棚に上げて…
 
 地図を広げて東京湾の南に連なる伊豆諸島を見ると、八丈島は東京からおよそ280キロの距離にある太平洋に浮かぶ南の島。
 私たちには釣りの楽園のような場所に思えた。
 しかも夜、船に乗り込めば朝には現地に到着出来るのだと言う。
 三人の意見がまとまるのに時間は掛からなかった。
 ただ、宿賃のくめんにはそれぞれに事情があり、テントを持って宿賃を浮かせようということになった。
 話が決まった時には、船橋での釣行の時のように、私の頭の中は巨大な水槽になってしまって。更に所は太平洋のド真ん中。
 私は巨大魚たちの『海物語』魚群にかこまれて、大連チャン大フィーバーしまくって、
一メートルクラスのヒラマサやマダイ・シマアジなどが悠然と泳いでいる。

         ☆

 いよいよ正月休み。
 三人は東京・竹芝桟橋から大島・八丈島行きの定期船に乗り込んだ。
 四日間とはいえ、キャンピングとなれば装備も多い。
 背中にリュック、両手に釣り竿などを持ちながら船のタラップを渡った。
 一等席から三等席まであるのだが、私たちは当然すし詰め状態の客船の下、三等席へ押し込まれた。
 船内は足を伸ばすスペースも取れないほどである。
 当時は正月旅行といっても現在ほど海外へ出る人は少なく、近場で間に合わせていた。
 出航が夜十時、現地着は朝八時頃だったろうさか。
 狭いスペースに固まり合って現地でのスケジュールなどを相談し合った後、それぞれ眠りに就いた。
 私もまどろみながらもなかなか寝付けずに、時々辺りを見回してはまた目をつぶり眠りに就こうとしていた。

 そんな中、気になる状況が目に入ってきた。
 七・八メートル先に女の子が二人横になっている。私も女性は嫌いではない。むしろ好きな方だ。
 いや、今はそんな話題ではないのだ。
 その女の子たちのそばで体格の大きな男性が、その女の子たちにしきりに話し掛けている… ように見えた。
 女の子たちは迷惑そうに首を振っている。
 何だか大柄な男性が女の子たちに悪さをしそうに思えてきた。
 私は彼に思いが届けとばかりジッと彼をにらんで見据えた。と、やはり彼が気付いて私にトイレに付いて来いと指示してきた。
「眠たそうにしている彼女たちが可哀想だ」
 という私の弁に彼は
「女の子たちのそばに置いている自分の釣り竿が彼女たちの枕になりそうだから、しきりに注意していたのだ。俺があんな小娘を相手にする気はない」
 と言いながら、軽いジャブのような平手が飛んできた。
 間髪入れず私も打ち返した。
 その時リーダーたち二人が間に入って私たちを止めた。
 あの彼が捨てゼリフで言い残した
「執行猶予中の身でなかったらオマエなんか…」
「シッコウユウヨチュウ」
 と言う聞き慣れない言葉の意味を理解したのは東京へ帰ってからだった。
 事実だとしたら恐ろしい人を相手にしたものである。
 何だかんだとあって軽い眠りに就いた。
 
          ☆

 夜が明けて、三人は甲板に出てみた。
 伊豆諸島は名前の付いている島のほかにも、大小様々の形をした岩礁が連なっている。
 海の色は雄々しく青黒く、波も荒い『男の海』と呼びたくなるような勇ましい風情である。
『寒い寒い』を連発して二人は私を置いて船内に戻った。
 私は風の冷たさもまた気持ちよさで 
「いいなあ、いいなあ」
 繰り返し一人呟いていた。
 海はやっぱりいい。
 漁港などの海沿いで生まれ育った訳ではないのだが、十歳頃。両親と共に郷里青森の『夏泊半島』への観光旅行のときに、生まれて初めて海を見て以来、海は私の『ふるさと』だと直感した。
 理由は何もない。
 釣行の際、海を目指して車を走らせていると、何となく海の気配が匂い出してくると気分が良くなる。
 私はきっと海で生まれたに違いない。
 海はやっぱりいい。

