病人が考える「非日常」

昨今のコロナ禍において。
我が家には基礎疾患による重症化リスクのある家族がいるため、(強く頼まれたからというのも理由だが)私は可能な限り外出の自粛を行なっている。
だが時折考える。
精神疾患のある者を家に閉じ込めておくことの是非について。果たしてそれは患者および周囲の人物にとって良いことになるのだろうか。
 
正直、外出をしないことがストレスになりつつある自覚がある。
本来ならば(予定通りにいっていれば、という仮定が前提にあるが)私は毎週通院して作業療法や認知行動療法を受け、社会復帰に向けての動きをしているはずなのだ。それを「感染予防」という大義名分があるにしろ行なっていないことが今の焦りに直結していると思っている。
それに、他の家族がリモートワークだの何だので在宅勤務をすることもストレスに感じてしまう。家族は平日こうして働いているのに、自分は働かずに何をしているのだ、甘えている、というのを見せつけられている気になるのだ。
自宅にいながら居場所を失っているような感覚。かといって外に逃げ場を求めることもできない。
 
気持ちのやり場がないから、こういう気持ちに襲われるのだろうというのはなんとなく思いはする。
自分が感染するかを気にするより先に、気を病んでしまうと元も子もないとわかっていながら外的要因が解決できないことにいつまでも囚われる。
 
さて、冒頭でこの問題を「疾患がある者」と大きな括りにして書いたことについて。
これは私だけの問題でないと思う。
就労継続支援や移行支援の施設は通所そのものが「居場所づくり」という目的を持ち、当事者の支えになる側面があると感じている。居場所を失わせて精神のバランスを崩してしまった場合、どうやって持ち直せばいいのか。方法がわかっていてもそれは容易でないことが多いと思われる。
生活様式の変容をうたうなら、こちら側の適応も考えてはいただけないだろうか、と思うのは傲慢なのだろうか。
 
なんにせよ、この感染との向き合い方をはっきりさせたいものだと思う。根絶でも共存でもどちらでもいいから暮らしやすい生活が早く戻ってくればいい。