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映画「国葬の日」を見た。

『国葬の日』

映画を見る前に書いたもの。

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とつぜんですが
私は大昔、学生時代の高級会員制クラブにて
若かりし頃のABさん、Kさんと、たいへん
(というほどでもないのかもですが)懇意にしていただき
 
よい時代だったので、
お店の女の子たち(と言ってもママふくめて六人とか)で
東北の神社仏閣巡りツアーや
四国のKさんお膝元での観光旅行に連れて行ってくださったり
 
当時は、まだABさんもペーペーだったので、非常に気さくで
ほんとうに可愛らしい、ダダっ子のような方で
私の、水商売ライフで、いちばん好感が持てて波長があったのは
当時のABさんだったかもしれません

(ABさんの遊び方は、ほんとうに無邪気で
お店でもはしゃいだりすねたり、
ぐずったり眠ったりオシャレ自慢などと、天真爛漫でした。
たいせつなゴルフの日でも、気が向かないとヤダヤダ行きたくない、など。
だって、コレコレじゃない?みたいな理由が、なんだかとても他愛のない、縁起の悪い何かを見たとか、生ものに当たったかも、みたいな。
そして言っているうちにホントに具合が悪くなってくる、みたいな

たいせつに育てられたお坊ちゃまそのままの愚図り方で、私はそれが、嫌いではありませんでした。
「俺が俺が」タイプの方に、何かを押し付けられそうだ、みたいなことを察すると、そのお坊ちゃま病は発動しそう、というか

心からのワガママと言うか、自分の言うことを聞かせて困らせたいのではなく・・・
逃げたかった、ズルしてでも見逃してよ、みたいな。
うまく言えませんが。
 
私が大学を出るときに、就職しそびれ、このまま水商売バイトしつつ
院にでも行こうかななど考えていた時に
「君は向いていすぎるから、夜の仕事はもうやめたほうがいい」と
仰ってくださったのも、ABさんでした。

(なぜか納得して、言われてすぐに、お店をやめて、一人でNYに行ったりしていました。
 
あれから、あれだけ嫌がっておられた出世をして、SOU理になり
体調不良になられて辞め、また復帰など
ああ・・・・大変だな、と感じたりしていました。
 
友達に、神楽坂芸者、新橋芸者さんがおりまして
当時のABさんのお席のチラッとしたご様子を漏れ聞いたりもしていて

(ご本人は辞退、でも、周囲は、まだまだやり残したこと
やるべきことがある、など
取り巻きやら芸者も下げさせてずっと膝詰め
 
暗殺のニュースの時には、
もう、かけ離れた存在ながら大変なショックで
最後まで意識はあったとのこと、など読んでしまい
軽い鬱になってしまったり
 
私は、ABさんは
他人が期待するほどの器では自分は無いことを
幼少のころからなんとなく察しておられ
(ですので、あれだけの家柄と環境でありつつT大ではなく

それだからこそ、担ぎやすい神輿だった
断り切れない性格のよわさ、甘さ

だからこそ、なにかお坊ちゃん的なたいへんなサービス精神が
時に空振りしてしまったり
(コロナ禍のときに、優雅に紅茶と愛犬画像など載せ、すべってしまった。

ほんとうに、あんなに、我欲というか、俺が俺がではなく
「いろいろ利用とかされたくなくて、本当はノホホンとしていたかった」
天性のお坊ちゃまは、なかなかいなかった、もう、いないのかも、とも思います。

お店への差し入れ、その他も、真心や遊び心がありました。
おしゃれな方だったと思っています。
 
もちろん、私が垣間見たのは、大昔のほんの、まばたきほどの一時期ですし
だいぶ、かなり、お立場が変わるにつれ、そうとう、ご本人の意識も変わられたと思います。
その一方で、根っこたる、明るいことが好き、なるべく役に立ちたい、けれど弱さもかわいらしさも共存されていた人格はそのままではなかったかしら、とも思います。

 
私自身は、政治にはとんと疎く、恥ずかしながら意識も薄いのですが
 
ある意味、ほんの他愛無い一言で私の人生のシフトを変えて?
後押し?してくださったABさんのこと
最後、そしてそれからのことを思うと
深く混乱したままでいます。
 
けれど、いつか「一瞬でも、知っていた方が、暗殺されてしまった」ショックに対し、なにかしら、ひと段落できたらな、と思ってしまいます。

私は、政治的に、右も左も、上も下も、五里霧中の人間です。
(それはよくないとは思いつつも
まあ、それが現実です。

ただ、本当に、第一期に体調を崩されたとき
引退され、
今は芸術家になられている
narror river様のように、第二の人生を満喫しておられたら
今でも、そう思ってしまいます。

 
まの
 

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「国葬の日」を見た感想。

よく、このようなドキュメンタリーを残してくださったと感じました。
これは、ひとりの監督が「公正に」「後世のために」
残すのには大きすぎる事件であり

もっともっと、しっかりと残されていい日のことだったのだと。

日本で、重大な責務のある方が
「刺殺」でもなく「射殺」されたこと

これが、アメリカであったなら。
フランスでも、ドイツでも、アフリカでも。
どこの国であっても、どのような日になっていたのでしょうか。

考えずにはいられなかったです。

そして、背景にどのような事情があろうとも
人は「暗殺」されるべきではありません。

繰り返しになりますが
このような映画を残された尽力に敬意を表するとともに

私が、一瞬だけ垣間見た、氏のお人柄を思い出させてくれたこと
ものごとには多方面の見方や事情があるのだということを
考えさせてくださいまして、感謝しております。

再度繰り返しになりますが、
私は、政治的に、右も左も、上も下も、五里霧中の人間です。

そして、強く強く申し上げますが、今後とも、どなた様も、どちらの方向に導いて下さらなくて結構です。

むしろ、ビートたけしさんではないですが
「表現者、芸人には、その時、感じたことを表現させてほしい」
というようなスタンスでおります。

他の、私よりももっと氏をご存じの方が口をつぐんでいらっしゃるのに
このような文章を書きましたことを
いずれ、後悔するかもしれませんが、とりあえず。

 
 
 
 
 
 
 


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