          ☆     
   
 客船が八時に八丈島に着いたジョウ(何回やってもウケない駄洒落だ)。
 八丈島は小さな島とはいえ、火山を二つも持つそれなりの規模の島である。
 岸壁に降りると北寄りの強い風に迎えられた。
 都心なら台風かと思うほど風が強い。
 だが、寒さはそれ程でもない。
 上着を着込めば十分暖かい。
 私たちは着いたばかりのこの港で早速釣りを始めた。
 灯台の横で仕掛けを投じたが、大波がどんどん堤防を越えて来る。
 時おり強い波に足下をすくわれる程だ。
 その度に灯台の裏に身を寄せる。
 バカらしくなって、早々に釣りを引き上げ、キャンプ場へ徒歩で向かった。

          ☆

 今回、私たちには徒歩以外に交通の手段がない。
 今回の釣行の致命的な辛い部分だ。
 立て看板を頼りに十五分くらい歩くとキャンプ場へ到着した。
 海岸の道路沿いに近いなだらかな丘の上に、流し台やトイレなどもあり、設備が整っている。
 それもそのはず、今はシーズンオフで誰もいないが夏場には管理人もいて、一日に二千円程度の料金が徴収されるのだ。
 とにかく風が強い。時折にわか雨が降る。

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 雨や風を計算に入れ、テントを設営する。 
 リーダーはキャンピングに詳しい。
 キャンプ中にテントを飛ばされたり、雨で水浸しになることも無く済んだのは彼のお陰だった。
 暖かい土地柄とはいえ、真冬にキャンプをしている人はいない。
 設備の整ったこのキャンプ場は、私たち三人の貸し切りなのだ。
 テントの設営も終わり、夕食の支度までも時間があり、付近を散策に出た。
 南国に近い気象条件が育んできた自然は嬉しい。
 北国、青森に育ってきた私にとってこの八丈島は天国だ…だ…だ…筈だった。
 後々にそんな気もしなくなった。
 しかし、今は
 木々の葉は緑、広葉樹ばかり。針葉樹はほとんど無いようだ。
 南国風のシダ類が多く、また至るところに真紅のハイビスカスのような花が咲いている。
 ここには冬がない。
 東京都八丈島には木枯らし吹く冬はないのである。
 強い風と共に雨も吹き付ける。
 そして、雲間から日が射し込んでくると虹が掛かる。
 私たちのキャンプ場の辺りはほとんど建物がない。
 船着き場の商店や宿泊施設までは徒歩で二・三十分歩かなければならない。
 そう言えば遠くに見える八丈富士、大きくはないが、本家の富士山のように悠然としていて見栄えがする。

         ☆

 夕食に取り掛かった。
 リーダーが飯ごうでコメをとぎ水を入れ、火にかけた。
 当然のごとく蓋の隙間から泡が吹き出してきてご飯が炊けはじめる匂いがしてきた。
「この泡はカニのあぶくと言って、これが干からびて来たらおき火に飯ごうをひっくり返して置くんだ」
 一体いつの間に彼はこんな知識を身に付けたのだろう。
 そう、彼は私たちの身近な存在でいながら、いつも謎めいた存在だった。
 ともかくご飯は出来、インスタント食品をゆでて腹に収めた。
 食器を片付け終えて風に揺れるテントの中で三人は明日のことについて語り合う。
 島にある小さな釣具店には生きエサはほとんど無く心細い。
 結局とりあえず釣り場を見つけて、食料のつもりのイカでも何でもいいからエサにして釣ってみようと言うことになった。八丈島の冬は風も雨も強い。
 夜の間中、雨と風が気になってなかなか寝付けなかった。
 朝にはテントの修復にかかり、朝食はパンで済ませ早速釣りに出た。

 強風で波が高い。
 あちこち動き回ってやっと竿を下げられそうなところを見つけたかと思えば、すでに先客がいて間に入ることも出来ない。
 東京の釣り人が引っ越してきたようなものだから無理もない。
 仕方がないので船着き場に変えた。
 地元の人の話ではアジが釣れるのだと言う。しかし仕掛けもコマセも無くては釣りにならないのだ。
 仕方なしにテンビンを底に投げ込むと、時々小物が掛かった。
 東京では見掛けない魚が多い。
 キャンプ場に持ち帰って昼食の足しにすることにした。
 キャンプ場の貸し切りの調理場で小魚の内蔵を取り、ごった煮の支度に取り掛かった。リーダーはまた飯ごうで米を研いでいる。
「トリガラ」は、
 そう、彼の紹介が遅れてしまったが、やはりリーダーや私たちと一時期活動を共にしていたメンバーの一人だったのである。
 今は埼玉で技工士をしている。入れ歯や差し歯を作っていると思えばよい。
 ニックネーム通り、ヒョロリとしていて八丈島の強風に飛ばされそうな体型だ。
 彼はアウトドアライフの経験が浅くアテには出来ない。薪集めをしながらその辺をブラついていると

 一組のカップルが私たちの真冬のキャンピングが珍しかったと見えて
「キャンプですか、寒くないですか?」
 と声を掛けて来た。
 彼が四十センチのカサゴを釣り上げたその後の会員
「ヨシノクン」だ。
 ふっくらとした丸顔と体型は見るものに安心と安らぎを感じさせる。
 私がサバいてる魚を見ては
「これは何ですか」
 と尋ねてくる。
 東京では見たこともない魚ばかりだから、私も図鑑を広げては、何だろう? と首をひねる。調べて見たが、二~三種以外は何やら見当も付かない。
 彼らは観光で八丈島へ来たのだと言う。
 一応カップル風ではあるが、男女関係は無いのだそうだ。
 この近くの民宿に部屋を借りているとのこと。
 あれこれ話しているうちに私たちは友達のように親しくなった。
 夕食の支度もできて彼らと共に、いろりに薪をくべながら酒を酌み交わし、釣りの話や彼らが巡った八丈島の観光名所のことなど、お互いの素性などもぽつりぽつり語り出す。
 いろりにくべた薪のはじける音、炎のゆらぎを眺めながら酒を酌み交わすほどに、お互いの心の芯まで温もり出して、普段には口に出来なかった心の奥深くまでが現れてくる。

 所で小魚のごった煮は美味しかったのだが、私はその中にフグも入れて食べていた。それも腹の中に指を突っ込んで、その身をかき出して私一人で綺麗に食べてしまった。
 食べていたその時点からこの変わった形の魚に話題が集まり
「フグでは…」
 と言う話にもなったが、
「こんなフグ見たこともねえ」
 と言いながら気になり、東京へ帰ってから図鑑でよく調べると
「ハコフグ」
 と言う学名でしっかり載っていた。
 しかし無毒だったから今でも生きていられるのだが…
 無知ということは怖いものなしでいいのだけれど、後になって考えて見ると恐ろしいものである。
 酒の酔いが回り出して何だかんだと彼女にちょっかいを出しはじめた私が嫌われたせいなのか、酒宴は九時頃お開きとなった。
「トリガラ」は民宿の二人の部屋に泊まると言う。
 東京に比べて暖かいとは言え、スリーシーズンタイプの薄いテントで強い雨風を凌ぐことは、彼のような繊細な神経には相当堪えるのかも知れない。
 だが深い関係ではないとは言え、男女二人連れの部屋に泊まりに行くとは、むしろ結構図太い神経の持ち主と言えるかも知れない。
 リーダーと私はその夜も強い風雨に何度か目を覚まして、テントの点検をして翌朝は寝不足気味だった。
 こうした天気は滞在中続いた。天気が良くなったのは変える日の朝、船着き場で帰りの船を待ってた頃になってからだった。

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 昨夜彼たちの民宿に一緒に泊まったトリガラとヨシノクンがテントに戻って来た。
 何でも彼らが民宿の親父と話し込んでいるうちに、その親父がふねを出してやろうと言い出したという。
 船賃一人一万円は少々痛い気もしたが、太平洋のど真ん中で釣糸を垂れることはそんなに味わえることではない。
 自前の釣り具を持ち、私たちは誰もみな生まれて初めて釣り船に乗った。

 沖へ向かうに連れて大波に揺られた。
 何しろこの時まで、その昔恋人と井の頭公園でボートを漕いだくらいの経験しかなかった。
 三人は強烈な船酔いに見舞われた。
 それでもその親父は
「今日はまだナギだよ」
 と素っ気なく言う。
 彼ら二人はすでに船のヘリにへたばりながらゲエゲエ始めている。
 無論私も気分良かろう筈がない。
 ただ、私は子供の頃、私の親父が酔って家に帰って来ると、決まって洗面器に嘔吐していた姿が不快でモドすことが大嫌いだった。
 必死の思いで船の舳先に大の字になって、八丈島の青い空と白い雲を眺めながら耐えた。
 不思議とそうしている間に気分が良くなってきたのだ。 
 青空は船酔いに良い薬なのかも知れない。
 彼ら二人は釣糸も垂れることもなあままグロッキーになった。
 船べりに取りすがって身動きもしない。
 不思議なもので元気を取り戻した私は、その後まったく船酔いになることはなくなった。
 どこの釣船載っても、どんな荒れた海へ出ても兵器になってしまったのだ。
 すこし荒療治だったかも知れないが、私には良い薬になった。

 親父はハエ縄釣りを始めた。
 エサを付けた針が何十本となく海中に沈んでいく。
 竿を使わない釣りは見ていても面白くない。
 実際に自分で仕掛けたとしても余り好きになれないだろう。
 魚が食い付いて竿が触れてアタリを伝えてきた時の興奮はハエ縄には無い。
 少しして何か掛かったらしい。
 親父が私に糸を持たせて
「ほら、引いてるのが分かるだろう」
 と言うのだが、私にはほとんどアタリの感触が伝わって来ない。
 糸を巻き上げてみると確かに四・五十センチはあるクロダイとイナダが掛かっていた。
 彼らが全くのグロッキーなために、私まで糸を垂れること無く終わってしまった。
 その夜民宿に招かれて船で釣れた魚の刺し身をご馳走になったが盛り上がりに乏しく、申し訳程度に箸を付け、通り一遍の挨拶をして引き下がった。
 空しさと悔しさのようなものが残った。
 その後も時々釣り船に乗ることがあったが、釣船というものは、それこそ船頭任せである。
 船の行き先・竿の上げ下げ・帰りの時間・仕掛けの種類・釣る魚の選択。
 時には釣りのテクニカまで怒号のようなきつい叱責を食らうこともあった。
 全ての釣り船についてではないのだが、そんな風である。
 そんな体験が、あの船外機就きゴムボートをテニスコート入れようと思うきっかけになったのだ。

「ヨシノクン」と連れの女の子は私たちより一日早く東京へ帰ったが、お互い連絡を取り合うことを約束して私たちは二人を見送った。
 私たちはその後も釣果なく、遂に八丈富士を去る日が来た。
 だが、その日は朝から、今までの天気が嘘のように収まり、船着き場で付近で型の良いクロダイやグレ・イシダイなどを両手にブラ下げている釣り人を沢山見掛けた。
 あれが本来の私たちの姿だったのだ、と言いたいところだが、例え条件が良くても釣りの経験の浅かった私たちには狙える獲物ではなかっただろう。
 この八丈島での出会いと体験が以後の私たちの釣り同好会結成の発端となったものである。

色々ありましたけど、最後にあとがきを添えて この物語をおわります。   続く。 

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